そうしてその状況を具体的に知るにつれ、福島県が福島第一原発や第二原発の周囲に設置しているモニタリングポスト(空間放射線量の自動観測局)の停止の理由やそれぞれの復旧状況などが気になってもきました。
今日インターネットで調べてみて、朝日新聞が3月14日午前10時過ぎのニュースでこのことに関して報じていたことを初めて知りました。
記事には「地震後(1箇所を除く)すべて(のモニタリングポスト)からデータを送れなくなった。停電が理由と見られる」、「文部科学省は急遽、移動観測車3台と専門家を派遣し、13日午前から計測を始めた。放射性物質を含むガスが広く拡散する心配もあり、各都道府県にも1時間に1回、測定データ報告するよう依頼した」とあります。
これで、福島でも地震直後に宮城と似たようなことが起きていたことがわかりました。
ただし、一つだけ違うのは、福島では地震後も1箇所のモニタリングポストが曲がりなりにも機能してきたことです。
目視で(このモニタリングポストそのものの測定値の―筆者の推測)数値を読めるというのです。
福島県原子力センターの「環境放射線一覧」を検索すると、その「一つ」が県の原子力センターのある大熊町大野のモニタリングポストであろうことがわかります。
http://www.atom-moc.pref.fukushima.jp/dynamic/C0014-PC.html
第一原発から5キロの原子力センターも、宮城とは違って壊滅してはいないのでしょうか。
それぞれのモニタリングポストからの通信がいつ途絶したかは、上の「一覧」の地点地点をクリックするとわかります。
4時半を過ぎたころには、大野のモニタリングポストを除くすべてからの通信が途絶えています。
大野のモニタリングポストからの通信も、翌12日の正午ごろには途絶えました。
第一原発と第二原発のそれぞれのモニタリングポストの正確な位置と海岸からの距離は、同じく福島県原子力センターのホームページにある下図からわかります。
11日の午後4時半を過ぎたころに大半のモニタリングポストからの通信が途絶したということは、それらが地震そのものや津波では破壊されていないことを示しているのでしょうか。
大半のモニタリングポストは電気が通じさえすれば動くのでしょうか。
20キロ圏内に避難指示が出されたので復旧できないでいる、ということなのでしょうか。
それらが早急に復旧されていれば、つまりそれらのある地点地点の放射線量がその時点から測定できていれば、SPEEDI(スピーディ=緊急時迅速放射能影響予測)ネットワークシステムによる10キロ圏外の影響予測についてもその時から正確にできたのではないでしょうか。
実情を知りたいものです。
日下郁郎 | 分類: 東日本大震災と原発