◎ 裁判考
宮坂明史(嘱託採用拒否撤回裁判原告)
5月30日の南葛定嘱託採用拒否裁判判決から始まって本日の板橋高校卒業式裁判判決まででたしか7件、14日の解雇裁判・北九州ココロ裁判判決まで入れると実に九件もがどれも上告棄却という判決で、この一ヶ月半の間に矢継ぎ早に出されている。誰かがこれを最高裁による在庫一掃セールと言っていたが、私には溜まったごみを端から掃き出しているように見える。
こうした現象は、最高裁がいかに政治的判断で動いているかということを表している。基本的には秩序維持意識で凝り固まっているのだろうが、国政や都政の動向、政局を睨みながら出す時期を窺っていたとしか考えられない。いずれにしても政界や官界とは独立して真摯に審議を尽くすといった三権分立のタテマエからは程遠く、行政の尻拭いをしているだけの、これがこの国の司法の実態だと残念ながら思わざるを得ない。
6月6日の採用拒否撤回裁判判決で反対意見を表明した宮川裁判官は、今回の板橋高校卒業式裁判では単なる補足意見を出したにとどまり、その内容はまだ判決文がないので分からないが、反対を表明してない以上期待外れに終わったとしか言いようがない。
採用拒否裁判の判決で見る限り、宮川反対意見は私たちの主張を良く理解し勇気を持って主張していると思う。<およそ精神的自由権に関する問題を、一般人(多数者)の視点からのみ考えることは相当ではない>と、当たり前のこととはいえ、くだらない判決文にうんざりしていると実に清新に目に入ってくる。
他にも紙面さえ許せば取り上げたい部分はいくらでもあるが、ただそうした中で<多数意見が指摘するとおり、式典において国旗の掲揚と国歌の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であるが、少数者の人権の問題であるという視点からは、そのことは本件合憲性の判断にはいささかも関係しない。>といった文を目にすると、複雑な気持ちを抱いてしまうのも事実である。
もちろんこれは、少数者の人権に対する正しい認識に基づいた非常に見識のある意見である。ただそれでも、広く行われていたことは周知の事実であると言われると、引っかかるものを感じる。広く行わせるために一九九〇年代以降、文部省や各地の教育委員会が行ってきた数々の強圧的な行政とそれに伴う混乱がこうした言い方では抜け落ちてしまうのだ。
さらに、たしかにそうした過程を経て広く行われるようになったとして、<国旗に対する敬礼や国歌を斉唱する行為は、私もその一員であるところの多くの人々にとっては心情から自然に、自発的に行う行為であり、式典における起立斉唱は儀式におけるマナーでもあろう。>というのは、かなりの飛躍がある。もちろんこの文も<しかし、そうではない人々が>と少数者の思想を積極的に評価する文に続くものであるのだが、<心情から自然に、自発的に>と言われるとちょっと待てと言いたくなる。
人は、強制され嫌々ながらしていることでも、嫌々ながらでは辛いのであたかも自発的であるかのように思い込む、もしくはおかしいと思い続けることはくたびれるので考えることを放棄する、そうした性向に端から疑問や思考もなく公のやることに間違いはないといった伝統的なお上意識も加わり、それらが一体となって一つの潮流が生じる。やがて潮流は自然現象となり、国旗掲揚も国歌斉唱もごく当たり前の風景となり風俗となっていく。<心情から自然に、自発的に>ということの内実はこんなものではないだろうか。
私は宮川反対意見を批判しているのではなく、実に正当な意見でもちょっとした隙があると自ら陥穽にはまってしまう思考の恐ろしさを言っているつもりである。
もともと学校行事に「日の丸・君が代」が持ち込まれること自体が問題で、私はそれを政治的力や組合運動で跳ね返せないままに10・23通達を迎え仕方なく裁判に訴えたわけだが、その裁判の枠内に当てはまる形で、例えば「わずか四十秒、静かに座っていただけである。」とか「日の丸や君が代に賛成の人もいれば反対の人もいる。強制することが問題なのだ。」といった言辞が使われる。
初めから負けるつもりで提訴するわけではないからこうした言い方自体を否定するつもりはないが、こうした言葉の隙から思考の風化が始まることを恐れる。
たとえ強制がなくとも、やはりこの国に「日の丸・君が代」が市民権を得て存在するのは、おかしいことであり異常なことであると思う。
言葉足らずでうまく表現できないが、裁判の勝敗とは関係なく、常にこの社会で異議申し立てを続けていくと同時に、何に対しての異議申し立てなのかを常に自身に問い続けていくことの必要性を今更ながら感じている。
『藤田先生を応援する会通信』(2011/7/10 第48号)
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
http://wind.ap.teacup.com/people/
宮坂明史(嘱託採用拒否撤回裁判原告)
5月30日の南葛定嘱託採用拒否裁判判決から始まって本日の板橋高校卒業式裁判判決まででたしか7件、14日の解雇裁判・北九州ココロ裁判判決まで入れると実に九件もがどれも上告棄却という判決で、この一ヶ月半の間に矢継ぎ早に出されている。誰かがこれを最高裁による在庫一掃セールと言っていたが、私には溜まったごみを端から掃き出しているように見える。
こうした現象は、最高裁がいかに政治的判断で動いているかということを表している。基本的には秩序維持意識で凝り固まっているのだろうが、国政や都政の動向、政局を睨みながら出す時期を窺っていたとしか考えられない。いずれにしても政界や官界とは独立して真摯に審議を尽くすといった三権分立のタテマエからは程遠く、行政の尻拭いをしているだけの、これがこの国の司法の実態だと残念ながら思わざるを得ない。
6月6日の採用拒否撤回裁判判決で反対意見を表明した宮川裁判官は、今回の板橋高校卒業式裁判では単なる補足意見を出したにとどまり、その内容はまだ判決文がないので分からないが、反対を表明してない以上期待外れに終わったとしか言いようがない。
採用拒否裁判の判決で見る限り、宮川反対意見は私たちの主張を良く理解し勇気を持って主張していると思う。<およそ精神的自由権に関する問題を、一般人(多数者)の視点からのみ考えることは相当ではない>と、当たり前のこととはいえ、くだらない判決文にうんざりしていると実に清新に目に入ってくる。
他にも紙面さえ許せば取り上げたい部分はいくらでもあるが、ただそうした中で<多数意見が指摘するとおり、式典において国旗の掲揚と国歌の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であるが、少数者の人権の問題であるという視点からは、そのことは本件合憲性の判断にはいささかも関係しない。>といった文を目にすると、複雑な気持ちを抱いてしまうのも事実である。
もちろんこれは、少数者の人権に対する正しい認識に基づいた非常に見識のある意見である。ただそれでも、広く行われていたことは周知の事実であると言われると、引っかかるものを感じる。広く行わせるために一九九〇年代以降、文部省や各地の教育委員会が行ってきた数々の強圧的な行政とそれに伴う混乱がこうした言い方では抜け落ちてしまうのだ。
さらに、たしかにそうした過程を経て広く行われるようになったとして、<国旗に対する敬礼や国歌を斉唱する行為は、私もその一員であるところの多くの人々にとっては心情から自然に、自発的に行う行為であり、式典における起立斉唱は儀式におけるマナーでもあろう。>というのは、かなりの飛躍がある。もちろんこの文も<しかし、そうではない人々が>と少数者の思想を積極的に評価する文に続くものであるのだが、<心情から自然に、自発的に>と言われるとちょっと待てと言いたくなる。
人は、強制され嫌々ながらしていることでも、嫌々ながらでは辛いのであたかも自発的であるかのように思い込む、もしくはおかしいと思い続けることはくたびれるので考えることを放棄する、そうした性向に端から疑問や思考もなく公のやることに間違いはないといった伝統的なお上意識も加わり、それらが一体となって一つの潮流が生じる。やがて潮流は自然現象となり、国旗掲揚も国歌斉唱もごく当たり前の風景となり風俗となっていく。<心情から自然に、自発的に>ということの内実はこんなものではないだろうか。
私は宮川反対意見を批判しているのではなく、実に正当な意見でもちょっとした隙があると自ら陥穽にはまってしまう思考の恐ろしさを言っているつもりである。
もともと学校行事に「日の丸・君が代」が持ち込まれること自体が問題で、私はそれを政治的力や組合運動で跳ね返せないままに10・23通達を迎え仕方なく裁判に訴えたわけだが、その裁判の枠内に当てはまる形で、例えば「わずか四十秒、静かに座っていただけである。」とか「日の丸や君が代に賛成の人もいれば反対の人もいる。強制することが問題なのだ。」といった言辞が使われる。
初めから負けるつもりで提訴するわけではないからこうした言い方自体を否定するつもりはないが、こうした言葉の隙から思考の風化が始まることを恐れる。
たとえ強制がなくとも、やはりこの国に「日の丸・君が代」が市民権を得て存在するのは、おかしいことであり異常なことであると思う。
言葉足らずでうまく表現できないが、裁判の勝敗とは関係なく、常にこの社会で異議申し立てを続けていくと同時に、何に対しての異議申し立てなのかを常に自身に問い続けていくことの必要性を今更ながら感じている。
『藤田先生を応援する会通信』(2011/7/10 第48号)
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
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