村上登司文 京都教育大学教育学部教授/(財)世界人権問題研究センター嘱託研究員

 ドイツと日本は第2次世界大戦の戦後処理の方法で比べられることが多い。ドイツは日本やイタリアと共にファシズム陣営を構成し、第2次大戦で近隣諸国を侵略したので、歴史的には戦争加害国であり敗戦国である。第2次大戦は、日本と同じようにドイツの人々にとっても「誤った」戦争であった。ユダヤ人大量虐殺に代表されるドイツの歴史の暗部を直視しようとする動きが広まるのは、1960年代に入ってからであった。ナチス・ドイツが近隣諸国に大きな被害をもたらし、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を含めてナチス時代の政治を歴史教育の中で教えるのが定着していく。旧西ドイツは戦争加害への深い反省から、国際的相互批判と教育によってより良い歴史教育を実現すべく、努力を積み重ねてきた。ドイツでは圧政と侵略戦争を行ったナチス時代を、歴史教育の中で十分な時間をかけて教えようとしてきたといえよう。
 筆者が日独の中学生に対して行った意識調査(2008年と2009年)では、ドイツの方が父母や祖父母から第2次世界大戦についての話を聞く機会が多かった。父母からそれについて話を聞いた生徒がドイツ(474人中)では6割以上もいるのに対し、京都(132人中)では2割に満たない。ただし平和意識に関して、京都の生徒の方が「正義の戦争論」を否定する割合が多く、自国の戦争放棄について肯定する割合も多いことから、京都の生徒の方が平和主義的傾向が強いと言える。(※注)

 その調査によれば、生徒たちの平和社会形成への貢献意欲は高く、社会が平和であるために何かしたいという回答は日独いずれも約8割である。平和形成のために学習すべきものとして、ドイツでは「ユダヤ人へのホロコースト」(複数回答で37パーセント)を選択する割合が最も多く、京都では「広島と長崎の原爆」(同41パーセント)が最も多かった。両国には戦争に関する資料館が多く開設されている。ベルリンの中心部に「ヨーロッパ・ユダヤ人犠牲者記念館」が2005年に開館し、ドイツにおけるホロコーストを記念する中心的モニュメントとなった。それに対して日本では、原爆犠牲者を追悼する国立の広島原爆死没者追悼平和祈念館が2002年に、長崎原爆死没者追悼記念館が翌2003年に開館している。


 今年の2月下旬に研究協議のためにドイツのバーデン・ビュルテンベルク州に行った。その時に、シュツットゥガルト市にあるメルセデス・ベンツ博物館を見学した。2006年に新築オープンしたメルセデス・ベンツ博物館は人気が高く入館者が長い列を作っていた。博物館では、ダイムラー社が今までに製造した自動車の展示を楽しめるとともに、説明パネルを見ながらドイツ近代史の学習ができる。そこには会社がナチスに協力したという負の歴史も説明されている。例えば、ダイムラー・ベンツ社が政権の要求に応じてトラックや飛行機エンジンを生産し、戦争が始まる時点で、兵器生産が会社の総収入の3分の2に達していた。ユダヤ人虐殺については、1941年以降ユダヤ人などが100万人以上が亡くなった、などと解説されている。
 ドイツのヴァイツゼッカー大統領は1985年の演説で、「後になって過去を変えたり、起こらなかったことにしたりするわけにはゆきません。過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目になります」と述べている。
日本でも戦争被害だけでなく戦争加害の歴史的事実を学んでおくことが重要である。

 戦争の被害面だけの学習は、戦争の一面を見るのみであり、日本が行った戦争の責任をあいまいにし、歴史を批判的にみる姿勢を作らない。

これからの平和教育では、戦争について多面的に考察し、学習者自身が戦争の是非を判断できる力を育てることが大切である。過去の日本が行った戦争で、人々が戦争にどうかかわったか、日本という国が戦争中に何を行ったかを知ることにより、戦争を行う国の様子が見えてくる。
かつて日本国民は間違った戦争に協力したが、自分たちが平和を作る行為主体であるという視点から、平和の問題を学ぶことがこれからの平和教育にはますます必要となっている。
(※注:村上登司文「中学生の平和意識についての比較」『広島平和科学』31号、2009年。ドイツの調査結果については今後報告する予定。)

 グローブ2011春号掲載