『ほっととーく 103』より
◇ 不起立はささやかな抵抗である。
ST(東京都特別支援学校教員)
不起立は,ささやかな抵抗である。「君が代」が斉唱される間を座り続ける,という非暴力抵抗だからである。
今年度の入学式において,私は初めて不起立で戒告処分を受けた。
「10・23通達」が出た時には,私は,職務命令に従うべきか,従わないで座るべきかと悩んだのだが,同僚や管理職に説得され,不本意ながら従うことにした。ただし,何らかの形で抵抗を続けようと,2つの方法を選んだ。
一つは職場新聞を発行して「日の丸・君が代」について批判すること,もう一つは「予防訴訟」の原告になること,である。
2006年に東京地裁で予防訴訟の勝利判決が出た。それ以降の儀式的行事において,私が職務命令に従う義務は,無くなったのである。
しかし,3年の間に培われた習性とは恐ろしいものである。その年から卒業式の予行でも起立斉唱をやり始めたのだが,予行で起立斉唱をさせられた時には,私は座れなかった。
異端者と見られるのが怖かったのだろう。職場新聞で「日の丸・君が代」の強制について批判し,地裁から職務命令は違法である,との判決を得たのに,職務命令さえ出ていない予行の時点ですら,座れなかったのである。
卒業式当日は前任校の式に行くからと休暇を取ったが,それでも随分後悔した。これでは自分自身の思想や信念を捨てて生きることになってしまう,と。
2007年4月の入学式から,私は腹を決めた。ちょうど娘と同い年の中学部1年生を担任することになった。起立することはやめよう,と決心した。
2007年から昨年度まで,入学式と卒業式が合わせて8回あり,5回不起立したが現認されず,3回は会場外で過ごした。
2008年度は,私の勤めているあきる野学園に,根津公子先生が異動して来た。2009年3月の卒業式は,私と根津さんは数メートルと離れていない場所で,二人とも不起立だったにもかかわらず,副校長に不起立を現認されたのは根津さんだけだった。
式の後,「私も立たなかったのだ」と校長に言いに行ったら,校長は心底驚いた様子だった。副校長は私の不起立を見て見ぬ振りをしたのか,全く気づかなかったのか。いずれにせよ校長には伝わっていなかったようである。
結局私の不起立は都教委には報告されなかったが,次の入学式の時に会場の外で過ごさせられた。
現認されなかったにせよ,斉唱時に会場の外で過ごさせられたにせよ,それは不起立としては数えられない,と悟った私は,2010年3月の卒業式には,確実に処分されるべく方策を練った。まず,会場外に出されないよう,校長には「不本意ながら斉唱時に立つ」と伝え,不起立をした。
あきる野学園の教員数は百人を超す多さなので,副校長はあらかじめ不起立者のそばにいなければ現認できない。案の定,現認には来なかったので,その後,都教委の職員課に,不起立をしたとメールを送った。
翌日,校長は私を校長室に呼び出し,非常に不機嫌そうに,私に対して事情聴取を行ったが,結局処分はされなかった。
校長が定年退職を迎えて別の校長に代わった昨年度の入学式では駐車場係をさせられたが(卒業式は地震のため卒業学年のみで行われ,在校生担任の私は参加していない),今年度は,式揚外で,という話は出なかった。
今年度入学式で処分されたのは東京都では私一人だが,不起立者がゼロにならなかったのは,これまで不起立で闘った教員の蓄積があり,今なお不起立の潜在数があるからだと思う。
『ほっととーく』(103号 2011/9/17)
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