弁護士澤藤統一郎

 郷土の歌人・石川啄木は、「主義者」として知られていた。
   平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり。
   赤紙の表紙手擦れし 国禁の 書を行李の底にさがす日
   「労働者」「革命」などといふ 言葉を聞きおぼえたる 五歳の子かな。
   友も妻もかなしと思ふらし―病みても猶、革命のこと口に絶たねば。
 など、その傾向の歌はいくつも挙げることができる。

 没後十年(1922年)で建立された「柳青める」の歌碑に、寄進者の名などはなく、ただ「無名青年の徒之を建つ」と刻まれているのは、その故であろう。
 彼が貧者の側にあって、社会の矛盾に憤っていたことが、いたいほど伝わってくる。高みから見下す目線ではないことが、啄木の魅力である。


   わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く
   はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
   友よさは 乞食の卑しさ厭ふなかれ 餓ゑたる時は我も爾りき

 このような彼だから、故郷の災害を天罰という輩には、怒髪天を衝いて怒るに違いない。しかし、彼のことだ。怒りも悲しみの歌となるだろう。

   頬につたふ なみだもみせず 天罰と言い放ちたる男を忘れじ
   砂山の砂に腹這ひ 天罰と言われし痛みを おもひ出づる日
   たはむれに天罰など口にして 軽きことばは 三日ともたず
   一度でも天罰などとののしりし 人みな死ねと いのりてしこと
   天罰と言いし男の 尊大な口元なども 忘れがたかり

 あるいは、次の「一握の砂」所載歌などは、その輩を詠んだものではなかろうか。

   くだらない小説を書きてよろこべる 男憐れなり 初秋の風
   秋の風 今日よりは彼のふやけたる男に 口を利かじと思ふ
   誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか
   かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり

『NPJ 石原慎太郎「震災は天罰」発言』
http://www.news-pj.net/npj/sawafuji/index.html