キエフ市トルイシェナ団地。チェルノブイリ原発のすぐそばにあったプリピャチから避難してきた5千人余が住んでいます。
ウラジミル・ルキヌさん。47歳。ウラジミルさんは、事故のあと激しい頭痛・心臓や関節の痛みなどが次々と現れ、一年半前から仕事ができなくなってしまいました。最近では、強い疲労感や脱力感もあり、一日のほとんどをベッドの中で過ごす毎日です。
ウラジミルさんは、チェルノブイリ原発で働いていました。事故直後、チェルノブイリ原発の周辺にはウラジミルさんを含め、大量の事故処理員が動員されました。飛び散った原子炉の残骸の処理に当たるなど、危険な作業に携わったため、最も深刻な放射能の影響を受けました。強烈な放射線による急性障害で、半月の間に299人もの人が病院に運び込まれ、そのうち7人が亡くなりました。最も高い被爆量の作業員は、一般の人の生涯の被爆許容量の10倍以上を、わずか数時間で受けたと推定されています。処理作業に参加した作業員の数は、80万人以上にのぼります。
チェルノブイリで事故処理をしたウラジミルさんの身体に、最近新しい異変が起き始めました。記憶力が低下し始めたのです。昔のことはよく覚えているのに、最近起きた出来事や新しいことをすぐ忘れてしまうのです。妻のタチアナさんは、ベッドに閉じこもりがちなウラジミルさんを外へ連れ出し、記憶力を回復させようと、買い物を手伝ってもらうことにしています。この日、ウラジミルさんが頼まれたのは、パン・スパゲテイ―・小麦粉・卵、それにミネラルウォーター2本です。パンは買いましたが、ミネラルウォーターのかわりにジュースを買ってしまいました。そして、卵と一緒に、頼まれていないマヨネーズまで買いました。結局、スパゲテイーと小麦粉は買い忘れてしまいました。
チェルノブイリ原発事故の処理作業に参加した80万人以上の事故処理員たちの身体に何が起きているのか、これまでほとんど知られてきませんでした。しかし、最近になって、その人たちの間に深刻な病気が広がっているという実態が明らかになってきました。
ウラジミルさんは、記憶力の低下など、精神的な症状が現れてきたため、専門医に診察してもらうことにしました。
(医師)「原発で事故後、どんな仕事をしたのですか?」
(ウラジミル夫妻)「施設の補修や放射能の除去です。柵をつくって囲むとか、兵隊が埃やチリを取り除いた後、薬品で洗い流す仕事です。」
(医師)事故の前も後も4号炉のすぐそばで働いたのですね。」
(ウラジミル夫妻)そうです。
ウラジミルさんは、思い通りに身体を動かすことに不自由を感じるようになってきました。目を閉じて、自分の鼻先を指で指すという簡単な動作さえ、できにくくなっています。神経系にも、異常が出てきたのです。
この患者は、事故の直後、原発内で放射能の測定をしていました。2年前から幻覚や幻聴に悩まされています。
「光を受けると胸が締めつけられて、とても息苦しくなるんです。耳鳴りやチカチカという雑音が聞こえてくることもよくあります。」
(映像:キエフ放射線医学研究所) また、事故処理員たちの間では、治療の難しい悪性のタイプの白血病が急速に増え始めています。この研究所が健康調査を続けてきた12万人のうち、この2年間に42人の白血病患者が発生しています。この研究所では、今後、白血病が事故処理員たちの間にさらに広がるだろうと予測しています。
(映像:放射線生物物理学研究所「事故処理員の後遺症と将来予測」1995年)
ロシア保健省放射線生物物理学研究所の内部文書。事故後、2年の間に参加した事故処理員1886人の健康状態について、8年間追跡調査したものです。それによると、事故処理員たちの間に、心臓病・精神や神経障害・癌が多発しています。癌の発病率は、一般の人の3倍、4人に1人は労働不能の状態に陥っています。そして、30代の人たちがまるで50代のような身体になっていると結論づけています。この調査では、さらに将来予測を試みています。その結果、「事故のあった年の処理員の100%が、西暦2000年には労働不能状態に陥る。さらに、そのときの平均死亡年齢は44.5歳になるだろう」と報告しています。
(映像:ウラジミル・ルキヌさん 47歳)
去年の暮れ、ウラジミルさんと同じ事故作業をしていた仲間が、脳腫瘍で亡くなりました。ウラジミルさんより、5歳も年下の42歳でした。
(妻・タチアナさん) 「上の階に住む25歳の若者が、先日車に飛び込んで自殺しました。今頃になって性的障害が現れ、夫婦生活が崩壊すると悲観したのです。隣では奥さんがガンで亡くなりました。36歳でした。ご主人はその後、酒びたりとなり、最後には自殺しました。神様、夫にこれ以上何も起きませんように。」
チェルノブイリ原発事故の直後からはじまった住民の移住は、汚染の高い地域を中心に今も続いています。しかし、この10年に渡る移住政策は、行政に大きな経済的負担を強いてきました。事故5年後のソビエト崩壊によって、汚染地域はロシア、ウクライナ、ベラルーシの3カ国に分割され、汚染対策の負担を分け合わなければならなくなりました。中でも最も大きな負担を抱えこむことになったのが、ベラルーシ共和国です。ベラルーシでは国土の23%が放射能で汚染され、今も220万人もの人々が暮らしています。これは、国民の5人に1人の割合です。
(映像:ベラルーシ共和国 ミンスク市) ベラルーシは、これまで毎年国家予算の15%以上をチェルノブイリ対策につぎ込んできました。しかし、政府は悪化する一方の国内経済を理由に、今年から汚染対策の大幅な見直しを決定しました。
(チェルノブイリ対策省:イワン・ケニク大臣)
「我々は、これまでの移住中心の対策をやめて、汚染地域に住む人たちに今後とも住み続けてもらうことを考えています。そのためには、汚染された薪や井戸水を使わなくてもよいよう、ガスや水道などの整備をするつもりでいます。このまま対策を続けていったとしても、すべての地域をカバーするには150年もかかってしまうのです。財政状況の悪化から、今までどおり国家予算の15%をつぎ込むことは困難なのです。」
ベラルーシ政府の方針転換は、汚染地域に住む人々にとって大きな衝撃となりました。事実上の移住政策の打ち切りは、住民たちが汚染地域に住み続けなければならないことを意味しています。
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
ウラジミル・ルキヌさん。47歳。ウラジミルさんは、事故のあと激しい頭痛・心臓や関節の痛みなどが次々と現れ、一年半前から仕事ができなくなってしまいました。最近では、強い疲労感や脱力感もあり、一日のほとんどをベッドの中で過ごす毎日です。
ウラジミルさんは、チェルノブイリ原発で働いていました。事故直後、チェルノブイリ原発の周辺にはウラジミルさんを含め、大量の事故処理員が動員されました。飛び散った原子炉の残骸の処理に当たるなど、危険な作業に携わったため、最も深刻な放射能の影響を受けました。強烈な放射線による急性障害で、半月の間に299人もの人が病院に運び込まれ、そのうち7人が亡くなりました。最も高い被爆量の作業員は、一般の人の生涯の被爆許容量の10倍以上を、わずか数時間で受けたと推定されています。処理作業に参加した作業員の数は、80万人以上にのぼります。
チェルノブイリで事故処理をしたウラジミルさんの身体に、最近新しい異変が起き始めました。記憶力が低下し始めたのです。昔のことはよく覚えているのに、最近起きた出来事や新しいことをすぐ忘れてしまうのです。妻のタチアナさんは、ベッドに閉じこもりがちなウラジミルさんを外へ連れ出し、記憶力を回復させようと、買い物を手伝ってもらうことにしています。この日、ウラジミルさんが頼まれたのは、パン・スパゲテイ―・小麦粉・卵、それにミネラルウォーター2本です。パンは買いましたが、ミネラルウォーターのかわりにジュースを買ってしまいました。そして、卵と一緒に、頼まれていないマヨネーズまで買いました。結局、スパゲテイーと小麦粉は買い忘れてしまいました。
チェルノブイリ原発事故の処理作業に参加した80万人以上の事故処理員たちの身体に何が起きているのか、これまでほとんど知られてきませんでした。しかし、最近になって、その人たちの間に深刻な病気が広がっているという実態が明らかになってきました。
ウラジミルさんは、記憶力の低下など、精神的な症状が現れてきたため、専門医に診察してもらうことにしました。
(医師)「原発で事故後、どんな仕事をしたのですか?」
(ウラジミル夫妻)「施設の補修や放射能の除去です。柵をつくって囲むとか、兵隊が埃やチリを取り除いた後、薬品で洗い流す仕事です。」
(医師)事故の前も後も4号炉のすぐそばで働いたのですね。」
(ウラジミル夫妻)そうです。
ウラジミルさんは、思い通りに身体を動かすことに不自由を感じるようになってきました。目を閉じて、自分の鼻先を指で指すという簡単な動作さえ、できにくくなっています。神経系にも、異常が出てきたのです。
この患者は、事故の直後、原発内で放射能の測定をしていました。2年前から幻覚や幻聴に悩まされています。
「光を受けると胸が締めつけられて、とても息苦しくなるんです。耳鳴りやチカチカという雑音が聞こえてくることもよくあります。」
(映像:キエフ放射線医学研究所) また、事故処理員たちの間では、治療の難しい悪性のタイプの白血病が急速に増え始めています。この研究所が健康調査を続けてきた12万人のうち、この2年間に42人の白血病患者が発生しています。この研究所では、今後、白血病が事故処理員たちの間にさらに広がるだろうと予測しています。
(映像:放射線生物物理学研究所「事故処理員の後遺症と将来予測」1995年)
ロシア保健省放射線生物物理学研究所の内部文書。事故後、2年の間に参加した事故処理員1886人の健康状態について、8年間追跡調査したものです。それによると、事故処理員たちの間に、心臓病・精神や神経障害・癌が多発しています。癌の発病率は、一般の人の3倍、4人に1人は労働不能の状態に陥っています。そして、30代の人たちがまるで50代のような身体になっていると結論づけています。この調査では、さらに将来予測を試みています。その結果、「事故のあった年の処理員の100%が、西暦2000年には労働不能状態に陥る。さらに、そのときの平均死亡年齢は44.5歳になるだろう」と報告しています。
(映像:ウラジミル・ルキヌさん 47歳)
去年の暮れ、ウラジミルさんと同じ事故作業をしていた仲間が、脳腫瘍で亡くなりました。ウラジミルさんより、5歳も年下の42歳でした。
(妻・タチアナさん) 「上の階に住む25歳の若者が、先日車に飛び込んで自殺しました。今頃になって性的障害が現れ、夫婦生活が崩壊すると悲観したのです。隣では奥さんがガンで亡くなりました。36歳でした。ご主人はその後、酒びたりとなり、最後には自殺しました。神様、夫にこれ以上何も起きませんように。」
チェルノブイリ原発事故の直後からはじまった住民の移住は、汚染の高い地域を中心に今も続いています。しかし、この10年に渡る移住政策は、行政に大きな経済的負担を強いてきました。事故5年後のソビエト崩壊によって、汚染地域はロシア、ウクライナ、ベラルーシの3カ国に分割され、汚染対策の負担を分け合わなければならなくなりました。中でも最も大きな負担を抱えこむことになったのが、ベラルーシ共和国です。ベラルーシでは国土の23%が放射能で汚染され、今も220万人もの人々が暮らしています。これは、国民の5人に1人の割合です。
(映像:ベラルーシ共和国 ミンスク市) ベラルーシは、これまで毎年国家予算の15%以上をチェルノブイリ対策につぎ込んできました。しかし、政府は悪化する一方の国内経済を理由に、今年から汚染対策の大幅な見直しを決定しました。
(チェルノブイリ対策省:イワン・ケニク大臣)
「我々は、これまでの移住中心の対策をやめて、汚染地域に住む人たちに今後とも住み続けてもらうことを考えています。そのためには、汚染された薪や井戸水を使わなくてもよいよう、ガスや水道などの整備をするつもりでいます。このまま対策を続けていったとしても、すべての地域をカバーするには150年もかかってしまうのです。財政状況の悪化から、今までどおり国家予算の15%をつぎ込むことは困難なのです。」
ベラルーシ政府の方針転換は、汚染地域に住む人々にとって大きな衝撃となりました。事実上の移住政策の打ち切りは、住民たちが汚染地域に住み続けなければならないことを意味しています。
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫