たんぽぽ舎です。【TMM:No1231】 転送歓迎
◆ 地震と原発事故情報 その216 ◆
4つの情報をお知らせします(10月31日)
◇ 日本の脱原発度は82%。(2011年10月現在)
日本の原発・全54基のうち、現在44基(82%)が地震故障や
定期検査でが停止、稼働しているのは10基(18%)のみ。
今後、再稼働をみんなの活動で阻止できれば、2012年春頃
には全原発の停止が実現する。
原発なくとも電気はだいじょうぶ。(天然ガス火力、その他)
今、運転中の10基も早く停めてほしい-地震・余震が心配。
(★1.11月の「スペースたんぽぽ」で開催される講演会などのご案内)
★2.経産省前テントひろば日誌・その1 10月30日(日)の報告
★3.繋がった、繋がった、女達が繋がった、経産省で繋がった
★4.原発いらない福島の女たち~100人の座り込み~<怒 福島隊>
三人の福島の女性と意見交換しました。その要点の紹介
★2.経産省前テントひろば日誌・その1 10月30日(日)の報告 淵上太郎(テント)
◯ 今日から、経産省前テントひろばで「福島の女たちに続け、原発いらない全国の女たちアクション」がはじまった。
午前8時にはスタッフたちが集まって、全国から集まって来る女性を受け入れる準備に忙しくとびまわる。比較的良い天気になりそうだが、午後から雨もという天気予報。それでも例年になく暖かな日が続くので、座り込みや泊まり込みには助かる。
さまざまなバナーの飾り付けや座り込みのための椅子の準備・配置など。もちろん受付のためのテーブルや署名用紙の用意など、東京の霞ヶ関という慣れない場所での準備でとまどうこともたくさんあるにちがいない。だが、前日までの「福島の女たち」の実績と遺産がある。「全国の女たち」はこれを引き継いで更に継続し繋がっていこうとしている。私たちも要請されたりしたことを中心に手を貸して、あっという間にスタートの10時となる。
◯ 茨城のYさんの司会でキックオフしたテント前集会がむこう7日間の座り込みのキックオフとなった。集会は福島に帰らずに残った佐藤さんや、京都からのアイリーンさんや北海道のYさん、東京の木村さんなどの発言とともに、合唱やフラダンスも行われ昼前には100人以上の人々がこの座り込みに集まった。社民党の福島党首、山本太郎さんや湯川れい子さんも駆けつけ、発言。経産省前の小さな広場は女性たち特有の和やかな雰囲気のなかにも粘り強く闘う強靱かつ柔軟な意志が通っている。
◯ 午後からあいにくの雨となり、テント内にあった20本ばかりの傘を提供したが、もちろん足りないので、90リットルの大きなゴミ袋(乱鬼龍さん提供)の真ん中をくりぬいて雨バージョンに。午後からはアイリーンさんが周辺を歩きながら参加者の生の声を聞いているうちに小雨。
31日は11時30分から経産省別館側(原子力安全・保安院)でランチタイム・アピールと記者会見が行われる。
写真1:自身の詩『ほんとうのしあわせ』を歌う福島幸子さん(1645)
写真2:詩『ほんとうのしあわせ』(1640)
写真3:路上のフラダンス
写真4:山本太郎さん(1670、足元の毛糸の玉は福島の女たちから引き継がれた指編みの紐)
写真5:アイリーンさんのインタビュー
(写真も5点寄せられていますが、メールマガジンには載せられません。
紙媒体のニュースでごらん下さい。)
★3.繋がった、繋がった、女達が繋がった、経産省で繋がった
デモ史を塗り替える女たちの座り込みデモとなった
たぶん霞ヶ関の風景がこれほど変わっとことは無かっただろう。デモが過去にもあったとはいえ、暗い色の服を着た男達が大半のデモだ。それが、今回は、女達のカラフルな、着物姿あり、割烹着あり、手作りキルトの横断幕で、毛糸の指網をしながらの、デモ史を塗り替える女達の座り込みデモとなった。
女達がとうとう立ち上がったのだ。もう、男に頼っていたのでは、間に合わない、子供を、命を守れない、という切羽詰まった決死の思いで福島の女達がまず立ち上がったのだった。そして、それに呼応した東京の女達がサポートに馳せ参じ、いつもは先頭に立つ男性陣が今回は裏方に回る事を快く承諾して、目立たぬよう女性達を守りにまわってくれた。
実は私のデモデビューは9月11日である。その日、新宿で若い人のグループが大勢逮捕された事を知り、ネットで映像を確かめた。どう見ても不当逮捕だ。
私の中に怒りが沸き上がり、『ふるさと』を歌うデモが頭に浮かんだ。この童謡を歌っているだけの者を捕まえられるなら、やってごらん!の思いだった。
27日には偶然にも群馬からアコーディオンをもって『ふるさと』を歌いにきたグループと出会い、合同で、歌い歩き、28日には別館の出入り口で昼休みで出入りする経産省職員に福島の佐々木さんの肝いりで『ふるさと』大合唱を浴びせることができた。
そして、最終日の29日、日比谷公園で最後の挨拶のあとに福島の武藤類子さんが皆で大合唱を呼びかけ、インディアンフルートの先導で曲が始まると、自然にあちこちから歌が始まり、それにつられ自然にその場の全員での大合唱となった。この場の雰囲気は福島も東京も女性も男性も、ふるさとを、命を守ろうという思いでひとつになったと思う。ふるさとを奪われた福島の人、子供を被爆から守りたい人、山河より利権優先に憤る人、それぞれの『ふるさと』への思いが交錯して、飛び交い、一つに収斂され、エネルギーとなった。歌う事で繋がったのだ。後でこの場の雰囲気を『ビルマの竪琴』を彷彿したという人もいた。
私自身は今回、武藤類子さんを始め、福島の女性達の器の大きさ、真剣さを痛いほど思い知った。東京側の勝手な面も全て受け止めてくれた彼女達の人間力はすごかったと思う。そして、子供達を放射能から守る福島ネットワークの椎名千恵子さんの作られた替え歌が今回のデモの趣旨を言い表しているので最後にご紹介したいと思う。(ひらいた ひらいたの節で)
繋がった、繋がった、女達が繋がった、経産省で繋がった、繋がったと思ったら
いつの間にか輪になった
しぼんだ、しぼんだ、日本の原発しぼんだ、世界の原発しぼんだ、しぼんだと思
ったらいつの間にか無くなった
開いた、開いた、何の花が開いた、命の花が開いた、命の花が開いた、開いたと
思ったら、世界中に飛び立った
たんぽぽ舎 合唱隊 内『ふるさと』を歌うデモの会 島田和子
★4.原発いらない福島の女たち~100人の座り込み~<怒 福島隊>
三人の福島の女性と意見交換しました。その要点の紹介
たんぽぽ舎 貝瀬友美
◯ 10月27日~29日、福島県の女性たちによる経済産業省前での座り込み抗議の幕が開いた。私は10時半頃霞が関駅に到着し、テントのある方に向かうと今日のために参加している人々がすでに大勢いました。テントで受付をして、目に飛び込んできたのは何本も立ち並ぶ『怒 福島隊』ののぼり旗と人々の列でした。晴天の太陽光に反射した大段幕のうねりが鮮やかに経済産業省を包囲していました。
少ししてからそれぞれ福島県の女性や、参加者からのスピーチの波があり、その後私たちは、群馬県の女性たちと合同で民謡の<ふるさと>を歌いながら経産省を取り囲んでいる人々を廻るとふたりの外国の男性が、持っている楽器で<ふるさと>を演奏しそれに合わせてその場にいた人たちと合唱しました。
◯ 午後は<ふるさと>を歌っている時に出会ったマダムのような女性と福島県在中の女性を探し、三春町から2人と、福島市から1人の三人の福島の女性と意見交換しました。三春町は福島第一原発から50キロのところに位置し、現在の平均の放射線量は0.2μSv/h~と、やや高めであり、福島原発寄りは0.8μSv/hあるといいます。
三春町では、一ヶ月前から一週間に一回、野菜、果物、お米など一品を無料で放射能測定する機関が設置され、きのこ、ビワの葉のセシウム濃度が高いとおっしゃいました。
また、葛尾村と富岡町は、三春町に小中学校を設立したとおっしゃいました。
三春町は3月15日、40才以下の住民にヨウ素剤を配布したことで翌日全国紙はヨウ素剤の人体への影響について批判的だったが、町はよくやった、と少しだけ安堵したように褒めていました。三春町から座り込みにきた女性の一人は、ダムの仕事に従事され、ダム湖の水が汚染されていないか心配だとおっしゃいました。
福島市から抗議に来られた女性は、通学路沿いのある住民の家の塀に生えたコケから、40μSv/hが測定され、行政がその後測定し、ほぼ同数値が計測されたため、その場所を写真に撮り原子力損害賠償支援機構に申請し、50万円の賠償金が支払われると伺いました。福島市の女性のご自宅の庭に草むしりした後の枯れ草を集積した位置では線量が高かったとおっしゃいました。
新聞や行政などからどこを除染すればいいとかの情報源がなく、行政は地域の状況を把握しているのか?何を考えているのか分からない。行政からの情報が全くないので結局自分達で除染するしかない、とおっしゃいました。
◯ 福島県内で100mSvまでは安全と宣言した山下教授については、最初は難しい言葉や聞き慣れない用語に、弱く「安全」の言葉が聞きたくて信じた。でも、今は山下出ていけ!という感じ。とおっしゃいました。
一日目の座り込みの最後、東電本店の所有地を国が全部買い取って、その土地に汚染焼却灰や汚染土壌等の放射性廃棄物を保管する永久貯蔵管理施設を設置するべきだとおっしゃいました。