◆ 地震と原発事故情報 その157 ◆(8月30日)
★5.放射線基準の「暫定」って いつまで!?
責任逃れの詭弁 受忍強いる政府
緊急措置が恒常化…労働者より事故処理優先
誰が次の首相になっても、変わらないのは福島原発事故によるこの国と世界に広がった放射能汚染の現実だ。事故後、土地、水、食物、汚泥、原発労働者の被ばく線量などに暫定基準が設けられた。だが、暫定とはいうが、それはいつまでなのか。むしろ、暫定という言葉によって、半ば恒常化する汚染や責任問題がぼかされてはいないか。「暫定」は詭弁にすぎないという声も漏れ聞こえる。
世論の反発で基準改善も……。文部科学省は26日、福島県内の小中学校や幼稚園での屋外活動を制限する放射線量の基準値毎時3.8μシーベルトを廃止、新たな目安を毎時1μシーベルト未満とする方針を通知した。もし基準を超えても屋外活動を制限せず、除染で対応する。同省原子力災害対策支援本部は「基準値の3.8μシーベルトは今月下旬までの暫定的な考え方だった。福島県内で基準値を超える学校や幼稚園はなくなっていた」と説明する。だが、廃止の背景に保護者らの猛烈な反発があったことは疑いない。基準値の3.8μシーベルトは、年換算で20mシーベルトに相当する。国際放射線防護委員会(ICRP)が緊急時に浴びてもよいとしている年間放射線量20~100mシーベルトの下限だ。文科省が4月、この値を公表するや、保護者らは怒りを爆発させた。文科省は5月下旬、国内法で定められた一般人の年間被ばく線量限度「年1mシーベルト以下」を目指すことを示さざるを得なくなった。つり、今回の3.8μシーベルト基準値の廃止はその追認にすぎない。それでも、まれな「改善」ではある。世論の反発がなければ、ズルズルと「暫定」は続く。食品には事故直後の3月17日、暫定規制値が初めて設けられた。それまでは「安全神話」の下、規制値自体がなかった。
期間は1年…言葉濁す行政。放射性セシウムについては、飲食物から摂取できる量が年間5mシーベルトに制限され「飲料水」「野菜類」「コメなどの穀類」など5グループに1mシーベルトずつ割り当てられた。外部被ばくも含めて年間20mシーベルトを超えないという前提からの値だが、あくまで緊急時の基準だ。
一方、放射性物質が人体に与える影響を検討していた食品安全委員会は7月、生涯の累積線量を100mシ―ベルトに抑えるべきだとする答申案をまとめた。
パブリックコメントを経て正式に答申を受ければ、厚生労働省は基準を再検討するとしているが「生涯100mシーベルト」という漠然とした値に基づく作業は難航必至だ。いつまで「暫定」が許されるのか。厚労省基準審査課は「一年の放射線量で暫定基準値がつくられていることを考慮すれば、暫定の期間は一年という考え方はできるが、はっきりとは言えない」と言葉を濁す。(中略)
事故の収束作業に従事する労働者の被ばく線量も問題だ。事故の前まで緊急時の被ばく線量上限は100mシーベルトだったが、今回の事故に携わる労働者に限って250mシーベルトに引き上げられ、そのまま放置されている。厚労省労働基準局安全衛生部は「引き下げの検討は常にしているが、やみくもに下げれば、国民が期待する原子炉の安定化作業に支障が出る」と話す。しかし、実際には人手不足から上限引き上げも一時は検討された。労働者の健康よりも、事故処理を優先する政府の姿勢に変化は無い。避難の目安にもなっている年間20mシーベルトの積算数量について、矢ヶ崎克馬・琉球大名誉教授(放射線被害)は「ICRP」の基準(年1mシーベルト)自体が内部被ばくを無視し、人の健康より原発を運営する立場を優先してつくられているのに、その20倍も人を危険にさらす水準であって、到底許し難い数値だ」と憤る。
「食品についても、放射性セシウムでコメなど1kgあたり500ベクレルと巨大な値が設定されており『それ以下ならどんどん食べなさい』と宣伝しているのも同然。国民に受忍を強いて、被ばくを回避させる責任を放棄しているといわざるをえない。
主権在民をうたう国家として、やってはいけないことをやっている」政府は最近、福島第一原発から半径20km圏の警戒区域のうち、放射線量が極めて高い土地については国有化を視野に入れた検討を始めた。同区域の住民は事故直後に避難を指示され、4月には「警戒区域」が設定された。重度の汚染から「再び戻ることは難しい」という専門家の指摘は当初からあったが、この半年弱、政府は批判を恐れたのか、口をつぐんだまま。
その間、住民は生活再建の道を探ることもできず、無為に時間をすごすしかなかった。
こうした例をみれば、政府のいう暫定基準は本来の意味ではなく、汚染の長期化に伴う政府や東電への反発を恐れ、糊塗するまやかしではないかと勘繰りたくなる。(後略)
(東京新聞8月29日より抜粋)
★5.放射線基準の「暫定」って いつまで!?
責任逃れの詭弁 受忍強いる政府
緊急措置が恒常化…労働者より事故処理優先
誰が次の首相になっても、変わらないのは福島原発事故によるこの国と世界に広がった放射能汚染の現実だ。事故後、土地、水、食物、汚泥、原発労働者の被ばく線量などに暫定基準が設けられた。だが、暫定とはいうが、それはいつまでなのか。むしろ、暫定という言葉によって、半ば恒常化する汚染や責任問題がぼかされてはいないか。「暫定」は詭弁にすぎないという声も漏れ聞こえる。
世論の反発で基準改善も……。文部科学省は26日、福島県内の小中学校や幼稚園での屋外活動を制限する放射線量の基準値毎時3.8μシーベルトを廃止、新たな目安を毎時1μシーベルト未満とする方針を通知した。もし基準を超えても屋外活動を制限せず、除染で対応する。同省原子力災害対策支援本部は「基準値の3.8μシーベルトは今月下旬までの暫定的な考え方だった。福島県内で基準値を超える学校や幼稚園はなくなっていた」と説明する。だが、廃止の背景に保護者らの猛烈な反発があったことは疑いない。基準値の3.8μシーベルトは、年換算で20mシーベルトに相当する。国際放射線防護委員会(ICRP)が緊急時に浴びてもよいとしている年間放射線量20~100mシーベルトの下限だ。文科省が4月、この値を公表するや、保護者らは怒りを爆発させた。文科省は5月下旬、国内法で定められた一般人の年間被ばく線量限度「年1mシーベルト以下」を目指すことを示さざるを得なくなった。つり、今回の3.8μシーベルト基準値の廃止はその追認にすぎない。それでも、まれな「改善」ではある。世論の反発がなければ、ズルズルと「暫定」は続く。食品には事故直後の3月17日、暫定規制値が初めて設けられた。それまでは「安全神話」の下、規制値自体がなかった。
期間は1年…言葉濁す行政。放射性セシウムについては、飲食物から摂取できる量が年間5mシーベルトに制限され「飲料水」「野菜類」「コメなどの穀類」など5グループに1mシーベルトずつ割り当てられた。外部被ばくも含めて年間20mシーベルトを超えないという前提からの値だが、あくまで緊急時の基準だ。
一方、放射性物質が人体に与える影響を検討していた食品安全委員会は7月、生涯の累積線量を100mシ―ベルトに抑えるべきだとする答申案をまとめた。
パブリックコメントを経て正式に答申を受ければ、厚生労働省は基準を再検討するとしているが「生涯100mシーベルト」という漠然とした値に基づく作業は難航必至だ。いつまで「暫定」が許されるのか。厚労省基準審査課は「一年の放射線量で暫定基準値がつくられていることを考慮すれば、暫定の期間は一年という考え方はできるが、はっきりとは言えない」と言葉を濁す。(中略)
事故の収束作業に従事する労働者の被ばく線量も問題だ。事故の前まで緊急時の被ばく線量上限は100mシーベルトだったが、今回の事故に携わる労働者に限って250mシーベルトに引き上げられ、そのまま放置されている。厚労省労働基準局安全衛生部は「引き下げの検討は常にしているが、やみくもに下げれば、国民が期待する原子炉の安定化作業に支障が出る」と話す。しかし、実際には人手不足から上限引き上げも一時は検討された。労働者の健康よりも、事故処理を優先する政府の姿勢に変化は無い。避難の目安にもなっている年間20mシーベルトの積算数量について、矢ヶ崎克馬・琉球大名誉教授(放射線被害)は「ICRP」の基準(年1mシーベルト)自体が内部被ばくを無視し、人の健康より原発を運営する立場を優先してつくられているのに、その20倍も人を危険にさらす水準であって、到底許し難い数値だ」と憤る。
「食品についても、放射性セシウムでコメなど1kgあたり500ベクレルと巨大な値が設定されており『それ以下ならどんどん食べなさい』と宣伝しているのも同然。国民に受忍を強いて、被ばくを回避させる責任を放棄しているといわざるをえない。
主権在民をうたう国家として、やってはいけないことをやっている」政府は最近、福島第一原発から半径20km圏の警戒区域のうち、放射線量が極めて高い土地については国有化を視野に入れた検討を始めた。同区域の住民は事故直後に避難を指示され、4月には「警戒区域」が設定された。重度の汚染から「再び戻ることは難しい」という専門家の指摘は当初からあったが、この半年弱、政府は批判を恐れたのか、口をつぐんだまま。
その間、住民は生活再建の道を探ることもできず、無為に時間をすごすしかなかった。
こうした例をみれば、政府のいう暫定基準は本来の意味ではなく、汚染の長期化に伴う政府や東電への反発を恐れ、糊塗するまやかしではないかと勘繰りたくなる。(後略)
(東京新聞8月29日より抜粋)