転載:朝鮮植民地支配の伊藤博文を中国ハルビンで暗殺した★〈本の紹介〉「仁の人、義の人、信の人 安重根」

 
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◆安重根
◆安重根著、うのていを訳、「愛知宗教者九条の会」発行、ほっとブックス新栄、
 800円+税、FAX 052・936・7553





【朝鮮新報 2011-11-11】

〈本の紹介〉「仁の人、義の人、信の人 安重根」
蘇った東洋平和論


安重根が抗日義兵の参謀中将として、ハルビン駅頭で朝鮮侵略の総指揮者伊藤博文を狙撃して殺害したのは、1909年10月26日のことであった。そして、1910年3月26日に死刑執行。

それから100年以上の月日が流れたが、 安重根の生涯やその思想については、いまだに意外に知られていないのが実情である。このたびの訳書によって、身近に彼の論説に接することができることになったことを喜びたい。

宗教者として「九条の会」に属する訳者が注目したのは、 安重根の誠実なクリスチャンとしての高潔な人格で、彼が旅順刑務所に収監されるや、短期間の間に日本人の関係者の尊敬を受けるようになり、次々と 安重根に揮毫を求める人が出てきたのであった。

安重根は、「私は朝鮮独立義勇軍の参謀中将である。その立場で、東洋平和に害をなす伊藤さんを射殺したのであって、これは朝鮮対日本の戦争の一環である」と一貫して主張し、東洋各国の自主独立を害い、東洋平和を脅かす「伊藤の罪状十五条」をあげて非難した。

早期の死刑宣告によって安重根の抹殺を謀った日本政府の決定を受けて、1910年2月14日に死刑宣告を言い渡した裁判官真鍋十蔵も、「被告が伊藤公爵を殺害したる所為たるや、その決意は私憤に由るものにあらず」と明言せざるをえなかったのである。


ただ、安重根にとって惜しまれるのは、安重根側が国際的な弁護団を組織しようとしたことに対して日本政府の拒否にあったことと、安重根が早くから上訴の意志のないことを明らかにしていたことだ(これは日本政府を内心で喜ばせた)。

そうして自叙伝と東洋平和論の執筆にとりかかった安重根であったが、まったく個性的な「自叙伝」は何とか執筆を終わり、東洋平和論の執筆を始めるところで時間の不足を感じた。刑執行の1カ月ほどの延期を願ったが、彼の願いをそのまま受け入れる日本帝国ではなかった(遺骨すら湮滅されたままである)。

もし、時間が許されていれば、安重根は東洋平和論において、中国、朝鮮、日本三国の自主独立を前提とする彼の政治哲学と歴史哲学を、豊かな思想的内容を持って展開したことであろう。

今はわれわれが安重根の意を体し、彼に代わって今後の「東洋平和」を構築していくほかはない。そのための作業に、本書の序言や「はじめに」、あるいは「注記」や、「結びに代えて」、また、美しい献詩「安重根への追悼―最後に、また最初に」などが貴重な参考となるであろう。

安重根への敬意に基づき、「不学の人」の未熟な漢文を丁寧な日本語に移し替えてくれた訳者に感謝したい。(金哲央・朝鮮大学校客員教授)
 
 
 
ブログ:ナザレのイエス御自身の信仰の形成過程と見えたもの