大塚一男さん86歳(おおつか・かずお=松川事件の主任弁護人)
3日、肺がんのため死去。葬儀は7日午前11時、東京都三鷹市上連雀2の5の13の法専寺同朋会館。喪主は妻ます子(ますこ)さん。
弁護士登録後間もない1949年8月、福島県松川町(現福島市)の東北線で列車が転覆し機関士ら3人が死亡した「松川事件」が発生。故岡林辰雄弁護士と共に、起訴された旧国鉄の労組幹部らの主任弁護人を務め、63年に最高裁で全員無罪を勝ち取った。日本弁護士連合会人権擁護委員長も務め、「島田事件」(54年)などの再審事件の弁護活動に取り組んだ。
毎日新聞 2011年9月4日 朝刊
‐――――――――――― ‐ ―――――――――――‐
下山事件、三鷹事件に続く鉄道事件として松川事件が起こされたのは1949年。
時を同じくして、日本政府は巧妙にGHQが行ったように見せかけて、“いわゆるレッドパージ”を強行し、4万人以上の若き労働組合員らを職場から追放した。
松川事件の翌日には内閣官房長官の増田甲子七が、三鷹事件等と「思想底流において同じものである」との談話を発表して世論を誘導し、捜査当局は当時の大量人員整理に反対し日本共産党の影響下にあった東芝松川工場労働組合と国鉄労働組合構成員の共同謀議による犯行と見込み捜査。
別件逮捕した少年の虚偽自白に基づいて、国労員及び東芝労組員合計20名を芋づる式に逮捕起訴。福島地裁は5人に死刑、無期懲役5人、他10人も有期懲役刑とした。
しかし、1959年に検察が隠していた「諏訪メモ」:労使交渉の出席者の発言に関するメモが発覚しアリバイが証明され、犯行の凶器とされた「自在スパナ」ではボルトを緩められないこともも判明し、
1961年8月8日、仙台高裁での差し戻し審で被告人全員無罪とさせた。
事件を支援した松本清張は、「いつまたこのような事件が起こるとも限らない」と記している。
21世紀の日本における冤罪ラッシュ・弾圧ラッシュは、当時を想起させる。
この弾圧の根を断ち切る鍵は、国際人権規約;自由権規約第一選択議定書=個人通報制度の批准である。
3日、肺がんのため死去。葬儀は7日午前11時、東京都三鷹市上連雀2の5の13の法専寺同朋会館。喪主は妻ます子(ますこ)さん。
弁護士登録後間もない1949年8月、福島県松川町(現福島市)の東北線で列車が転覆し機関士ら3人が死亡した「松川事件」が発生。故岡林辰雄弁護士と共に、起訴された旧国鉄の労組幹部らの主任弁護人を務め、63年に最高裁で全員無罪を勝ち取った。日本弁護士連合会人権擁護委員長も務め、「島田事件」(54年)などの再審事件の弁護活動に取り組んだ。
毎日新聞 2011年9月4日 朝刊
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下山事件、三鷹事件に続く鉄道事件として松川事件が起こされたのは1949年。
時を同じくして、日本政府は巧妙にGHQが行ったように見せかけて、“いわゆるレッドパージ”を強行し、4万人以上の若き労働組合員らを職場から追放した。
松川事件の翌日には内閣官房長官の増田甲子七が、三鷹事件等と「思想底流において同じものである」との談話を発表して世論を誘導し、捜査当局は当時の大量人員整理に反対し日本共産党の影響下にあった東芝松川工場労働組合と国鉄労働組合構成員の共同謀議による犯行と見込み捜査。
別件逮捕した少年の虚偽自白に基づいて、国労員及び東芝労組員合計20名を芋づる式に逮捕起訴。福島地裁は5人に死刑、無期懲役5人、他10人も有期懲役刑とした。
しかし、1959年に検察が隠していた「諏訪メモ」:労使交渉の出席者の発言に関するメモが発覚しアリバイが証明され、犯行の凶器とされた「自在スパナ」ではボルトを緩められないこともも判明し、
1961年8月8日、仙台高裁での差し戻し審で被告人全員無罪とさせた。
事件を支援した松本清張は、「いつまたこのような事件が起こるとも限らない」と記している。
21世紀の日本における冤罪ラッシュ・弾圧ラッシュは、当時を想起させる。
この弾圧の根を断ち切る鍵は、国際人権規約;自由権規約第一選択議定書=個人通報制度の批准である。