【大波小波】(2011/6/3)
 ◆ 歌が強制される時代

 公立学校の卒業式で「君が代」斉唱の際、教職員に起立を求めた校長の職務命令が違憲がどうかが争われた裁判で、最高裁が初判断を示した。合憲だと言う。懲戒処分取り消しや損害賠償請求など、多くの訴訟を抱える東京都教委は胸を撫で下ろしているだろう。

 しかし都の教育委員だった米長邦雄がかつて、園遊会で「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と発言したのに対し、天皇陛下は「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」と応えていた。
 棋士よりも陛下の方が、よほど歌の心というものに通じている。

 古今和歌集の仮名序は「やまとうたは、人の心を種として、よろづのことの葉とぞなれりける」の一文から始まっている。
 歌は決して外側から強制されるべきものでなく、心の中から自然に湧きあがるようにしてうたわれるものだ。そして「君が代」の元型の初出はこの古今集とされている。


 敗訴した原告の元都立高教諭は「自分は都知事よりよほど日本を愛している」と述べている。愛し方にもいろいろある、ということだ。
 「愛国教育」はそこを見誤っている。愛も歌も、無理強いされるところからは決して生まれないのだから。(ホドトギス)

『東京新聞』(2011/6/3【大波小波】)

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