◎ 5・13「国際人権学習会」に参加して
賀谷患美子(藤田先生を応援する会)
以下は、5月13日夜、文京区民センターで開かれた国際人権プロジェクトチーム主催の学習会「国際人権の視点からみた『日の丸・君が代』強制問題」の報告である。
最高裁には、国際人権基準からの見直しを求めて、欧州法律専門家意見書や自由権規約19条(表現の自由)に関する一般的意見34に基づく補充書も提出している。
日本の司法に絶望しても、ここで諦めるわけにはいかない。国連人権条約の解釈・運用状況、審査制度に関する知識を深め、今後に備える必要があると思う。
学習会の講師は、国際人権条約やNGO活動に詳しい山梨学院大学法科大学院教授の荒牧重人氏。人権条約の基礎知識から委員会への訴え方まで、詳細なレジュメを基に幅広い領域を短時間で、わかりやすく解説していただいた。
重要なのは、人権条約の実施状況を検証する仕組みとしての定期的報告制度。各人権委員会は締約国が提出する政府報告を詳細に審査し、「総括所見」という形で勧告を出す。法的拘束力はないが、各国政府は勧告を尊重し人権状況の改善を図ることが求められる。
特に強調されたのは、NGOの重要性。NGOは国際人権機関のパートナーとして位置付けられ、市民活動による監視・提言を盛り込んだNGOレポートは委員会の審査に重要な役割をもつという(この会でも08年「民の声レポート」に参加)。
また、社会権規約や子どもの権利条約等は、「教育への権利」を保障するものであり、単にアクセスの平等や条件整備だけではなく、目的規定にふさわしい教育が実践に反映されていなければならない。権力による教育の独占・濫用に歯止めをかける指針となると指摘。
最後に、「日の君」強制問題を人権条約の観点から論じる際、どのような論理組み立てが委員会に対して説得力をもつかに関して、提案もなされた。
NGOレポートでは「日の君」強制が条約違反であることが再三指摘されていながら、これまで「総括所見」がこの問題を取り上げた事はない。委員の間にも『国旗・国歌』尊重意識があることから、問題の深刻さが十分理解されていない可能性があり、日本の状況を丁寧に説明する必要があるという。
なぜ教師が強制に反対するのかは、「権利の主体としての教師」というよりむしろ、「子どもの権利、教育への権利保障の担い手としての教師」という側面を強調した方が、委員の説得には効果的ではないか、と荒牧氏は提案する。
つまり、「子どもの権利侵害を排除しようとする教師の行為は、その職責上必要かつ正当な行為であって、処分等に値しない」という主張の仕方である。
この点については、後に参加者から、「なぜ、教師自身の思想・良心の自由の問題としてたてられないのか」という質問があった。荒牧氏は、厳しい現状に対応した戦術上の私見にすぎない、と対応。
国際社会と共に日本国内でもNGOが互いにネットワークを組みながら勧告や条約の履行を政府に迫っていくフォロー・アップ活動が重要であり、自身も政府に条約実行のシステム作りを働きかけている、と結んだ。
彼の話には終始、私たちが感じている現状への憤りと危機意識に対する共感が滲み出ていて、研究者として高みから見下ろすのではなく、同じ目線に立つ人間としての誠意を感じた。
最後に、「藤田先生を応援する会」の運動は、7日の最高裁判決を持って終わるのではなく、むしろ、新たなスタート地点にたつ、ととらえた方がよいかもしれない。「意見を持つ自由」とそれを「表現する自由」は、民主主義社会の基盤となる権利であり、政治的意図による権利の剥奪や刑事罰化は許されない。個人通報制度はまだ実現していないが、国際人権条約を挺子に裁判の不当性を国内外に向けて広く訴えていきたい。
『藤田先生を応援する会通信』(2011/7/10 第48号)
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
賀谷患美子(藤田先生を応援する会)
以下は、5月13日夜、文京区民センターで開かれた国際人権プロジェクトチーム主催の学習会「国際人権の視点からみた『日の丸・君が代』強制問題」の報告である。
最高裁には、国際人権基準からの見直しを求めて、欧州法律専門家意見書や自由権規約19条(表現の自由)に関する一般的意見34に基づく補充書も提出している。
日本の司法に絶望しても、ここで諦めるわけにはいかない。国連人権条約の解釈・運用状況、審査制度に関する知識を深め、今後に備える必要があると思う。
学習会の講師は、国際人権条約やNGO活動に詳しい山梨学院大学法科大学院教授の荒牧重人氏。人権条約の基礎知識から委員会への訴え方まで、詳細なレジュメを基に幅広い領域を短時間で、わかりやすく解説していただいた。
重要なのは、人権条約の実施状況を検証する仕組みとしての定期的報告制度。各人権委員会は締約国が提出する政府報告を詳細に審査し、「総括所見」という形で勧告を出す。法的拘束力はないが、各国政府は勧告を尊重し人権状況の改善を図ることが求められる。
特に強調されたのは、NGOの重要性。NGOは国際人権機関のパートナーとして位置付けられ、市民活動による監視・提言を盛り込んだNGOレポートは委員会の審査に重要な役割をもつという(この会でも08年「民の声レポート」に参加)。
また、社会権規約や子どもの権利条約等は、「教育への権利」を保障するものであり、単にアクセスの平等や条件整備だけではなく、目的規定にふさわしい教育が実践に反映されていなければならない。権力による教育の独占・濫用に歯止めをかける指針となると指摘。
最後に、「日の君」強制問題を人権条約の観点から論じる際、どのような論理組み立てが委員会に対して説得力をもつかに関して、提案もなされた。
NGOレポートでは「日の君」強制が条約違反であることが再三指摘されていながら、これまで「総括所見」がこの問題を取り上げた事はない。委員の間にも『国旗・国歌』尊重意識があることから、問題の深刻さが十分理解されていない可能性があり、日本の状況を丁寧に説明する必要があるという。
なぜ教師が強制に反対するのかは、「権利の主体としての教師」というよりむしろ、「子どもの権利、教育への権利保障の担い手としての教師」という側面を強調した方が、委員の説得には効果的ではないか、と荒牧氏は提案する。
つまり、「子どもの権利侵害を排除しようとする教師の行為は、その職責上必要かつ正当な行為であって、処分等に値しない」という主張の仕方である。
この点については、後に参加者から、「なぜ、教師自身の思想・良心の自由の問題としてたてられないのか」という質問があった。荒牧氏は、厳しい現状に対応した戦術上の私見にすぎない、と対応。
国際社会と共に日本国内でもNGOが互いにネットワークを組みながら勧告や条約の履行を政府に迫っていくフォロー・アップ活動が重要であり、自身も政府に条約実行のシステム作りを働きかけている、と結んだ。
彼の話には終始、私たちが感じている現状への憤りと危機意識に対する共感が滲み出ていて、研究者として高みから見下ろすのではなく、同じ目線に立つ人間としての誠意を感じた。
最後に、「藤田先生を応援する会」の運動は、7日の最高裁判決を持って終わるのではなく、むしろ、新たなスタート地点にたつ、ととらえた方がよいかもしれない。「意見を持つ自由」とそれを「表現する自由」は、民主主義社会の基盤となる権利であり、政治的意図による権利の剥奪や刑事罰化は許されない。個人通報制度はまだ実現していないが、国際人権条約を挺子に裁判の不当性を国内外に向けて広く訴えていきたい。
『藤田先生を応援する会通信』(2011/7/10 第48号)
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫