【11・28君が代訴訟上告審弁論から】
  最高裁判所第一小法廷 御中
◎ 陳 述 書
 
上告人 根津公子(当時:立川市立立川第二中学校)
 
(後半)
 
 2.「君が代」不起立処分以前にも、根津は「非違行為」を繰り返したから停職3月は当然であるということについて
 私は子どもたちが事実を知り知識を身につけ、それを基に考え合い、自己の意見を形成することを心がけて教育活動に当たってきました。平和や人権の問題も積極的に取り上げてきました。「君が代」不起立処分以前に私が受けた処分は、どれもこうした教育活動や、それに派生したことに対する処分でした。

 ①八王子市立石川中で1994年3月の卒業式の朝、校長が揚げた「日の丸」を降ろして減給1月にされた件も、同様に教育活動にからむ処分でした。
 石川中では平和・人権教育に力を入れており、また、私も
「日の丸・君が代」の歴史や意味について授業で取り上げてきましたから、生徒たちはこれについて考える資料を持っていました。都教委答弁書(平成23年10月31日付)が言うような「一方的な内容の授業」を私はしていません。校長には授業に参加してほしいと要請しましたし、授業では「日の丸・君が代」を支持する人の発言も紹介し、いろいろな考えがあることを示しました。
 いろいろな考えがあることを知る中で、自分の考えを形成していくことが大事と考えるからです。
論争的主題をテーマとした授業では、私は常にそうした姿勢で、生徒たちに考える資料を提供してきました。
 卒業式当日、始業時刻のかなり前に校長は職員会議の決定を無視し、私たち教員が説得をする中、また、その声を聞いた生徒たちが教室の窓を開け、「校長先生、日の丸揚げないで」と訴える中を、
校長はポールに「日の丸」を揚げ、校舎の中に入ってしまいました。
 校長の姿が校舎内に入ると、生徒たちは私に訴えました。
 
「根津先生、降ろして」「先生、降ろそうよ」と。
 「正しいと思うことは一人でも勇気を持ってやりなさい」「いじめられている子を放っておくのはダメ。いじめを止めさせる勇気を持とう。一人の暴挙を許してはダメ」と、日頃言ってきた教員として私は、「そうだね。降ろすしかないね」と答え、「日の丸」を降ろし、校長室にいた校長に届けたのですが、校長はまたも、「日の丸」を揚げに走り、生徒の抗議の中を揚げました。
 2回目の時は、登校時刻に近かったので、ほとんどの生徒が登校しており、校長を批判し抗議する声はすさまじいものでした。校庭に駆け寄ってきて抗議する生徒もかなりの数いましたが、
校長はまたも無言のまま「日の丸」を揚げて、その揚を立ち去りました。
 2回目も、私は降ろしました。
 校長の対応に怒りを持った生徒の一人が、その「日の丸」を破いてしまいました。生徒たちは、年度末の25日の修了式の日まで、「先生、止めさせられない?」「ほかの学校に行かされない?」と私を心配してくれました
 校長の行為に納得のいかなかった生徒たちから、「校長先生は生徒が反対したのに聞いてもくれず、なぜ、日の丸を揚げたのですか」と問われて
校長は、「文部省の命令に従うのが校長の職務だからです。生徒会が反対しても揚げます」と答えました。
 校長自身が説明のつかないことを「校長職」の立場にとらわれ、行なったのですから、生徒を納得させることはできませんでした。当時は今と比べれば、教育委員会の校長への指示命令はずっと緩やかな時代でしたが、命令に従うことに頭が占領された校長は、生徒に教育とは程遠い「指導」をしてしまったのでした。
 この校長は、「日の丸は体育館に揚げなければいけないのだけれど、体育館に揚げると手作りの、一生懸命やっている卒業式を破壊すると考えてポールにした」と、また、「これからは国歌斉唱ということも出てくる」と私たち職員に言いました。まだ、良心を捨てきれなかった人だったということだと思いますし、時代がそれを許したのです。
 
今では、それすら許されない時代に入りました
 この処分の件でも、生徒のほとんどが私に信頼を寄せてくれましたし、その生徒たちの話を通して保護者もまた、私を信頼してくれたことは、以前に述べたとおりです。

②「職員会議の決定を踏みにじった校長先生の行為を私は決して忘れはしない」と題した学級だより(1995年)、「自分の頭で考えることの大切さ」を考える授業に使った教材プリント(1999年)はともに訓告処分とされましたが、どちらも生徒たちにとってはどう生きるかを考えるのに適切なプリントだったと思っています。
 後者のプリントは担当学年での授業に使ったものなので、この件で事情聴取という段階で、
学年PTA役員(各クラス2名)をはじめかなりの保護者が校長や市教委に処分をしないよう要請してくれました。
 授業を受けた生徒たちがこの授業の意味を感じたからこそ、保護者が動いてくれたのだと思います。また、生徒や保護者が日頃の私の教育実践に、一定の評価と信頼を寄せてくださっていたということだと思います。もしも、そうではなかったなら、保護者が動きはしなかったはずです。

 ③2002年に職務命令違反で減給3月処分を受けた発端は、
「従軍慰安婦」問題を授業で取り上げたことでした。
 多摩中に着任した1年目の3学期の1.5時間、従軍慰安婦にされた韓国人女性を訪ねた
教材用ビデオ「李貴粉さんは語る」(アー二出版・中高生向け)を使っての授業で、生徒たちは初めて知る事実に驚きながらも、正面から考えようとしていました。
 私に対し行われた*処分は、子どもたちが自分の頭で考え判断できるように事実は隠さず提示する、教育に反することや国家の価値観の教え込みには加担しない(止めるよう校長等に働きかける)、という教育活動の中でなされた処分です。
 
教育公務員として、「子どもの最善の利益」のために働いたという自負が私にはあります。子どもたちの声が、その証左です。それを、「非違行為の累積」「反省がない」として、都教委は私に累積加重処分を科し、免職を覚悟させてきたのです。
 体罰やセクハラなど、誰が見ても非違行為と認識する行為と一緒にするのでは、ことの本質を見えなくさせます。
 国が
国家主義教育を進めようとするとき、橋下元知事率いる大阪維新の会のように、一気に枠を飛び越え行うのではなく、徐々に巧みにそれを行います。ですから注意深く見ないとその変化はわかりにくいものです。
 私の教育活動に対する処分も、「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と明記した1989年の指導要領の改訂以前にはあり得ないことでした。また、それぞれの校長が「決意」をするまではあり得ないことでした。

 3.大阪維新の会「大阪府教育基本条例案」は10・23通達の行きつく先
 条例案は、「大阪府における教育行政は、選挙を通じて民意を代表する議会及び首長と、教育委員会及び同委員会の管理下に置かれる学校組織が、法令に従ってともに役割を担い、協力し、補完し合うことによって初めて理想的に実現されうるものである。教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかったという不均衡な役割を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ぼなければならない」と前文で謳い、「知事は…学校が実現すべき目標を設定する」「教育委員会は知事が設定した目標を実現するため、…指針を作成し、府立学校の校長に提示する」とし、首長に権限を集中させ、教職員の免職を当たり前のこととしました。
 
「君が代」不起立教員に対しての処分は「同一の職務に対する3回目の違反の標準的な分限処分は免職」としています。素案では「直ちに分限免職」としていたものです。

 
都教委は2004年の4~5月頃、校長たちに「不起立3回で免職」と言ったそうです。私は本件当時在職した立川二中の校長から、それを聞かされました
 校長は、自身が職務命令を発し、事故報告書をあげることで根津が免職になることに悩んでいて、度々私に言いました。また、河原井さんも校長から同じことを言われた、と聞いていますから、この発言は正確だと思います。
 大阪の条例案のこの条項は、東京を参考にしたのでしょう。「教育とは2万%強制」「今の日本の政治に必要なのは独裁」と発言する
橋下元知事の野心をそっくり盛り込んだ条例案です。これを通すことになったら、教育基本法や法令よりもこの基本条例が上位とされ、大阪の教育は東京以上に急速に破壊されていくことは火を見るより明らかです。
 10・23通達が発出されてこの方、東京の教育が破壊されてきたことは、現場の教員の誰もが痛感しているところですが、一方で、大阪の同条例案に道を開くものであったと思います。このような願望を持つ首長は、近年、あちらこちらに出現しています。
大阪の暴走を許さないためにも、最高裁は10・23通達の違憲・違法性を判断していただきたく要望します。
 
 
パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
 今、教育が民主主義が危ない!!
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