◇「テロとの戦い」最前線肉薄

 国際理解の促進に貢献した記者を表彰する今年度のボーン・上田記念国際記者賞に、前北米総局(ワシントン)記者で外信部の大治朋子記者(45)が選ばれた。テロとの戦いの最前線で兵士をむしばむ外傷性脳損傷の実態や、誤爆を招く米無人機の実情などを伝えた報道姿勢が評価された。大治記者や毎日新聞が取り組む「テロとの戦い」を巡る報道の現状と課題を紹介する。

 ◇外傷性脳損傷、米兵に「見えない傷」

 「調べてほしいことがあるのですが」。07年9月、イラク戦争に関する取材で米オハイオ州に住む帰還兵を訪ねた時のこと。取材に同席していた家族がふとつぶやいた。帰還兵はイラクで武装勢力の爆弾攻撃を10回以上受けた。目に見える外傷はないが帰国後、記憶障害に悩まされている。米軍病院は「外傷性脳損傷(TBI)かもしれないが、同じような症状の帰還兵が殺到していて診察は数カ月先になる」と繰り返すばかりだという。

 TBIとは外力によって生じる脳組織の損傷で、自動車事故やスポーツでの転倒など頭に直接的な衝撃を受けて起きることが多い。だが米軍への取材で、陸軍が2カ月後の07年11月から従軍前の兵士全員を対象に全米初の認識力検査を始めると分かった。目に見える外傷がなくても爆発の衝撃がTBIを引き起こす可能性があり、発症のメカニズム解明に乗り出すという。

 軍医によると、武装勢力の作る爆弾の爆風は超音速(秒速340メートル以上)。至近距離で受けると頭部に過剰な衝撃が加わり、脳組織に微小な損傷を与える可能性がある。イラクでは爆弾攻撃で多数の米兵が死傷。米軍は07年、高性能の装甲車を導入して死傷者を減らしたが、今度はTBIが急増した。ハイテク装備に守られて生き延び、従軍を繰り返し、さらに爆弾攻撃を受けて「見えない傷」を深刻化させているという。

 第二次世界大戦の核兵器、ベトナム戦争の枯れ葉剤。米国は戦争のたびに新たな兵器を作り、未知の傷病を世に送り出してきた。だが今回は、米兵を守るために開発した高性能の装備が新たな傷病を生むという皮肉な結果をもたらしている。軍病院は医療機器や専門医が不足。十分な治療や補償を受けられない帰還兵であふれていた。

 意外にも米メディアはこの状況をほとんど伝えなかった。ある医師によると「ベトナム戦争以来、国民は帰還兵の傷病や補償問題にはうんざりしている」という。だがこの実態を記すことは、米国がこれから長年背負うであろう対テロ戦争の代価を記録することでもある。戦争の後遺症を、米社会がどう受け止めるのかも見極めたかった。

 この取材をまとめたのが連載「テロとの戦いと米国」第1部「見えない傷」(09年2月17~21日)だ。偶然だが連載終了直後、オバマ大統領は演説で初めてTBIについて言及。「イラク戦争特有の負傷」と指摘し、メカニズムの解明と治療体制の拡充を約束した。国防総省も帰還兵の1~2割(18万~36万人)がTBIを発症するとの推計を初めて発表した。

 ◇アフガン従軍取材、心理戦の現実

 09年5~6月、アフガニスタン南東部パクティカ州で駐留米軍に従軍(エンベッド)取材した。米軍側から見たアフガン戦争の実相を描く報道が極めて少ないと感じていたからだ。現地広報官によると、従軍取材の申請で最も多いのは英メディア。日本はほぼ皆無で、米メディアも減少傾向だという。「圧倒的な軍事力の米軍が、なぜこれほど苦戦するのか」。米軍側から戦況の厳しさを追うことで、かねての疑問を解き明かしたいという思いもあった。

 現場で一驚を喫したのは武装勢力の巧みな戦術だ。わずか10ドルの手製爆弾で数億円の装甲車を破壊し、米軍部隊を恐怖と不安に陥れていた。09年6月15日、私が同乗した部隊の特殊装甲車は武装勢力の手製爆弾を踏み、車体が大破した。一面砂漠のような状況で足止めを食い、応援部隊を待って基地に戻るまで約7時間。「360度どこから敵が来るか分からないぞ」。司令官の言葉に極度の緊張を強いられる米兵たち。やがて機関銃を構えたまま、一人が吐き出すように言った。「アフガン人を全部殺したい気分だ」。言葉だけだろう。だが「見えない敵」におびえる心の叫びのようにも聞こえた。

 アフガンでは銃撃戦は少なく、武装勢力はもっぱら爆弾を仕掛けてじわじわとダメージを与える。それはベトナム戦争で北軍がジャングルにわなを仕掛け、米兵を狂気に追い込んだ心理戦を想起させるような光景だった。

 ◇アルカイダなど情報戦、無人機空爆逆手に反米扇動

 対テロ戦争はインフォメーション・ウオー(情報戦)だといわれる。だがその本当の意味を実感したのも、戦場だった。国際テロ組織アルカイダとアフガンの旧支配勢力タリバンはハイテクとローテクの両面で米軍に情報戦を挑み、米国は劣勢に立たされていた。

 アルカイダはインターネットを駆使してイスラム過激派思想を広めている。最近、反米感情をあおる道具にしているのが米国の無人航空機による空爆の映像だ。「ゲーム感覚で市民を殺す」イメージはネットに氾濫している。

 米国は国内の基地から衛星通信を使い、無人機を遠隔操作して1万キロ以上離れた戦場の「敵」を殺す。「米兵が死なない」無人機は泥沼化したアフガン戦争に欠かせない存在となっている。米シンクタンクによると、オバマ政権の無人機によるパキスタン空爆はブッシュ前政権時代を上回り、犠牲者の約2割は民間人だという。アルカイダはこうした状況を利用してインターネットを通じ、米国への憎悪を世界にまき散らして新たなテロリストを作り出している。

 ローテク戦略も巧妙だ。タリバンは貧困層のアフガン人に向け、夜ごとモスク(イスラム礼拝所)に「ナイトレター(夜の手紙)」をはり出し「対米戦に協力しなければ殺すと脅している」(現地司令官)。私の従軍した部隊はラジオ局を開設して「正しい情報」を流し協力を呼びかけていたが、ラジオすら持たない住民が大半を占める国で、その効果をあげるのは至難の業だ。

 米軍という「持てる者」と武装勢力という「持たざる者」が互角の戦いを繰り広げる非対称の戦い。連載「テロとの戦いと米国」第3部「アフガン非対称戦」(09年7月)と第4部「オバマの無人機戦争」(10年4~5月)でその最前線を描いた。

 戦争では敵対する双方が、それぞれの利益にかなう情報を流す。当事国のメディアも、国民の利益や関心を無視することはできない。外国人記者が現場に入り、さまざまな角度から「現実」を伝える。それは事実に近づく道だと信じている。【大治朋子】

 ◇闇に葬られる「戦争犯罪」

 「爬虫(はちゅう)類のような頭を持ち、後ろにプロペラのある小型飛行機が、南部の町や村を空爆している」。09年7月、アフガニスタンのカブールにある国内避難民キャンプで、激しい戦闘が続いていた南部のヘルマンドやカンダハル州から逃れてきた人々が、無人機を地面に描きながら訴えた。

 アフガン戦争での米国の無人機使用は当時、パキスタン西部の国境地域に限られているとみられ、米側もアフガンでの使用を認めていなかった。

 しかし、空爆で死んだという血だらけの子供の写真を手にした父親たちの証言は詳細で、「こんな幼児をテロリストと呼ぶのか」「ゲーム感覚で人間が無差別に殺されている」などと興奮した。外国人というだけで記者が責められているように感じ、身の危険を覚えた。

 アフガンでの「戦争犯罪」は闇の中だ。空爆で殺傷された人々について、住民らが「無実の市民」と主張しても、米軍側は「テロリスト」や「武装勢力」だと反論し、国連や国際人権団体も手をこまぬいている。

 08年8月に西部ヘラート州南部で起きた米軍機による空爆は、住民が「市民90人以上が死んだ」と訴えたが、米軍側は「死者のほとんどがテロリスト」と公表した。

 真偽を確かめるため現場を訪れると、土を固めた日干しレンガ造りの家々が丸ごと破壊されていた。家族の中で唯一生き残ったという少年が、砲弾でばらばらになった家族の肉片を拾い集めながら、「僕たちが何をしたというのか」と顔を上げた。その厳しいまなざしは今も忘れられない。

 市民の犠牲を否定するのは、米軍の敵である武装勢力も同じで、「死んだのは米兵かその手先だ」などと主張した。旧支配勢力タリバンの報道官は、テロ攻撃のたびに「殉教者の自爆攻撃はアメリカの無人機より正確だ」と言った。しかし、病院には通行中だった多くの市民が不衛生な病棟にあふれていた。

 戦火におびえて暮らすアフガン市民から見ると、「米国もタリバンもうそつき」だ。それでも「タリバンの方がマシ」だと思うアフガン人が少なくないのは、米国とその戦列にいる国々が、自らは安全な場所にいながらアフガンで殺りくを続けているからにほかならない。

 米国が市民の犠牲を否定すれば、感情のはけ口を失った人々の矛先は、米国の後ろ盾を受けている自国政府にも向かう。カルザイ大統領が「誤爆」を公然と非難するのは、ただでさえ不安定な政権がますます窮地に陥るからだろう。

 今日もこの空の下で血や涙を流している人々がいる。だが、世界が毎年9月に米ニューヨークの世界貿易センタービルで起きた悲劇に涙しても、アフガン市民の犠牲には無頓着すぎる。開戦10年目を迎えたアフガンでの対テロ戦がうまくいかない理由はその辺りにも根ざす。【前ニューデリー支局長・栗田慎一】

 ◇「9・11後の10年」今後も検証

 米同時多発テロから今年9月11日で10年を迎える。毎日新聞は、この事件を機に米国が主導して始まった「対テロ」戦が、世界にどのような影響をもたらしたのかを約1年にわたって検証する連載企画「9・11後の10年」を昨年末から始めた。

 第1部は、対テロ戦の戦列にいる欧米各国で、自国民や自国で育った人々によるテロ事件が近年急増した問題を取り上げた。この問題は英語で「ホームグロウン・テロ」と呼ばれ、企画では、アフガニスタンやイラクでの軍事攻撃が「イスラム教徒を迫害している」とするインターネット上の情報に呼応してテロ行為に加担していく若者の姿や、差別や貧困などがテロ組織につけこまれている現状を現場から報告した。

 近く始まる第2部では、イスラム教徒の多い国々で、「対テロ」を理由に既存の反政府勢力への弾圧が強化されたことで市民生活が受けた影響や、国際テロ組織と一線を画そうとする反政府勢力側の動向などを取り上げる予定だ。今年に入り、チュニジアやエジプトなど親米的とされた中東の独裁・強権政権が民衆デモによって倒されるという、従来の常識を覆す政変劇が続いている。9月まで続く予定の連載は、対テロ戦の10年で、米国を中心とした世界秩序がどのように変わったのかにも踏み込んでいく。


毎日新聞 2011年3月8日 東京朝刊 より
 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110308ddm010040002000c.html