仙台市内で被災された、二人のお嬢さんのお母さんからの「緊急 」メールです!
はじめまして。仙台の清水香名です。二人の娘の母親です。14日に仙台から子ども
たちを放射能汚染から離すために、実家にある兵庫県尼崎市に避難してきました。
地震の被災直後、空港・電車・新幹線・高速道路も機能せず、バスの全ての交通手段
も絶たれ、ガソリンも無く、動きたくてもみんな動けないという、一都市まるごと陸
の孤島になってしまいました。
地震の当日、夫が福岡にいたことや、奇跡のようなことが重なり、震災後2日目に、
夫が仙台に車でもどってくれました。
私は、数年前から原発の安全性に疑問を持ち、原発事故の恐ろしさを知り、仲間たち
と勉強会などしてしていたこともあり、少しは知識がありましたから、地震直後から
原発事故がとても心配でした。
すでに、一号基が爆発している状態の中、夫は風向きが変わる前に、まずは子どもた
ちを原発事故の放射能汚染から離そうと言いました。こんな中、両親や親戚・友人や
地域の人たちを置いて、仙台を出たくないと言う私に、「まずは子どもたちを安全な
ところに出させて欲しい。そのために必死に帰ってきた」との夫の言葉に、はっとし
て私は仙台を出る決意をしました。着の身着のままで 我が家を、大好きな仙台を後
にしました。
今、福島原発の放射能汚染の状況は、悪くなるいっぽうで、福島は、もう子どもたち
がいる場所ではないし、人がいてはいけないと感じています。福島原発の状況からも
う一刻の猶予もないと思います。
「復興のために」「学校のために」と、いろんな事情の中に縛られている福島・宮城
の被災地から今すぐにでも、妊婦さん、赤ちゃん、子どもたちやその親を出してほし
い。
チェルノブイリでは、小さい子どもたちから最初に甲状腺ガンになり命を落としてゆ
きました。アフガニスタンでも、米軍の使用した劣化ウラン弾による体内被爆で、子
どもたちの死者の数は今だに増え続けています。なぜ教訓にできないのでしょうか。
5年後、10年後に苦しむ子どもたちを増やしてはいけない。そんなものを子どもた
ちにみすみす背負わせないでやってほしい。今この瞬間にも、被災地の子どもたち
は、高いレベルの放射能汚染の中にいるのです。
被曝に不安をかかえながらも暮らしている、仙台のお友だちと、ここからメールで励
ましあう子どもたちの姿を見ながら こんなむごいことがあっていいのかと涙が流れ
ます。
動きたくても動けない仙台の大切な大切な友人たちからは、不安な気持ちを綴った
メールが続々と届きます。身が引き裂かれる思いです。この国には、もう期待などし
ていません。民間より声をあげてゆくよりほかないのだと思っています。
今もっとも最優先しなくてはならないことがあります。復興よりもです。今西側にい
る私たちができること。私もまだ手探りです。でも、後悔したくありません。
この緊急事態のなかご縁のある皆様にお力になって頂きたく書きました。全国の皆さ
ま、子どもたちを導く立場にある方々からも 声を上げて頂きたいとお願いしたいの
です。
4月3日 2011 清水香名
今朝の新聞では、仙台市郊外の住宅地でも地滑りや深さ1・5メートルもの地割れ被害報道がありました。
福島原発爆発によって、空も海も土も水も、人も動物も野菜も魚も放射能に汚染され、汚染はどんどん拡散しています。
政府は、原発に関する情報を速やかに正確に誠実に公開すべきです。
末端の地方行政ですら、半減期が8日の放射性ヨウ素も、半減してもゼロになるわけではないことは報道せず、甲状腺がんや白血病などのリスクについての正確な情報は皆無です。
むしろ、政府や行政が、放射能汚染の重大な値を隠そうとしている事実から、住民は行政に対して不信感をさらに強めています。
子どもたちやお年寄りを支えているみなさんの不安な心、大変な状況に寄り添って、わずかでもできることから力を合わせていきましょう。
つぶやきでも、どんな小さな声でも、声に出しましょう。
目に見えず、においも味もない放射能汚染の問題は、命にかかわる問題です。
とりわけ、教育現場では先生方が、子どもたちの命のために、教育委員会や校長の言いなりではなく、自らの責任において判断し、一人一人の子供たちのおかれた実態から、発言・提言・行動することが重要だと考えます。教師が自分の頭で考え責任ある判断・行動が求められています。
先生方の勇気あるご奮闘に対して、市民として協力・応援していきたいと思います。
清水さん、勇気あるメッセージをありがとうございました!
避難された御親戚や地域の皆さんの温かいご支援に支えられて、ご家族のみなさんが笑顔で過ごせる日が1日も早く来ることを祈っています。
人権NGO 言論・表現の自由を守る会 ブログ管理人
はじめまして。仙台の清水香名です。二人の娘の母親です。14日に仙台から子ども
たちを放射能汚染から離すために、実家にある兵庫県尼崎市に避難してきました。
地震の被災直後、空港・電車・新幹線・高速道路も機能せず、バスの全ての交通手段
も絶たれ、ガソリンも無く、動きたくてもみんな動けないという、一都市まるごと陸
の孤島になってしまいました。
地震の当日、夫が福岡にいたことや、奇跡のようなことが重なり、震災後2日目に、
夫が仙台に車でもどってくれました。
私は、数年前から原発の安全性に疑問を持ち、原発事故の恐ろしさを知り、仲間たち
と勉強会などしてしていたこともあり、少しは知識がありましたから、地震直後から
原発事故がとても心配でした。
すでに、一号基が爆発している状態の中、夫は風向きが変わる前に、まずは子どもた
ちを原発事故の放射能汚染から離そうと言いました。こんな中、両親や親戚・友人や
地域の人たちを置いて、仙台を出たくないと言う私に、「まずは子どもたちを安全な
ところに出させて欲しい。そのために必死に帰ってきた」との夫の言葉に、はっとし
て私は仙台を出る決意をしました。着の身着のままで 我が家を、大好きな仙台を後
にしました。
今、福島原発の放射能汚染の状況は、悪くなるいっぽうで、福島は、もう子どもたち
がいる場所ではないし、人がいてはいけないと感じています。福島原発の状況からも
う一刻の猶予もないと思います。
「復興のために」「学校のために」と、いろんな事情の中に縛られている福島・宮城
の被災地から今すぐにでも、妊婦さん、赤ちゃん、子どもたちやその親を出してほし
い。
チェルノブイリでは、小さい子どもたちから最初に甲状腺ガンになり命を落としてゆ
きました。アフガニスタンでも、米軍の使用した劣化ウラン弾による体内被爆で、子
どもたちの死者の数は今だに増え続けています。なぜ教訓にできないのでしょうか。
5年後、10年後に苦しむ子どもたちを増やしてはいけない。そんなものを子どもた
ちにみすみす背負わせないでやってほしい。今この瞬間にも、被災地の子どもたち
は、高いレベルの放射能汚染の中にいるのです。
被曝に不安をかかえながらも暮らしている、仙台のお友だちと、ここからメールで励
ましあう子どもたちの姿を見ながら こんなむごいことがあっていいのかと涙が流れ
ます。
動きたくても動けない仙台の大切な大切な友人たちからは、不安な気持ちを綴った
メールが続々と届きます。身が引き裂かれる思いです。この国には、もう期待などし
ていません。民間より声をあげてゆくよりほかないのだと思っています。
今もっとも最優先しなくてはならないことがあります。復興よりもです。今西側にい
る私たちができること。私もまだ手探りです。でも、後悔したくありません。
この緊急事態のなかご縁のある皆様にお力になって頂きたく書きました。全国の皆さ
ま、子どもたちを導く立場にある方々からも 声を上げて頂きたいとお願いしたいの
です。
4月3日 2011 清水香名
今朝の新聞では、仙台市郊外の住宅地でも地滑りや深さ1・5メートルもの地割れ被害報道がありました。
福島原発爆発によって、空も海も土も水も、人も動物も野菜も魚も放射能に汚染され、汚染はどんどん拡散しています。
政府は、原発に関する情報を速やかに正確に誠実に公開すべきです。
末端の地方行政ですら、半減期が8日の放射性ヨウ素も、半減してもゼロになるわけではないことは報道せず、甲状腺がんや白血病などのリスクについての正確な情報は皆無です。
むしろ、政府や行政が、放射能汚染の重大な値を隠そうとしている事実から、住民は行政に対して不信感をさらに強めています。
子どもたちやお年寄りを支えているみなさんの不安な心、大変な状況に寄り添って、わずかでもできることから力を合わせていきましょう。
つぶやきでも、どんな小さな声でも、声に出しましょう。
目に見えず、においも味もない放射能汚染の問題は、命にかかわる問題です。
とりわけ、教育現場では先生方が、子どもたちの命のために、教育委員会や校長の言いなりではなく、自らの責任において判断し、一人一人の子供たちのおかれた実態から、発言・提言・行動することが重要だと考えます。教師が自分の頭で考え責任ある判断・行動が求められています。
先生方の勇気あるご奮闘に対して、市民として協力・応援していきたいと思います。
清水さん、勇気あるメッセージをありがとうございました!
避難された御親戚や地域の皆さんの温かいご支援に支えられて、ご家族のみなさんが笑顔で過ごせる日が1日も早く来ることを祈っています。
人権NGO 言論・表現の自由を守る会 ブログ管理人