「「米国はなぜ2発の原爆を投下したのか」(Ⅰ)」  ⅩⅤフクシマ原発震災
 『Peace Philosophy Centre』
▼ 藤岡惇「米国はなぜ2発の原爆を投下したのか」(Ⅰ)
 Atsushi Fujioka: Why the US Dropped Two Abomic Bombs

 これは昨年11月18日投稿でも紹介した、藤岡惇さん(立命館大学経済学部教授)の論文の改訂版です。『立命館経済学』2011年3月号に掲載されました。
 藤岡さんと、アメリカン大学のカズニックさんが共同で学生を引率する広島・長崎の旅は今年で17年目を迎えます。今年は、カズニックさんと鹿児島大学の木村朗さんの共著本の出版を記念し、8月8日長崎で公開セミナーも開催します。
 よく原爆は戦争を終結するために必要だったとか、アメリカでは、原爆によって人命を救ったかのような屈折した論法が使われていますが、歴史資料をひも解くと、終結を早めるどころか、アメリカは実は原爆を投下するために戦争終結を遅らせたことが分かってきています。藤岡さんの論考は、複雑な原爆投下の背景について理解を深めることができるものと思います。(PPC 乗松聡子)

 ▼  米国はなぜ2発の原爆を投下したのか
 ―――ヒロシマ・ナガサキの悲劇の教訓

     藤岡 惇

 「日本が下劣な野心を貫こうとして行った犯罪を私が弁護しようとしている、と早合点しないでください。違いは程度の差にあったのです。日本の強欲のほうがいっそう下劣であったとしましょう。しかし日本が、どんなに下劣であったとしても、日本の特定地域の男、女、子供たちを、情け容赦もなく殺してしまうという下劣なことをやってよい権利はだれにも与えられていなかったのです。」
 (M.K.ガンジー「原子爆弾 アメリカと日本」『ハリジャン』1946年7月7日)

 ■ はじめにーー20世紀の最重要事件としての原爆投下
 広島・長崎への原爆投下から65年の歳月がたちました。広島・長崎への原爆投下が、世界史的にいかに強烈なインパクトを与えてきたのかを感じとっていただくために、二〇世紀の最後の年(1999年)に行なわれた2つのアンケート調査の結果を紹介しましょう。
 第一の調査は、メディア各界の設立した博物館として有名なワシントンの「ニュージアム」の企画したものです。二〇世紀の事件のなかでもっとも重要だった出来事を67人のベテラン・ジャーナリストにランキングしてもらい、上から百位を発表する趣向でした。彼らが第1位にノミネートしたのは何か。それは広島・長崎への原爆投下という事件だったのです。
 もう一つの調査は、ニューヨーク大学ジャーナリスト学部のおこなったものです。米国の報道作品のなかで、過去百年の中でもっとも優秀な作品とは何かを36人の専門家(うち19人はジャーナリスト学部の教授陣、他の17人は報道関係者)に問うたものです。
 ランキングのトップに立ったのは、ジョン・ハーシーのルポルタージュ『ヒロシマ』でした。
 1946年に文芸雑誌に掲載されたこの作品は、アインシュタインやパール・バックに激賞され、ベストセラーとなって一世を風靡しました。8人の被爆者の肉声によりそう形で原爆投下後の真実を生き生きと再現したがゆえに、ジョン・ハーシーの本は、今なお米国人の良心につきささる鋭いとげとなっているのです。1)

 ■ 16回目を迎えた「平和巡礼の旅」
 1995年以来毎年8月になると、私は、アメリカン大学のピーター・カズニック教授(以下ピーターと略)と組んで、日米カナダの学生たち30-50名とともに、京都・広島・長崎を巡る「原爆学習の旅」をおこなってきました。
 1996年以降は、被爆者でアメリカン大学の卒業生でもある近藤紘子さんが、2006年以降になるとカナダから乗松聡子さん(ピースフィロソフィー・センター代表)が講師陣に加わっています。近藤紘子さんは、25名の「原爆乙女」渡米治療運動リーダー(谷本清牧師)の長女であり、先に紹介したジョン・ハーシーの『ヒロシマ』に登場する最年少の被爆者です。
 第16回目となった2010年度も、8月1日から10日の旅程で、総勢48名(米国の学生17名、カナダの学生2名、イタリアの学生1名、中国の学生3名、日本の学生16名、先輩の学生リーダー4名、教職員5名)の参加で、成功させることができました。過去に参加した先輩学生や卒業生たちも集まってきますので、ことしも参加者総数は60名を越えました。2)
 「原爆学習の旅」とは、被爆した死者を慰霊し、自らの生き方を問う旅でもありますから、「平和巡礼」の旅だと言うこともできます。「学びと巡礼の旅」のなかで、議論し、解明してほしいと願うのは、端的に言えば、つぎの3つの問題です。
 広島の平和公園には、「安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから」という碑文がありますが、
  ①「過ち」とは何ですか。
  ②「繰り返しませぬから」という文章の主語は誰ですか。
  ③「繰り返しませぬ」という誓いは、どうしたら実現できるのでしょうか、
 という3つの問題なのです。

 ■ 原爆投下はなぜ必要だったのかーー米国支配層のあげる6つの論拠
 なぜ米国は2発の原爆を広島・長崎にたてつづけに(なか2日をはさむだけで)、投下したのでしょうか。終戦を早めるためのやむをえない措置(必要悪)として是認すべきなのか、それとも悪質な戦争犯罪として断罪すべきものなのかという論点が、毎年、ホットな討論テーマとなります。かりに原爆投下を戦争犯罪とみなしたばあい、トルーマンたちの責任は、どの程度のものなのか。1千万人以上のユダヤ人や共産主義者のホロコースト(絶滅的殺害)をおこなったヒットラーの責任とトルーマンの責任とはどちらが重いのかといった論点にもつながっていきます。
 広島に原爆を投下したB29爆撃機は、エノラ・ゲイという名称がつけられていましたが、随伴した91号機には「エッセンシャル・イーブル」(必要悪)という名称がつけられていました。この名称が示すように、2発の原爆投下は終戦を早めるためのやむをえない「必要悪」にほかならず、「より大きな善」を実現するための「小さな悪」として是認されるべきだというのが、過去65年間の米国政府の一貫した姿勢です。
 彼らの主張を支えているのは、つぎの6つの論拠というか、国定の「神話」です。
 第1の神話は次のようなものです。もし本土上陸作戦を連合軍が敢行したばあい、50万人から百万人の米軍兵士が死亡したことだろう(当初の国防省の見積もりは4・6万人だったのですが、論争のなかで増えつづけ、1947年のスティムソンの投下正当化論文ではついに百万人となったのですが)。3) 日本の降伏を早め、百万人の米軍兵士の命を救うために、米軍はやむなく原爆を投下せざるをえなかったというものです。そのおかげで結果的には、それ以上の数の日本人やアジア人の命も救われたのであり、2発の原爆で30万人が死亡したとしても、見返りに日米あわせると200万人以上の人命が救われたことになる。したがって原爆投下は、「より小さな悪」として是認されるべきだという主張になります。
 2つめは、矢つぎばやに投下された2発の原爆は日本政府を降伏させるうえで効果的な役割りを果たしたという神話です。原爆投下は日本の降伏を促進した。もし原爆なかりせば、日本軍は長期間抵抗したし、本土決戦は不可避となっただろうというわけです。
 第3に、もし原爆投下をしなければ、8月9日に対日参戦を開始したソ連軍によって、日本帝国は蹂躙され、日本本土の一部もソ連によって占領される事態となっただろう。原爆投下によって、日本の分割占領という「悪夢」が避けられたわけだから、是認されてしかるべきだという神話です。
 第4に、連合国は7月26日にポツダム宣言を発して、日本に降伏を勧告しましたが、日本の鈴木貫太郎内閣は、ポツダム宣言を「黙殺」すると称して、事実上の「拒否」回答をおこなった。この理不尽な日本政府の回答にたいする「報復」として、原爆を投下したわけだから、是認できるという神話です。
 第5に、軍事都市として有名な広島と長崎の軍事施設を主要なターゲットにして、米軍は原爆を投下したのであるから、日本の継戦能力を破壊するための措置として、是認されてしかるべきだという神話です。
 最後に6番目の神話となりますが、日本帝国は1931年以来、中国や東南アジアの領土を侵略し、米国の真珠湾を奇襲攻撃するなどの侵略行為を繰り返してきた。この長年の罪業にたいする報復として、原爆が投下されたのだ。したがってこれは、自らが招いた災難であり、自業自得というべきだ。この点の自省を欠いた原爆投下責任の追及は片手落ちと言うべきだ。原爆投下は、日本帝国の魔手から抑圧されてきた諸国・諸民族を解放する戦いの一環であったという意味で是認されるべきだというものです。
 これらの6つの論拠(神話)が正しいものかどうかを、以下、吟味・検証していきたいと思います。

   (続)

『Peace Philosophy Centre』(Tuesday, July 26, 2011)
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/07/atsushi-fujioka-why-us-dropped-two.html

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