「1日に何回も流れる放送が聞こえない」。200人前後が避難していた岩手県大船渡市の中学校体育館で、福祉施設職員、下野モト子さん(77)は言った。

 下野さんは両耳が難聴で、人工内耳を付けているが、それだけでは意味をつかめない。話し手の唇の動きと、内耳に響く音を組み合わせて話の内容を理解する。

 食事時間や救援物資の到着など、避難所での生活情報は市職員が館内放送で伝える。だが、下野さんの耳には不明瞭な音が響くだけだ。他人が並ぶのを見て、とりあえず自分も並び、前後の人に、並んでいる理由を聞いて教えてもらう。その繰り返しだ。

 津波被害は免れたが、地震で自宅玄関が壊れた。1人住まいの不安から避難所に来た。仙台市にいる娘には携帯電話のメールがなかなか届かなかった。臨時公衆電話が設置されたが、難聴の下野さんには使えない。娘とメールでやりとりできるようになったのは、被災から約1週間後だった。

 同じ避難所には、田村トモ子さん(70)と長男(45)も身を寄せていた。長男は知的障害がある。市内の福祉施設に通ってパンを焼いていたが、震災で自宅が壊れ、生活環境は激変した。大勢の人々が出入りする避難所での暮らしで、心のバランスが崩れた。館内を歩き回り、しばしば大声を出す。その度に周囲の目が気になる。「息子が迷惑になっていないか気が気でないが、福祉施設が被災したのでこの避難所で過ごすしかない」

 だが、ケアがあれば田村さんの不安も和らぐ。避難から数日後、施設の職員がケアに訪れてくれるようになり、長男が落ち着きを取り戻したからだ。

 取材を終えて避難所を出ようとした時、救援物資が入り口に届いた。バケツリレーの要領で運ぶため、被災者の列ができた。その数十メートルの列に田村さんの長男も自ら加わった。

 災害は弱者により重くのしかかる。95年の阪神大震災や04年の新潟県中越地震では、障害者や家族が避難所で孤立し、倒壊した自宅に戻って暮らした人たちもいたと聞いた。

 隣から隣へ。物資がつまった段ボールを黙々とリレーする田村さんの長男の姿に、胸を打たれた。【西部報道部・平元英治】

毎日新聞 2011年4月1日 3時05分(最終更新 4月1日 3時42分)
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