原子力発電を考える石巻市民の会ブログより
2011年3月10日
三陸沖でM7.3のプレート間地震発生
― 想定宮城県沖地震との関連は ―
きのう昼少し前、大きな揺れの、揺れの周期はゆっくりとした地震がありました(私が住む石巻市泉町の震度は4でした)。
気象庁と仙台管区気象台によると、この地震は、震源地が三陸沖(牡鹿半島の東160km付近)、震源の深さが海面下約8kmの「プレート間地震」。
地震の規模(マグニチュード:M)は7.3でした。
陸のプレート(大岩盤)とその下に潜り込んで行っている海洋プレートの境界付近で起きる地震が、「プレート間地震」です(「プレート境界地震」とも呼ばれます)。
各地の震度は、5弱が、宮城県北部の栗原市・金成(かんなり)、登米(とめ)市の米山(よねやま)町と迫(はざま)町、美里(みさと)町・木間塚(きまづか)の4か所。
震度4が、気仙沼市・赤岩、南三陸町・志津川(しづがわ)、大崎市・古川北町、加美(かみ)町・中新田(なかにいだ)、石巻市・桃生(ものう)町、東松島市・矢本(やもと)、松島町・高城、仙台市・宮城野区苦竹(にがたけ)、蔵王(ざおう)町・円田など宮城県一円と、
宮古市・五月町、陸前高田市・高田町、盛岡市・玉山区渋民(しぶたみ)、平泉町・平泉など岩手県の沿岸各地、内陸各地。
青森県東通村・小田野沢、八戸市・内丸、福島県国見町・藤田、山形県酒田市・飛鳥(あすか)、秋田県秋田市・雄和妙法(ゆうわ・みょうほう)などでも震度4を観測しました。
このように、震度4以上を観測した箇所だけ見ても、東北地方全県に渡りました。
今朝の各紙によれば、幸いなことに大けがをした人はいなかったようですが、三陸沿岸では押し寄せた津波(最大が気仙沼の95cm)で、カキやワカメなどの養殖施設が流されるなどの被害が出た地域もあるようです。
震源から約500km離れた東京都庁では、48階建ての第一庁舎でエレベーター40基の運転が数分間止まりました。都庁のある新宿区の震度は2でした(読売新聞3/10、報知新聞同)。
都内やその近県では、これ以外にも停止した高層ビルのエレベーターは少なくなかったのではないでしょうか。
ところで、政府の地震調査委員会が「今後30年以内に99%の確率で起きる」と想定しているのが宮城県沖地震(同委が想定する地震の規模は、単独で起きた場合はM7.5前後、さらに沖合の地震と連動した場合はM8前後)。
この宮城県沖地震と今回の地震とはどのような関連があるのでしょうか。
地震調査委員会の阿部勝征委員長によれば、「プレート境界という点では共通しているが、(今回の地震の震源地は)想定されている(宮城県沖地震の)震源よりも約100キロ東(注1)に離れている」(産経新聞3/10)といいます。
そして、東北大学地震・噴火予知研究観測センターの松沢暢教授(地震学)によると、今回の震源地は、宮城県沖地震が連動型となった場合の連動区域にあり(注2)、1981年に起きたM7.0の地震の区域にあるといいます(河北新報3/10)。
松沢教授は、続けて、次のような重要なことがらについても言及しています。
「81年の地震と同じアスペリティ(固着域)が30年周期で壊れた可能性が高い。
2月中旬からM5クラスの群発地震が起きており、数日後に本震が起きたのも81年と同じ傾向」(同)。
「今回の発生によって、複数のアスペリティが一気に壊れ、宮城県沖地震がより強い地震になる危険性は低くなった」(同)
(http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110310t73011.htm)
「領域B(=宮城県沖地震が連動型となった場合の連動区域―筆者注)でM7級の地震が起きたことでエネルギーが小出しに解消され、次の県沖地震が連動型になる可能性は小さくなった」(朝日新聞3/10宮城県版)
宮城県沖地震の発生による女川原発の事故が心配ですが、こう聞くと、2005年8月16日にすでに宮城県沖地震の片割れ(M7.2)と思われる地震も起きてもいるだけに、なおほっとします。
もちろん、たとえ単独型になったとしても、女川原発が無事で済むとは限りません。
東北電力とメーカーの担当者・関係者はもちろんのこと、(経済産業省)原子力安全・保安院の職員も、(内閣府)原子力安全員会の委員・職員も、保安院や安全委に関係する専門家等も、宮城県や地元市町の担当者も、決して油断してはならないでしょう。
(注1)今回の地震の震源地は、河北新報の地図では想定宮城県沖地震がさらに沖合の地震との連動型となった場合の連動区域の東側外部とされているが、朝日新聞の地図では連動区域の内部とされている。
(注2)朝日新聞の記事には、「県沖地震の想定震源域の約50キロ東」とある。
木下淳
女川原発周辺の放射線監視システムは壊滅状態/原子力発電を考える石巻市民の会
2011-03-21 18:33:50 | 社会
津波に襲われ廃墟と化した県原子力センター
女川原発周辺の放射線監視システムは壊滅状態
いきなり、かつて経験したことのない強く長い揺れが家を襲い、間もなく、高い津波が来るので避難してくださいとの石巻市の警報が流れたので、90歳になる寝たきりの母を車椅子に乗せ妻や長男夫妻、長女と近くの小高い丘(日和山)に避難したのは、11日午後のことでした。
それから今日で早くも9日が経ちました。
まだ、悪い夢をみているかのようです。
この地震は、なんとマグニチュード9の巨大地震とのこと。
津波被害は、岩手県から福島県にかけての大平洋沿岸と、かつてない広域に渡っているようです。
まちや道路が水をかぶって鰐山と日和山一帯が孤立し、また、停電するなどして一切の通信手段が断たれたため、一時は同じ石巻市に住む親戚や仲間との連絡もできなくなってしまいました。
幸いなことに、14日、外部に通じる道路の一部が通れるようになったので早速それまで行けなかった場所を探し回るなどしました。
きのう19日、電話やインターネットもできるようになったので、 これから何回かに分けて、今回の地震と津波に関して直接目にしたことを中心に報告したいと思います。
◆ ◆ ◆
子供や親戚などの安否とともに心配だったのは、女川原発の状態。
13日、今や唯一の通信手段となった携帯ラジオで、同原発の敷地境界のモニタリングポストの放射線測定値が1時間あたり21マイクロシーベルト(通常値の700倍)にまで上昇したことを知りました。
3基とも(冷温停止状態に持ち込むことができて)安定した停止状態にあり、排気筒モニターの測定値も非常に低いので、モニタリングポストの測定値の上昇は女川原発とは関係がない。
上昇は福島第一原発から放出された放射性物質の影響によるもの。
こう東北電力は見ているとのこと。
しかし、女川原発の周囲の環境放射線量を常時測定している11箇所のモニタリングステーションの値に全く触れないのはどうしてなのでしょうか。
本当に3基とも冷温停止に持ち込めたのでしょうか。
13日、地盤が低下したのか「水攻め」状態の市役所に膝までの水を漕いで渡り戦場のような忙しさの防災対策課に行って聞いてみると、前日に石巻地域消防本部から無線電話で、福島第一原発から放出された放射性物プリューム(気団)が女川原発方面に流れていると連絡が入ったが、それ以外は、原子力安全・保安院(ふあんいん)と間の衛星電話を含めてあらゆる通信手段が使用不能状態で、電力からも国からも県からもどこからも何の連絡も入ってきていないというではありませんか。
ひとまず女川原発の状態については安心したものの、隣の県の福島原発の何基もが放射能放出事故を起こしているだけに、ますます女川原発周辺のモニタリグ施設がどうなっているのかが気になってきました。
◆
3月14日、女川方面もどうにか遠回りで通れるようになったようなので、親戚などの安否の確認を兼ね石巻から自転車で女川に向かいました。
下の一連の写真は、その際に目にした女川浜伊勢にある宮城県原子力センター等の様子です。
原子力センターの手前の道路は小石や土砂でおおわれ、どこが道なのかわからなくなっていました。
電柱は津波で根元から押し倒され、木造の家はずっと先の山ぎわに至るまで、ほとんどが流されてなくなっていました
2階建ての原子力センターは津波に呑まれ、玄関も2階の窓も全部破壊されていました。
職員や女性事務職員は、すぐに仕事を打ち切って無事に高台に逃げることができたのでしょうか。
これは、正面の入口などの様子です。
2階の向こう側の窓ガラスなどもみな壊れているのがわかります。
県原子力センターは、女川原発周辺の環境放射線や環境放射能(放射性物質)の測定・監視を行なっている中心施設。
宮城県は、環境放射線については、同センターと11か所(県分7か所、電力分4か所)のモニタリングステーションおよび放水口モニター(3箇所)をテレメーターシステムでつないで、空気中と海水中のガンマ線(放射線の一種)をリアルタイムで測定しています。
そして、毎分毎時、周辺公衆の受ける放射線量が「法令値(年1ミリシーベルト)を十分下回っていることを「確認」し、また「原子力発電所からの放射性物質の環境への予期しない放出」を監視しています。
その環境放射線監視システムが、今回の地震・津波で根こそぎ破壊されてしまったのです。
夕方、親戚の安否を確認しに行った避難所の一つの町総合体育館で、町の災害対策本部が下隣りの女川第二小学校に置かれたことを知りました。
夜になって災害対策本部を訪ね企画課長さんなどから聞いた話では、原子力センターの職員2人と女性事務職員2人が行方不明になっているとのことでした。
幸い石川所長は助かって、この日朝、仙台の県庁に向かったとのことでしたが…。
(女川町には国からも電力からも県からもどこからも何の連絡も入っていなかった)
これは、隣にある国の原子力保安検査官事務所兼原子力防災対策センターです。
屋上から垂れかかっているものは、近くの工場か駐車場の屋根のトタンでしょうか。
手前に突き出た玄関はもぎとられてなくなり、中もことこどく破壊されてしまった様子です。
所長さんは行方不明とのことでした。
◆
写真左奥の建物が原子力センター、右が原子力防災対策センター。
女川原発の放射線・放射能監視の中心施設であり、原発事故の際の中心となる施設であるこれらの施設が、津波に呑まれて壊滅状態となろうとは……。
有名な津波地帯に代々住んでいるにもかかわらず、私自身津波を甘く見ていました。
想定をはるかに超えた地震とはいえ、これらの施設の建っている土地はおそらく海抜2メートル未満。
私同様、国も県も、地震特に津波を余りにも軽く見ていたのではないでしょうか。
それが、このような惨状を生んでしまったのではないでしょうか。
福島原発で放出された放射能が風向きによっては海を超えてこちらにもやってきている今、女川原発周辺の放射線モニタリングの状況は、このようなありさまです。
(日下郁郎)
http://shiminnokai.info/cat58/post-5.html
------------------
3月21日付の報告では、女川原子力発電所は冷温停止しています。
1号機(52万4千kW)(自動停止、12日0:58冷温停止)
2号機(82万5千kW)(自動停止、地震時点で冷温停止)
3号機(82万5千kW)(自動停止、12日1:17冷温停止)
報道では1号機タービン建屋から出火、1~3号機の燃料プールの水が床に溢れるなどの被害がありました。
一方で現在では原発敷地内の体育館に地元住民が避難しているとのことです。
しかし、県原子力センターで裏付けられないとなると、不安が生じます。
2011年3月10日
三陸沖でM7.3のプレート間地震発生
― 想定宮城県沖地震との関連は ―
きのう昼少し前、大きな揺れの、揺れの周期はゆっくりとした地震がありました(私が住む石巻市泉町の震度は4でした)。
気象庁と仙台管区気象台によると、この地震は、震源地が三陸沖(牡鹿半島の東160km付近)、震源の深さが海面下約8kmの「プレート間地震」。
地震の規模(マグニチュード:M)は7.3でした。
陸のプレート(大岩盤)とその下に潜り込んで行っている海洋プレートの境界付近で起きる地震が、「プレート間地震」です(「プレート境界地震」とも呼ばれます)。
各地の震度は、5弱が、宮城県北部の栗原市・金成(かんなり)、登米(とめ)市の米山(よねやま)町と迫(はざま)町、美里(みさと)町・木間塚(きまづか)の4か所。
震度4が、気仙沼市・赤岩、南三陸町・志津川(しづがわ)、大崎市・古川北町、加美(かみ)町・中新田(なかにいだ)、石巻市・桃生(ものう)町、東松島市・矢本(やもと)、松島町・高城、仙台市・宮城野区苦竹(にがたけ)、蔵王(ざおう)町・円田など宮城県一円と、
宮古市・五月町、陸前高田市・高田町、盛岡市・玉山区渋民(しぶたみ)、平泉町・平泉など岩手県の沿岸各地、内陸各地。
青森県東通村・小田野沢、八戸市・内丸、福島県国見町・藤田、山形県酒田市・飛鳥(あすか)、秋田県秋田市・雄和妙法(ゆうわ・みょうほう)などでも震度4を観測しました。
このように、震度4以上を観測した箇所だけ見ても、東北地方全県に渡りました。
今朝の各紙によれば、幸いなことに大けがをした人はいなかったようですが、三陸沿岸では押し寄せた津波(最大が気仙沼の95cm)で、カキやワカメなどの養殖施設が流されるなどの被害が出た地域もあるようです。
震源から約500km離れた東京都庁では、48階建ての第一庁舎でエレベーター40基の運転が数分間止まりました。都庁のある新宿区の震度は2でした(読売新聞3/10、報知新聞同)。
都内やその近県では、これ以外にも停止した高層ビルのエレベーターは少なくなかったのではないでしょうか。
ところで、政府の地震調査委員会が「今後30年以内に99%の確率で起きる」と想定しているのが宮城県沖地震(同委が想定する地震の規模は、単独で起きた場合はM7.5前後、さらに沖合の地震と連動した場合はM8前後)。
この宮城県沖地震と今回の地震とはどのような関連があるのでしょうか。
地震調査委員会の阿部勝征委員長によれば、「プレート境界という点では共通しているが、(今回の地震の震源地は)想定されている(宮城県沖地震の)震源よりも約100キロ東(注1)に離れている」(産経新聞3/10)といいます。
そして、東北大学地震・噴火予知研究観測センターの松沢暢教授(地震学)によると、今回の震源地は、宮城県沖地震が連動型となった場合の連動区域にあり(注2)、1981年に起きたM7.0の地震の区域にあるといいます(河北新報3/10)。
松沢教授は、続けて、次のような重要なことがらについても言及しています。
「81年の地震と同じアスペリティ(固着域)が30年周期で壊れた可能性が高い。
2月中旬からM5クラスの群発地震が起きており、数日後に本震が起きたのも81年と同じ傾向」(同)。
「今回の発生によって、複数のアスペリティが一気に壊れ、宮城県沖地震がより強い地震になる危険性は低くなった」(同)
(http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110310t73011.htm)
「領域B(=宮城県沖地震が連動型となった場合の連動区域―筆者注)でM7級の地震が起きたことでエネルギーが小出しに解消され、次の県沖地震が連動型になる可能性は小さくなった」(朝日新聞3/10宮城県版)
宮城県沖地震の発生による女川原発の事故が心配ですが、こう聞くと、2005年8月16日にすでに宮城県沖地震の片割れ(M7.2)と思われる地震も起きてもいるだけに、なおほっとします。
もちろん、たとえ単独型になったとしても、女川原発が無事で済むとは限りません。
東北電力とメーカーの担当者・関係者はもちろんのこと、(経済産業省)原子力安全・保安院の職員も、(内閣府)原子力安全員会の委員・職員も、保安院や安全委に関係する専門家等も、宮城県や地元市町の担当者も、決して油断してはならないでしょう。
(注1)今回の地震の震源地は、河北新報の地図では想定宮城県沖地震がさらに沖合の地震との連動型となった場合の連動区域の東側外部とされているが、朝日新聞の地図では連動区域の内部とされている。
(注2)朝日新聞の記事には、「県沖地震の想定震源域の約50キロ東」とある。
木下淳
女川原発周辺の放射線監視システムは壊滅状態/原子力発電を考える石巻市民の会
2011-03-21 18:33:50 | 社会
津波に襲われ廃墟と化した県原子力センター
女川原発周辺の放射線監視システムは壊滅状態
いきなり、かつて経験したことのない強く長い揺れが家を襲い、間もなく、高い津波が来るので避難してくださいとの石巻市の警報が流れたので、90歳になる寝たきりの母を車椅子に乗せ妻や長男夫妻、長女と近くの小高い丘(日和山)に避難したのは、11日午後のことでした。
それから今日で早くも9日が経ちました。
まだ、悪い夢をみているかのようです。
この地震は、なんとマグニチュード9の巨大地震とのこと。
津波被害は、岩手県から福島県にかけての大平洋沿岸と、かつてない広域に渡っているようです。
まちや道路が水をかぶって鰐山と日和山一帯が孤立し、また、停電するなどして一切の通信手段が断たれたため、一時は同じ石巻市に住む親戚や仲間との連絡もできなくなってしまいました。
幸いなことに、14日、外部に通じる道路の一部が通れるようになったので早速それまで行けなかった場所を探し回るなどしました。
きのう19日、電話やインターネットもできるようになったので、 これから何回かに分けて、今回の地震と津波に関して直接目にしたことを中心に報告したいと思います。
◆ ◆ ◆
子供や親戚などの安否とともに心配だったのは、女川原発の状態。
13日、今や唯一の通信手段となった携帯ラジオで、同原発の敷地境界のモニタリングポストの放射線測定値が1時間あたり21マイクロシーベルト(通常値の700倍)にまで上昇したことを知りました。
3基とも(冷温停止状態に持ち込むことができて)安定した停止状態にあり、排気筒モニターの測定値も非常に低いので、モニタリングポストの測定値の上昇は女川原発とは関係がない。
上昇は福島第一原発から放出された放射性物質の影響によるもの。
こう東北電力は見ているとのこと。
しかし、女川原発の周囲の環境放射線量を常時測定している11箇所のモニタリングステーションの値に全く触れないのはどうしてなのでしょうか。
本当に3基とも冷温停止に持ち込めたのでしょうか。
13日、地盤が低下したのか「水攻め」状態の市役所に膝までの水を漕いで渡り戦場のような忙しさの防災対策課に行って聞いてみると、前日に石巻地域消防本部から無線電話で、福島第一原発から放出された放射性物プリューム(気団)が女川原発方面に流れていると連絡が入ったが、それ以外は、原子力安全・保安院(ふあんいん)と間の衛星電話を含めてあらゆる通信手段が使用不能状態で、電力からも国からも県からもどこからも何の連絡も入ってきていないというではありませんか。
ひとまず女川原発の状態については安心したものの、隣の県の福島原発の何基もが放射能放出事故を起こしているだけに、ますます女川原発周辺のモニタリグ施設がどうなっているのかが気になってきました。
◆
3月14日、女川方面もどうにか遠回りで通れるようになったようなので、親戚などの安否の確認を兼ね石巻から自転車で女川に向かいました。
下の一連の写真は、その際に目にした女川浜伊勢にある宮城県原子力センター等の様子です。
原子力センターの手前の道路は小石や土砂でおおわれ、どこが道なのかわからなくなっていました。
電柱は津波で根元から押し倒され、木造の家はずっと先の山ぎわに至るまで、ほとんどが流されてなくなっていました
2階建ての原子力センターは津波に呑まれ、玄関も2階の窓も全部破壊されていました。
職員や女性事務職員は、すぐに仕事を打ち切って無事に高台に逃げることができたのでしょうか。
これは、正面の入口などの様子です。
2階の向こう側の窓ガラスなどもみな壊れているのがわかります。
県原子力センターは、女川原発周辺の環境放射線や環境放射能(放射性物質)の測定・監視を行なっている中心施設。
宮城県は、環境放射線については、同センターと11か所(県分7か所、電力分4か所)のモニタリングステーションおよび放水口モニター(3箇所)をテレメーターシステムでつないで、空気中と海水中のガンマ線(放射線の一種)をリアルタイムで測定しています。
そして、毎分毎時、周辺公衆の受ける放射線量が「法令値(年1ミリシーベルト)を十分下回っていることを「確認」し、また「原子力発電所からの放射性物質の環境への予期しない放出」を監視しています。
その環境放射線監視システムが、今回の地震・津波で根こそぎ破壊されてしまったのです。
夕方、親戚の安否を確認しに行った避難所の一つの町総合体育館で、町の災害対策本部が下隣りの女川第二小学校に置かれたことを知りました。
夜になって災害対策本部を訪ね企画課長さんなどから聞いた話では、原子力センターの職員2人と女性事務職員2人が行方不明になっているとのことでした。
幸い石川所長は助かって、この日朝、仙台の県庁に向かったとのことでしたが…。
(女川町には国からも電力からも県からもどこからも何の連絡も入っていなかった)
これは、隣にある国の原子力保安検査官事務所兼原子力防災対策センターです。
屋上から垂れかかっているものは、近くの工場か駐車場の屋根のトタンでしょうか。
手前に突き出た玄関はもぎとられてなくなり、中もことこどく破壊されてしまった様子です。
所長さんは行方不明とのことでした。
◆
写真左奥の建物が原子力センター、右が原子力防災対策センター。
女川原発の放射線・放射能監視の中心施設であり、原発事故の際の中心となる施設であるこれらの施設が、津波に呑まれて壊滅状態となろうとは……。
有名な津波地帯に代々住んでいるにもかかわらず、私自身津波を甘く見ていました。
想定をはるかに超えた地震とはいえ、これらの施設の建っている土地はおそらく海抜2メートル未満。
私同様、国も県も、地震特に津波を余りにも軽く見ていたのではないでしょうか。
それが、このような惨状を生んでしまったのではないでしょうか。
福島原発で放出された放射能が風向きによっては海を超えてこちらにもやってきている今、女川原発周辺の放射線モニタリングの状況は、このようなありさまです。
(日下郁郎)
http://shiminnokai.info/cat58/post-5.html
------------------
3月21日付の報告では、女川原子力発電所は冷温停止しています。
1号機(52万4千kW)(自動停止、12日0:58冷温停止)
2号機(82万5千kW)(自動停止、地震時点で冷温停止)
3号機(82万5千kW)(自動停止、12日1:17冷温停止)
報道では1号機タービン建屋から出火、1~3号機の燃料プールの水が床に溢れるなどの被害がありました。
一方で現在では原発敷地内の体育館に地元住民が避難しているとのことです。
しかし、県原子力センターで裏付けられないとなると、不安が生じます。