事故の原因は津波による全交流電源喪失? + 女川原発を襲った3・11の地震に関して

□7月10日(日)、東京・お台場の日本科学未来館で開かれた公開フォーラム『福島原発震災の真実』に参加しました。
柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会(代表=井野博満東京大学名誉教授)が主催し、原子力資料情報室、高木学校、高木仁三郎市民科学基金が協力して開催されたこの長時間(10:30~18:40)に渡る公開フォーラムは、急な呼びかけだったにも関わらず参加者が300人を超える盛会となりました。
□わたしにとって宮城県外に出かける3・11後はじめての機会となったこの集会は、福島第一原発の事故後、東京電力と政府が自分たちの側に都合よく単純化して列島住民に示してきた今回の事故の原因を根本から考え直してみるよい機会となりました。
「いまもなお、東電と国は、福島第一原発事故が大津波による全交流電源喪失によってもたらされたものであるとする一方、地震との関係で安全上重要な機器が損傷を蒙ることはなかったとしている。
しかし、これまでに東電が公表した各種データから判断して、とくに1号機の場合、地震発生直後に、原子炉系配管損傷による小規模ないし中規模の冷却材喪失事故が起きていた可能性がきわめて高い。
さらに、MarkⅠ型格納容器に特有の『未解決の安全問題』により、圧力抑制室の構造あるいは機能が、地震(本震や余震)時に破壊されたり機能喪失に陥ったりした可能性が高い。MarkⅠ型格納容器は、福島原発以外にも、浜岡原発の2基を含め現在10基の原発で使われている(女川原発の3基もこの型-筆者注-)。少なくともそれらの原発は、耐震安全性が十分に確認されるまで運転されてはならない。
地震による影響を解析条件から恣意的に排除している東電の『シミュレーション解析』は悪しきシミュレーションであり、実測値と大きく乖離した解析結果が、その何よりの証拠である」
レジュメにある御自身のこの要約を、3・11後部分的に公表された東電のデータで裏付けた田中三彦さん(サイエンスライター、元原子炉圧力容器設計者)のセッションⅠ冒頭の講演「福島原発事故の真相」は、この日の圧巻だったと言えます。
□セッションⅢ「いま改めて問う日本の原発の危険性」の石橋克彦さん(神戸大学名誉教授)の講演「地震の問題」も、大変貴重なお話でした。
以下は、セッションⅳ「新潟での経験を踏まえて」の金子貞夫さん(長岡市在住、原発からいのちとふるさとを守る会)と武本和幸さん(刈羽村在住、原発反対刈羽村を守る会)のたいへん興味深いお話に引き続いて行なわれた「全体討論の部」での私の質問に対する石橋克彦さんの回答です。
そのお話は、ユーストゥリームを聞いて文字化しているいまも切実に心に響く、そのようなお話でした。
「まずですね、『女川原発の基準地震動、耐震安全性についても、福島第一原発と同様のことが言えるのでは?』という御質問です。実はわたくし、女川原発がプラントとしてどういう損傷を受けたか受けなかったかとかいう現状をちゃんと把握していませんので、『福島第一原発と同様のことが』という意味もちょっとよくは分かりませんけれども、少なくとも地震の揺れという点では女川原発も基準地震動を超える揺れを受けた訳で、それからあの4月7日の23時32分ですか、余震ですね(マグニチュード)7.0の宮城県沖の。これは3・11の本震とは違うタイプの地震なんです。沈み込んだ太平洋プレートの中で起こったスラブ内地震というものですけども。それによっても基準地震動を超えたんですよね。だから、全く同じ問題、つまり耐震設計審査指針の不備あるいは・・・、まぁ耐震設計審査指針はあんまり細かいことまでは書いてないんで、むしろそれを適切に運用するっていうことが大事なんですけども、それに基づいたバックチェックの不備というのは、もう非常にはっきり女川でも現れていると思います。スラブ内地震というものの想定をもっと高くしなければいけないっていうことをわたくしは指針の検討の段階でずいぶん言ってましたけども、本当に甘く見ていた結果だと思います」
(つづく)

2011年7月13日
日下郁郎 | 分類: 東日本大震災と原発

原子力発電を考える石巻市民の会HP
http://shiminnokai.info/cat58/post-33.html