口 翌日、急転直下、建設中止に
 翌日も私は用事があり家を空けていました。そしたら昼前に主人から、「基地局建設の話は中止になったよ!地主がKDDIに撤回の電話をしたよ!」と連絡がありました。
 急いで帰宅すると、午前中、地主と区長である義父と副区長であるMさんの義母の3人で話し合いをしたということです。義父は牛の話をしたそうです。地主がソフトバンクの基地局を牛舎のすぐ前につけてからしばらくして、牛の繁殖率がガクッと下がりました。特に今までと何も変えたことはなく、普通は夏場に下がるのにおかしい、思い当たる節は基地局しかないと思っていること。また、近隣の牛舎でも基地局をすぐ隣に建てたところがあり、話を聞くとやはり繁殖率が下がっているということ、を。
 その話を聞いて、地主はその場でKDDIに基地局建設中止の電話を入れたそうです。そしてソフトバンクにもアンテナを外すように電話を入れました。中止の意思を示すのに、地主の個人名では、会仕側から嫌がらせがあると困るので、区として中止を決めたということにしたそうです。
 そして地主からは「勉強会だけは開かないでくれ」という条件が出されました。「地域ともめてまで、基地局を建てたくない」と地主は中止理由を述べたそうです。

 口 反省すべきこともあります
 こんな経緯で基地局の建設は中止となりました。
 中止が決まった夜、主人とMさんと一緒に地主宅に挨拶に行きました。地主は私たちが反対をしているのは、嫌がらせだと思ったそうです。後から考えると、一度話に行ったときに、枢手にしてもらえず、それからは周りを攻めていきました。しかし、もっと何度も足を運ぶべきだったと反省しました。
 そして地主は「勉強会を開いて、地城の人が洗脳されて、その話が広まって、今使えている基地局が無くなり電波がなくなったら携帯電話が使えなくなって困る」「うちには娘がいるから、牛の繁殖率が低下した話を聞いてピーンときたんだ」と本音を話してくれました。

 こう読み返してみてもいろいろあったなあと思いますが、今回行動中、私は流れに乗っているだけでした。そこに進む怖さはありましたが、手元に資料が集まってきたり、子どもたちが発熱して家にこもって資料をつくれたり、電磁波問題市民研究会とつながることを通じて、「私がここで動くべきことなんだろう」と思い、ここまでやってきました。
 実際に動いてみると、つらいことは山ほどありました。地域の人たちがみんなで清掃活動をしているのを見て、本当にここで反対運動を起こしていいんだろうかと悩んだこと、家の中が暗くなったとき、寝ている二人の子どもの顔をみて、やはり私ががんばらなくては!と心に誓った時もありました。
 明るい兆しもありました。私が基地局に不安を感じたことに、Mさんのように、多くの同世代のママたちが共感してくれたことです。これからの未来を担っていく子どもたちの親が問題意識を持つだけで、何かあったときに行動することができると思いました。
 私もそうでした。過敏症のAさんの話があったから動くことができました。そんな思いで、さっそく子どもの子育てサークルで簡単ですが《電磁波について》の勉強会を開きました。
 「本当のことを知れば必ず人の心は動くんです」と大久保さんに言われた言葉が心に残っています。

※事務局:
 野辺山さんから素晴らしいレポートをいただきました。「田畑あり山ありの田舎で、小さな集落」の地で、基地局反対の声をあげるのは相当勇気のいることです。野辺山さんとは電話と手紙のみでお会いしたことはありません。電話の先で、義父やご主人を含めたあつれきの中で苦しんでいる様子を感じ、私も無責任なことは言えず、どうアドバイスしていいか悩みました。一度は野辺山さんもあきらめました。だが、それからしばらく経って「やっぱり、子どものことを考えたらあきらめられない」と電話が来ました。若い母親の一途さを感じました。全国で、同じような厳しい状況下で今日も基地局反対の取り組みは行われているのです。
 
『電磁波会報』(№68 2011/1/30)
http://www.jca.apc.org/tcsse/index-j.html
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
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