▲ 新しいナショナリズムと横浜市の教科書採択
11月にしてはなぜかばかに暑かった11月5日(土)午後、鶴見大学会館で九条科学者の会かながわの第16回学習会が開催された。
九条科学者の会かながわはちょうど6年前の2005年11月に発足した。これまでに15回学習会を開催し、講師は憲法学者、経済学者、歴史学者、社会学者、物理学者など多岐にわたる。この日の講師は加藤千香子さん(横浜国立大学教育人間科学部教授)、テーマは横浜市の教科書採択問題だった。
今年の教科書採択で育鵬社の歴史教科書は全国で4万8000部(シェア3.7%)採択されたが、横浜市はそのうち2万7000部を占めた。加藤さんの講演は約90分だったが、自由社・育鵬社歴史教科書の特徴に始まり、横浜での採択の経緯、学校教育全般の最近の問題、ポスト戦後・グローバル化時代の新しいナショナリズム運動、今後の展望など、濃密なものだった。
わたくしには、08年まで横浜で多く使われた帝国書院と育鵬社の比較をした部分が本質をついており、とりわけ興味深かった。記事がいつもよりずいぶん長くなったので、採択当日の委員会のやりとり(このサイトのp14-20に掲載)や97年までの歴史の部分は省略している。
■ 現代日本におけるナショナリズムと「教科書問題」
はじめに
2011年の教科書採択で育鵬社版の全国シェアは約4%に上る。横浜市、藤沢市、東京都大田区、広島県呉市などで採択された。過去と比較すると、はじめて「つくる会」教科書が登場した2001年には大きな反対運動が起こり社会問題化し、採択率は0.04%だった。その後05年には東京都杉並区で採択され、つくる会と教科書改善の会の分裂を経て09年の横浜市の8区での採択で1%を超えた。これがターニングポイントとなった。
この10年を振り返ると、急激な採択率上昇だけでなく、教科書問題の社会の取り上げ方が格段に変わったことが大きな違いである。いまではマスメディアに取り上げられることもほとんどなく、「既定の事実」のように受け止められている。0年代にいったい何が進行したのか、きちんと受け止める必要がある。
1 自由社・育鵬社版歴史教科書の特徴
自由社・育鵬社ともに、「新教育基本法と新学習指導要領の精神にもっとも適った教科書」であることを謳い文句にしている。「祖先から継承された歴史」であること、すなわち古代から連続している単一民族神話に基づくことを強調し、外国と日本を明確に分け、外国は日本の軍事的脅威として描いている。以下、自由社・育鵬社と帝国書院を対比しながら説明する。
歴史を学ぶ目的について、育鵬社は「日本という国は、古代に形づくられ、今日まで一貫して継続している(略)その理由は何なのかを考え」ることだとする。一方、帝国書院は「日本の歴史は、世界とのかかわりのなかでつくられてきた」とし、「社会はどのように発展し、政治、経済、文化はいかに変化したのだろう」「考える・なぞを解く」のが歴史の勉強だとする。
帝国書院ほか一般の教科書は、最近の歴史学の研究成果である「東アジア文化圏」など交流を反映しているのに対し、自由社・育鵬社はあえて独自性、固有性を強調し、アジアと日本はこんなに違うという内容の違いにもなっている。
また帝国は「変化・発展のなぞを考えよう」としているが、自由社・育鵬社は変わっていない、一貫して継続しているとする。
そこで、日本内部での固定性、安定性が基本で、矛盾や支配・被支配関係が書かれない。身分制や社会運動の記述が極端に少なく、他の教科書と異なりアイヌ、朝鮮人などマイノリティはいっさい記述されず、日本人しか出てこない。
一方、一体性の根拠は天皇を中心にした国のまとまりとされ、「現代の日本と世界」の章にも「昭和天皇」のコラムがあり、一貫して天皇が中心となっている。
女性は、他の教科書より多用されるが、扱いが問題で、たとえば与謝野晶子が11人の子の母であることなど日本女性としての生き方が強調される。日本文化の彩りの扱いである。
一方、外部との関係では、外国は軍事的脅威であることが強調される。そして日本は被害者で、日本の安全保障が繰り返し記述される。
たとえば日清戦争について、育鵬社は、ロシアなど欧米列強に「自国の安全がおびやかされるという危機感」から「まずは朝鮮を勢力下に置く清に対抗するため、軍事力の強化」をしたという論理立てをする。一方、帝国書院は、まず帝国主義を説明し、「日本も欧米諸国のやり方をまねて朝鮮半島に勢力をのばそう」としたと、帝国主義のなかに日本を位置づけて日清戦争を記述している。はっきり違いがある。
また日本は欧米と対等になったが、アジアは世界に対応できなかったので、アジアを近代化するのが日本の使命だったという文脈で書かれている。
そのほか大きな特徴として、戦後歴史学や教育で定着してきた言葉や認識の組み替えを図ろうとしている。
たとえば「帝国主義」は出てこないし、「市民革命」は欧米のもので混乱や恐怖政治を生み、明治維新は武士が公のために犠牲を払ったもので市民革命とは違うと位置付ける。「社会主義・共産主義」は、資本主義の弊害を解決するために現れたというのが従来の位置づけだったが、育鵬社・自由社は、「全体主義」と言い換え一党独裁でおびただしい犠牲者を生んだと説明する。
日本国憲法について、育鵬社は「GHQの意向に反対の声を上げることができず、ほとんど無修正で採択」されたと「押し付け」であることを強調し、平和主義について「わが国が独立国家として国際社会に責任ある地位を占めるようになるにつれ、多くの議論を呼ぶことに」なったと書く。帝国書院は「総司令部の『おしつけ』といわれることもありますが、三つの点で、新しい時代に対する当時の国民の期待がもりこまれて」いたと、位置づけがまったく異なる。自由社・育鵬社は改憲を視野に入れていることがよくわかる。
自由社・育鵬社の教科書の特徴は、日本人の民族の一体性と国際的な地位の再確認にウェイトを置き、従来の歴史認識を否定し組み換えることである。たんなる復古ではなく、ポスト戦後のグローバル化のなかのナショナリズムの教科書とみるべきである。
2 横浜市での自由社・育鵬社採択の経緯
なぜ横浜市でこういう教科書が採択されてしまったのか、その経緯を押えるべきである。横浜市では2000年代に入り採択方法に変更があった。まず01年に学校票がなくなりそのかわりに各区校長会から意見を提出することになった。しかしそれも05年に廃止され、学校が直接意見をいう場がなくなった。また05年までは、審議会の答申から事務局が案をつくるプロセスがあったが、09年にはそれもなくなり教育委員が答申をもとにすべて判断することになった。
また08年11月に「教科書採択にあたっては、教育委員会の権限と責任において採択してほしい」「教育基本法および学習指導要領改正の趣旨に照らして最もふさわしい教科書を採択してほしい」という請願を、教育委員会は「当然のこと」として採択した。ご丁寧にもおなじ趣旨の請願を半年後の09年5月にも採択し、これが立脚点となった。
これ以降、市民団体の「学校現場の意見を反映する採択」という請願は不採択になり、一方「教育基本法に基づく採択」という請願が採択される結果になり、自由社採択への布石が敷かれた。こうして09年8月、異例の無記名投票で18区中8区で自由社教科書が採択された。
次に11年の採択には32件以上の請願が提出されたが、請願は教育長の専決事項に変更され、採択されることはなかった。そして8月4日、4対2で育鵬社が採択された。採択した4人はすべて中田宏・前市長が任命した教育委員である。
3 学校教育をめぐる変化――教育関係法規・学習指導要領遵守の前景化
採択に限らず、同時に横浜の学校教育全般に深刻な変化が起きていることを見る必要がある。新教育基本法を中心とする教育関係法規と学習指導要領を厳密に遵守するやり方が前景化している。そのもとでどんなことがあったのか。
まず10年1月に「新学習指導要領に変ったのだから採択方針も変えるべきだ」という請願にもとづき、4月にこれまであった「内容」の「正確性」、「誤りや不正確なところはないか」が削除された。それに代わり「教育基本法、学校教育法及び学習指導要領をふまえること」が明記された。
また自由社採択に対し、横浜市教職員組合が10年3月に全組合員に配布した「歴史教育資料集」が大きな問題となった。市教委は、学校教育法に基づき教科書を必ず使用しなければならないという通知を各校長宛てに発出し、組合には警告文を送った。しかもそれで終わらず、市議会や国会でも問題となり、産経新聞は批判キャンペーンを繰り広げた。
学校教育法34条2項には「図書その他の教材の自由な使用」があるのに、あえて2項は無視し1項の教科書を使用する義務だけを取り上げた。法律等の前景化がめだつ。また、教育への政治の介入は当然のこととされ、現場の管理統制をするべきだという認識が進んでいった。教育の政治からの中立原則は掘り崩されている。国会やメディアでこういう状況が当然とされていることを深刻にとらえる必要がある。
11月にしてはなぜかばかに暑かった11月5日(土)午後、鶴見大学会館で九条科学者の会かながわの第16回学習会が開催された。
九条科学者の会かながわはちょうど6年前の2005年11月に発足した。これまでに15回学習会を開催し、講師は憲法学者、経済学者、歴史学者、社会学者、物理学者など多岐にわたる。この日の講師は加藤千香子さん(横浜国立大学教育人間科学部教授)、テーマは横浜市の教科書採択問題だった。
今年の教科書採択で育鵬社の歴史教科書は全国で4万8000部(シェア3.7%)採択されたが、横浜市はそのうち2万7000部を占めた。加藤さんの講演は約90分だったが、自由社・育鵬社歴史教科書の特徴に始まり、横浜での採択の経緯、学校教育全般の最近の問題、ポスト戦後・グローバル化時代の新しいナショナリズム運動、今後の展望など、濃密なものだった。
わたくしには、08年まで横浜で多く使われた帝国書院と育鵬社の比較をした部分が本質をついており、とりわけ興味深かった。記事がいつもよりずいぶん長くなったので、採択当日の委員会のやりとり(このサイトのp14-20に掲載)や97年までの歴史の部分は省略している。
■ 現代日本におけるナショナリズムと「教科書問題」
加藤千香子さん(横浜国立大学教育人間科学部教授 日本近代史)
はじめに
2011年の教科書採択で育鵬社版の全国シェアは約4%に上る。横浜市、藤沢市、東京都大田区、広島県呉市などで採択された。過去と比較すると、はじめて「つくる会」教科書が登場した2001年には大きな反対運動が起こり社会問題化し、採択率は0.04%だった。その後05年には東京都杉並区で採択され、つくる会と教科書改善の会の分裂を経て09年の横浜市の8区での採択で1%を超えた。これがターニングポイントとなった。
この10年を振り返ると、急激な採択率上昇だけでなく、教科書問題の社会の取り上げ方が格段に変わったことが大きな違いである。いまではマスメディアに取り上げられることもほとんどなく、「既定の事実」のように受け止められている。0年代にいったい何が進行したのか、きちんと受け止める必要がある。
1 自由社・育鵬社版歴史教科書の特徴
自由社・育鵬社ともに、「新教育基本法と新学習指導要領の精神にもっとも適った教科書」であることを謳い文句にしている。「祖先から継承された歴史」であること、すなわち古代から連続している単一民族神話に基づくことを強調し、外国と日本を明確に分け、外国は日本の軍事的脅威として描いている。以下、自由社・育鵬社と帝国書院を対比しながら説明する。
歴史を学ぶ目的について、育鵬社は「日本という国は、古代に形づくられ、今日まで一貫して継続している(略)その理由は何なのかを考え」ることだとする。一方、帝国書院は「日本の歴史は、世界とのかかわりのなかでつくられてきた」とし、「社会はどのように発展し、政治、経済、文化はいかに変化したのだろう」「考える・なぞを解く」のが歴史の勉強だとする。
帝国書院ほか一般の教科書は、最近の歴史学の研究成果である「東アジア文化圏」など交流を反映しているのに対し、自由社・育鵬社はあえて独自性、固有性を強調し、アジアと日本はこんなに違うという内容の違いにもなっている。
また帝国は「変化・発展のなぞを考えよう」としているが、自由社・育鵬社は変わっていない、一貫して継続しているとする。
そこで、日本内部での固定性、安定性が基本で、矛盾や支配・被支配関係が書かれない。身分制や社会運動の記述が極端に少なく、他の教科書と異なりアイヌ、朝鮮人などマイノリティはいっさい記述されず、日本人しか出てこない。
一方、一体性の根拠は天皇を中心にした国のまとまりとされ、「現代の日本と世界」の章にも「昭和天皇」のコラムがあり、一貫して天皇が中心となっている。
女性は、他の教科書より多用されるが、扱いが問題で、たとえば与謝野晶子が11人の子の母であることなど日本女性としての生き方が強調される。日本文化の彩りの扱いである。
一方、外部との関係では、外国は軍事的脅威であることが強調される。そして日本は被害者で、日本の安全保障が繰り返し記述される。
たとえば日清戦争について、育鵬社は、ロシアなど欧米列強に「自国の安全がおびやかされるという危機感」から「まずは朝鮮を勢力下に置く清に対抗するため、軍事力の強化」をしたという論理立てをする。一方、帝国書院は、まず帝国主義を説明し、「日本も欧米諸国のやり方をまねて朝鮮半島に勢力をのばそう」としたと、帝国主義のなかに日本を位置づけて日清戦争を記述している。はっきり違いがある。
また日本は欧米と対等になったが、アジアは世界に対応できなかったので、アジアを近代化するのが日本の使命だったという文脈で書かれている。
そのほか大きな特徴として、戦後歴史学や教育で定着してきた言葉や認識の組み替えを図ろうとしている。
たとえば「帝国主義」は出てこないし、「市民革命」は欧米のもので混乱や恐怖政治を生み、明治維新は武士が公のために犠牲を払ったもので市民革命とは違うと位置付ける。「社会主義・共産主義」は、資本主義の弊害を解決するために現れたというのが従来の位置づけだったが、育鵬社・自由社は、「全体主義」と言い換え一党独裁でおびただしい犠牲者を生んだと説明する。
日本国憲法について、育鵬社は「GHQの意向に反対の声を上げることができず、ほとんど無修正で採択」されたと「押し付け」であることを強調し、平和主義について「わが国が独立国家として国際社会に責任ある地位を占めるようになるにつれ、多くの議論を呼ぶことに」なったと書く。帝国書院は「総司令部の『おしつけ』といわれることもありますが、三つの点で、新しい時代に対する当時の国民の期待がもりこまれて」いたと、位置づけがまったく異なる。自由社・育鵬社は改憲を視野に入れていることがよくわかる。
自由社・育鵬社の教科書の特徴は、日本人の民族の一体性と国際的な地位の再確認にウェイトを置き、従来の歴史認識を否定し組み換えることである。たんなる復古ではなく、ポスト戦後のグローバル化のなかのナショナリズムの教科書とみるべきである。
2 横浜市での自由社・育鵬社採択の経緯
なぜ横浜市でこういう教科書が採択されてしまったのか、その経緯を押えるべきである。横浜市では2000年代に入り採択方法に変更があった。まず01年に学校票がなくなりそのかわりに各区校長会から意見を提出することになった。しかしそれも05年に廃止され、学校が直接意見をいう場がなくなった。また05年までは、審議会の答申から事務局が案をつくるプロセスがあったが、09年にはそれもなくなり教育委員が答申をもとにすべて判断することになった。
また08年11月に「教科書採択にあたっては、教育委員会の権限と責任において採択してほしい」「教育基本法および学習指導要領改正の趣旨に照らして最もふさわしい教科書を採択してほしい」という請願を、教育委員会は「当然のこと」として採択した。ご丁寧にもおなじ趣旨の請願を半年後の09年5月にも採択し、これが立脚点となった。
これ以降、市民団体の「学校現場の意見を反映する採択」という請願は不採択になり、一方「教育基本法に基づく採択」という請願が採択される結果になり、自由社採択への布石が敷かれた。こうして09年8月、異例の無記名投票で18区中8区で自由社教科書が採択された。
次に11年の採択には32件以上の請願が提出されたが、請願は教育長の専決事項に変更され、採択されることはなかった。そして8月4日、4対2で育鵬社が採択された。採択した4人はすべて中田宏・前市長が任命した教育委員である。
3 学校教育をめぐる変化――教育関係法規・学習指導要領遵守の前景化
採択に限らず、同時に横浜の学校教育全般に深刻な変化が起きていることを見る必要がある。新教育基本法を中心とする教育関係法規と学習指導要領を厳密に遵守するやり方が前景化している。そのもとでどんなことがあったのか。
まず10年1月に「新学習指導要領に変ったのだから採択方針も変えるべきだ」という請願にもとづき、4月にこれまであった「内容」の「正確性」、「誤りや不正確なところはないか」が削除された。それに代わり「教育基本法、学校教育法及び学習指導要領をふまえること」が明記された。
また自由社採択に対し、横浜市教職員組合が10年3月に全組合員に配布した「歴史教育資料集」が大きな問題となった。市教委は、学校教育法に基づき教科書を必ず使用しなければならないという通知を各校長宛てに発出し、組合には警告文を送った。しかもそれで終わらず、市議会や国会でも問題となり、産経新聞は批判キャンペーンを繰り広げた。
学校教育法34条2項には「図書その他の教材の自由な使用」があるのに、あえて2項は無視し1項の教科書を使用する義務だけを取り上げた。法律等の前景化がめだつ。また、教育への政治の介入は当然のこととされ、現場の管理統制をするべきだという認識が進んでいった。教育の政治からの中立原則は掘り崩されている。国会やメディアでこういう状況が当然とされていることを深刻にとらえる必要がある。