社説:大震災と憲法記念日 生命を守る国づくりを
「家族を失い家屋も被災した職員たちが必死に市民を支えています。市民の命と暮らしを守るために」。巨大地震と大津波、さらに原発事故という複合災害を背負わされた福島県南相馬市の桜井勝延市長は3月下旬、動画投稿サイト「ユーチューブ」で窮状を訴えていた。
高さ20メートルの津波が襲い、南北20キロの海岸から2.5キロ以内の家屋が全壊した。追い打ちをかけた原発事故で人口7万1000人のうち5万人が避難した。残された市民も「兵糧攻め」のような目にあっている。市長は伝統の相馬野馬追(のまおい)のポスターを背に原発事故をめぐる政府や東京電力の対応を批判。食料や物資を、ボランティアの協力を、と呼びかけた。
◇生存権と幸福追求権
約11分の動画は英語の字幕付きで世界を巡った。米誌「タイム」が市長を「世界で最も影響力のある100人」に選んだ。
国の最大の役割は「国民の生命、財産を守ること」と決まり文句のように言われてきた。自治体も同様である。「財産」は「暮らし」「生活」と言ってもいい。日ごろ切迫感がなかったかもしれないが、震災がこの役割を切実に意識させた。
憲法施行から今日で64年。震災が示した課題について考えてみよう。
憲法では13条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」、25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」とする生存権を再確認する機会である。いずれも平時を前提にしているとされるが、緊急時にこそ国が「生命と最低限度の生活」を支えるのが憲法の要請だろう。次の復興・再生の段階になって一歩進めて被災者の幸福追求権、生存権を十分に生かすことが課題になる。
現状を見れば政府のより強力な被災者支援が急務だ。何とか「最低限度の生活」を確保すべきである。
同時に、来るべき大地震・大津波から国民の生命を守る備えを進めなければならない。災害に強い日本を作ることだ。
専門家の見解は一様ではないが、マグニチュード(M)9.0という巨大地震によって日本列島の動きが活発化している。M7~8の余震もありうるし、以前から懸念されている東海・東南海・南海地震、首都直下型地震も警戒が必要だ。歴史上、大地震が数年間で続発した時期が何度もあったが、今も危うい時期に突入したのかもしれない。
緊急に必要なのが原発の安全対策だ。地震・津波対策を格段に強化しなければならない。将来、原発で電力の半分を担うという計画も、原発の増設が現実的に困難になっている以上、転換する必要がある。
政治、経済はじめ多くの分野で東京に一極集中しているのは危険すぎる。東京が被災すれば日本が立ち直れなくなり、膨大な犠牲者が放置されてしまう。首都機能などさまざまな機能の分散を考える時期である。
緊急時に政府が迅速に行動できる態勢を整えることも重要だろう。専門知識と行政手段を持つ官僚機構がフル稼働できるよう環境を整える必要がある。
10万人規模の自衛隊出動、米軍によるトモダチ作戦は実績を上げた。しかし震災直後のガソリンや食料などの物資不足、電力不足に伴う計画停電の混乱、原発周辺地域への支援など課題も多く残している。
◇連帯の絆示された
震災当日に原子力災害対策特措法による緊急事態が宣言された。一方で災害対策基本法による災害緊急事態は布告されなかったことには異論も出ている。憲法を改正して緊急事態の条項を入れるべきだとの意見もあるが、その前に現行法制と運用について議論する必要がある。
日本は震災前からすでに閉塞(へいそく)的な状況にあった。少子高齢化の進行、巨額の国債、経済の停滞、社会保障の行き詰まり、そして打開の先頭に立つべき政治の機能不全だ。
現政権の問題も多々あるが、衆参のねじれは依然として大きなハードルだ。まず当面の震災対策から与野党の協力のあり方を構築していくべきだろう。震災対策の1次補正予算が連休中に審議を進め全会一致で成立した。遅かったとはいえ一定の評価はできる。次に予定される2次補正が試金石となるが、建設的議論による早期成立を期待したい。緊急課題を忘れたかのような行動では政治が国民から見放されてしまう。
弱い政治とは裏腹に、国民の強い連帯の絆が示されたこと、被災地の自治体が首長を中心に力を発揮したことは不幸中の幸いだった。今回も活躍したボランティアがより有効に機能する枠組みも必要だ。経済界などさまざまな組織、団体の力も含め、民間のネットワークを育てていきたい。国のあり方と同時に社会のあり方も、広い意味での憲法の問題として考えていきたい。
「この恐るべき強敵に対する国防のあまりに手薄すぎるのが心配」「戦争のほうは会議でいくらか延期されるかもしれないが、地震とは相談ができない」(「地震国防」1931年)。随筆家としても知られる物理学者、寺田寅彦は地震への備えを訴え続けた。「国民の生命を守る」という視点で、80年前の寺田の議論を改めてかみしめたい。
毎日新聞 2011年5月3日 2時30分
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110503k0000m070131000c.html
「家族を失い家屋も被災した職員たちが必死に市民を支えています。市民の命と暮らしを守るために」。巨大地震と大津波、さらに原発事故という複合災害を背負わされた福島県南相馬市の桜井勝延市長は3月下旬、動画投稿サイト「ユーチューブ」で窮状を訴えていた。
高さ20メートルの津波が襲い、南北20キロの海岸から2.5キロ以内の家屋が全壊した。追い打ちをかけた原発事故で人口7万1000人のうち5万人が避難した。残された市民も「兵糧攻め」のような目にあっている。市長は伝統の相馬野馬追(のまおい)のポスターを背に原発事故をめぐる政府や東京電力の対応を批判。食料や物資を、ボランティアの協力を、と呼びかけた。
◇生存権と幸福追求権
約11分の動画は英語の字幕付きで世界を巡った。米誌「タイム」が市長を「世界で最も影響力のある100人」に選んだ。
国の最大の役割は「国民の生命、財産を守ること」と決まり文句のように言われてきた。自治体も同様である。「財産」は「暮らし」「生活」と言ってもいい。日ごろ切迫感がなかったかもしれないが、震災がこの役割を切実に意識させた。
憲法施行から今日で64年。震災が示した課題について考えてみよう。
憲法では13条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」、25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」とする生存権を再確認する機会である。いずれも平時を前提にしているとされるが、緊急時にこそ国が「生命と最低限度の生活」を支えるのが憲法の要請だろう。次の復興・再生の段階になって一歩進めて被災者の幸福追求権、生存権を十分に生かすことが課題になる。
現状を見れば政府のより強力な被災者支援が急務だ。何とか「最低限度の生活」を確保すべきである。
同時に、来るべき大地震・大津波から国民の生命を守る備えを進めなければならない。災害に強い日本を作ることだ。
専門家の見解は一様ではないが、マグニチュード(M)9.0という巨大地震によって日本列島の動きが活発化している。M7~8の余震もありうるし、以前から懸念されている東海・東南海・南海地震、首都直下型地震も警戒が必要だ。歴史上、大地震が数年間で続発した時期が何度もあったが、今も危うい時期に突入したのかもしれない。
緊急に必要なのが原発の安全対策だ。地震・津波対策を格段に強化しなければならない。将来、原発で電力の半分を担うという計画も、原発の増設が現実的に困難になっている以上、転換する必要がある。
政治、経済はじめ多くの分野で東京に一極集中しているのは危険すぎる。東京が被災すれば日本が立ち直れなくなり、膨大な犠牲者が放置されてしまう。首都機能などさまざまな機能の分散を考える時期である。
緊急時に政府が迅速に行動できる態勢を整えることも重要だろう。専門知識と行政手段を持つ官僚機構がフル稼働できるよう環境を整える必要がある。
10万人規模の自衛隊出動、米軍によるトモダチ作戦は実績を上げた。しかし震災直後のガソリンや食料などの物資不足、電力不足に伴う計画停電の混乱、原発周辺地域への支援など課題も多く残している。
◇連帯の絆示された
震災当日に原子力災害対策特措法による緊急事態が宣言された。一方で災害対策基本法による災害緊急事態は布告されなかったことには異論も出ている。憲法を改正して緊急事態の条項を入れるべきだとの意見もあるが、その前に現行法制と運用について議論する必要がある。
日本は震災前からすでに閉塞(へいそく)的な状況にあった。少子高齢化の進行、巨額の国債、経済の停滞、社会保障の行き詰まり、そして打開の先頭に立つべき政治の機能不全だ。
現政権の問題も多々あるが、衆参のねじれは依然として大きなハードルだ。まず当面の震災対策から与野党の協力のあり方を構築していくべきだろう。震災対策の1次補正予算が連休中に審議を進め全会一致で成立した。遅かったとはいえ一定の評価はできる。次に予定される2次補正が試金石となるが、建設的議論による早期成立を期待したい。緊急課題を忘れたかのような行動では政治が国民から見放されてしまう。
弱い政治とは裏腹に、国民の強い連帯の絆が示されたこと、被災地の自治体が首長を中心に力を発揮したことは不幸中の幸いだった。今回も活躍したボランティアがより有効に機能する枠組みも必要だ。経済界などさまざまな組織、団体の力も含め、民間のネットワークを育てていきたい。国のあり方と同時に社会のあり方も、広い意味での憲法の問題として考えていきたい。
「この恐るべき強敵に対する国防のあまりに手薄すぎるのが心配」「戦争のほうは会議でいくらか延期されるかもしれないが、地震とは相談ができない」(「地震国防」1931年)。随筆家としても知られる物理学者、寺田寅彦は地震への備えを訴え続けた。「国民の生命を守る」という視点で、80年前の寺田の議論を改めてかみしめたい。
毎日新聞 2011年5月3日 2時30分
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110503k0000m070131000c.html