◇PTSDへの理解と支援を--汐見稔幸、白梅学園大学・同短大学長

 幼いころに地震に被災した後遺症が、ずっと後になって出てくることがある。

 30歳になって、突然強い不安に襲われたAさん。襲ってくる不安に耐えかねて、うつ状態になってしまった。でも理由が見つからない。

 カウンセラーを訪ねた彼女は、やがてその不安が5歳のときの地震被災の恐怖に起因していることを知る。

 すごい地震で、立っていることさえできなかったという。怖くて傍らの石にしがみついた。からだが凍ったようになった。一緒に遊んでいた友だちは次々とお母さんらが駆けつけて、抱かれたり手をつながれたりして帰っていった。でも彼女には誰も迎えがなかった。恐怖でこわばったまま、手も差し出されず、一人で立ちすくんでいた。

 地震のことはその後も忘れなかった。けれども、そのときの恐怖と孤絶感の生々しい感情はいつしか封印してしまった。その感情が、心の深部にずっとくすぶっていて、後になって本人の心をかき乱し始めたのだ。彼女は幸いカウンセラーに、本人さえ分からずにいた感情を見つけてもらい、それを外に出してガス抜きすることができた。そのことによって危機を脱して自分を取り戻した。

 彼女のような症状を最近ではPTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼んでいることはよく知られている。彼女自身まさかと思ったというが、どの体験が原因なのか、本人にも分からないことがある。

 震災は今、放射能汚染の不安を広範囲の人々、特に幼い子を抱えた親に与えているが、地震と津波による不安と恐怖の影響は、これから深刻になる可能性がある。

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 ある被災地の保育園では津波の後、父母が迎えに来られなかった子を、保育士が暖房の消えた真っ暗な部屋で、朝まで必死で抱いていたという。この保育士の懸命の行動に心から拍手を送りたいが、親から離れ、真っ暗闇の中で一晩いた子どもたちの恐怖は、何らかの形で後の彼らの心に影響する可能性がある。

 実は、こうした悲惨な経験を直接しなくても、テレビなどで地震や津波のすさまじさを見るだけでPTSDに襲われる子どももいる。数%がそうなるという説もある。その意味で今は日本のすべての子どもを対象に対応を考えねばならない時期になっている。

PTSDを防ぐ細かな手立ては専門家の指示を仰ぐのがよいが、国民として対応の原則をわきまえていることは必要だろう。基本は、子どもたちの不安な感情をできるだけ表現させてやり、周囲の大人がそれを共感・共苦的に受けとめることだと思う。

 ある幼稚園で子どもたちが津波ごっこをしだしたので困ったという保育者がいた。が、むしろ子どもはたくましいとみるべきだろう。心の深部の不安や恐怖をそうした遊びの形で外に出し、昇華させているのだ。震災のことを絵に描かせるアートテラピーなども同じ原理だ。泣く、わめく、すがる等、自由に不安を表現させてやる。そうして、子どもたちが震災のことを冷静に過去形で語ることができるようになったとき、PTSDの危機はある程度免れたということができよう。

 「こどもの日」は子どもたちの幸せを願い、その健やかな成長を社会が祈念する日として戦後制定された。その趣意に沿った日になるかどうか、今年は格別な重みをもって問われている。単にお祭りで終わらせない意志と知恵が求められている。

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 ■人物略歴

 ◇しおみ・としゆき
 47年大阪府生まれ。東京大学名誉教授。専門は教育学、教育人間学、育児学。「臨床育児・保育研究会」代表。

毎日新聞 2011年5月5日 東京朝刊