■ 生徒達は、自分自身に嘘をつかない
 本当に教育された生徒は自覚を持つようになる。生徒達は自己認識をするようになる。生徒達は、自分自身に嘘をつかない。生徒達は、詐欺は道徳的であるとか、企業の強欲は善であると偽りはしない。彼らは、子供たちの飢餓や、病人の診療を、市場の要求で拒否することが、道徳上、正当化できるなどとは主張しない。彼等は、事業を行う為のコストだとして、600万の家族を家から追い出すようなことはしない。思索とは、人の、内なる自分との対話だ。お上が、聞かれたくないと思っている質問をしよう、と彼等は考えるのだ。彼等は、私たちが何者かを、我々の出自を、そして我々が進むべき先を知っている。彼等は、権力については、永遠に懐疑的で、不信の目を向けつづける。そして彼等は、この道徳的自立こそが、集団的無自覚からうまれる根本的な悪に対する唯一の防御であることを知っている。考える力こそが、盲目的服従を押しつけようとする、あらゆる中央集権化した権力に対する唯一のとりでだ。ソクラテスが理解していた通り、人々に、何を考えるべきかを教えることと、いかに考えるべきかを教えることには、大きな違いがある。道徳的な判断力に恵まれた人々は、たとえそれが、法人国家によって認可されたものであっても、犯罪を行うことを拒否する。彼等は、結局、犯罪人連中と一緒に暮らしたい等とは望んでいないからだ。

 “世界中と対立する方が、自分自身と対立するよりはましだ”とソクラテスは言った。

 ■ 全世界の不正や、巨大な道徳的無関心に対して、立ち上がり、立ち向かう能力
 正しい質問ができる人々は、道徳的判断をし、外部からの圧力に直面した際、善を擁護する能力を備えている。そして、これこそが、哲学者イマニュエル・カントが、他人に対する義務より、自分自身に対する義務を重んじた理由だ。カントにとっての規範は、自己愛、つまり、あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい、という聖書の考え方ではなく、自尊心なのだ。私たちを、人間として、意義があり、価値あるものとしてくれるのは、全世界の不正や、巨大な道徳的無関心に対して、立ち上がり、立ち向かう能力なのだ。正義が滅びてしまえば、カントが理解していたように、人生はあらゆる意味を失ってしまう。宗教法も含め、外部から押しつけられた法や規則に、おとなしく従う人々は、*道徳的人間とは言えない。押しつけられた法律を履行することは、道徳的に中立とは言えない。本当に教育された人々は、正義、共感や良識といった高尚なものに、自らの意思を役立たせようとするものだ。ソクラテスも、悪に苦しむ方が、悪を行うより良いと言って、同じことを主張した。

 ■ 自覚無き文明は、全体主義の荒れ地となる
 ハンナ・アーレントが書いているように、“しでかされた最大の悪というのは、誰でもない人間、つまり人間であることを拒否している人間によって犯された悪だ。”

 アーレントの指摘通り、我々はこの自覚を持った人々だけを信じるべきなのだ。この自覚は、意識することから生まれる。それは、犯罪が行われるのを見た際“私にはやれない。”と言える能力に付随する。アーレントは警告した。盲目的服従という脆弱な構造を中心に構築されている道徳体系の持ち主達を、私たちは恐れなければならない。考えることができない人々を恐れなければならない。自覚無き文明は、全体主義の荒れ地となる。

 ■ 一番悪い奴らは、記憶のない連中
 “悪事を働く者共の中で一番悪い奴らは、決して、物事にじっくり思いを巡らすことをしない、記憶のない連中であり、彼等に記憶が無ければ、何事も連中を引き止めることはできないのだ”と、アーレントは書いている。“人間にとって、過去の出来事を考えるということは、深みの方向に向かい、根を下ろし、そして時代精神なり、歴史なり、単なる誘惑なり、起こりうるあらゆることによって押し流されないよう、自らを安定させることを意味している。最大の悪というものは、根源的なものではない。根を持たず、根が無いがゆえに、限界が無く、想像を絶するような極端に走って、世界中を襲いかねないのだ。”

 ■ 属国も同じ教育破壊
 小学生に英語を教えるよりも、高校生に、こうした文章(1)を読める力をつけることの方がよほど大切だろう。その逆を無理やり押しつける文部科学省という組織、学習や科学する力を破壊する組織なのだろう。「属国は宗主国を模倣する。」

 教育を破壊することの大切さを充分理解している宗主国は、日本だけでなく、イラクでも、教育を徹底的に破壊している。
 イラク: 高等教育における、大規模な不正行為と腐敗
 http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-e094.html
 アメリカの対イラク戦争-文明の破壊
 http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/--d6cd.html

 土肥さんという元都立三鷹高校校長が、高校の職員会議で『挙手・採決』を禁止することに反対して、退職後の継続採用を拒否され、訴訟をしておられる。
 職員会議で『挙手・採決』が禁止、というのであれば、日本、北朝鮮と変わらないではないか?そう、日本は、北朝鮮レベルの国なのだ。原発情報発信をみれば、ソ連以下の国であることは誰でもわかるだろう。

 子供が放射能で汚染された校庭で遊び、やがて甲状腺ガンになっても、関知しない国だ。とうとう、国内の国民すら棄民する国だ。

(続く)
 『マスコミに載らない海外記事』(2011年4月29日)
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-1a78.html