『電磁波会報』(電磁波問題市民研究会)から
 ◇ 私はこうしてKDDIの基地局建設を中止させました

野辺山久実(仮名 会員)

 □ 小さな集落に住む二児の若い母です
 私のうちの周りは、田畑あり山ありの田舎で、小さな集落です。32歳の私には3歳と1歳の子どもがいます。牛飼いの主人のところへ嫁いできました。

 □ 家から百メートル先に高さ20mの基地局が計画された
 4月に入った頃、主人が携帯会社から渡されたパンフレットを私にわたして、「うちから100mのところにauの20mのアンテナ鉄塔が建つんだって」と話しました。
 そこはうちの牛舎から続く畑でした。我が家は夫婦二人ともauの携帯電話を使っており、かなり電波状態が弱く、通話はできません。主人は以前から何度もauに苦情を訴えていました。しかし、私には電磁波過敏症の知人がいて、以前基地局を撤去させた語を聞いていました。そして「基地局には気をつけないとダメだよ!」と言われたことを思い出し、これは良い話ではないと主人に伝えました。
 と同時に“建ってしまった”ではなくて“これから建つ”こと、電磁波の被害を知っている以上、建っては困る、大変なことになるなあ、と思いました。


 □ 地主は隣家、どうしようと焦るだけ…
 その話を聞いて4日位は、どうしようどうしようと胸がざわざわして落ち着きませんでした。身近な友人たちにこんなことになって…と話してみたものの、自分からすぐに動きだすことはできませんでした。
 地主は隣家で、うちの牛舎が道を挟んであります。外から来た嫁の立場もありました。パンフレットには7月から工事着工予定と書いてあったので、まだ先のことという感じもしました。そのまま時間だけが過ぎていきました。

 □ ある育児雑誌の記事が後押しした
 そんなとき図書館から借りてきた育児雑誌に“海外で子どもへの携帯電話の使用を禁止に”という記事を読み、やっぱり携帯電話は危険!と自分を押すカになり、その記事を主人にも伝え、主人も理解を示してくれました。
 それから主人と何度か話をしていくうちに、主人も反対の意思を固めてくれたようだったので5月の中頃KDDIに電話をかけました。しかしオペレーターが出て、「近所に反対者がいても、地主の許可があれば工事を進める」という内容でした。
 それでは地主に交渉に行こうと思いましたが、私には人を説得させられるほどの知識がありませんでした。調べるにも手元には資料もあまりなく、まずは友人たちになんでもいいから情報をくださいとお願いをしました。また知人で電磁波過敏症のAさんに連絡をとりました。

 □ 勇気を出して夫婦で地主に話に行った。だが…
 Aさんからはまず「地主を説得してみて!」とアドバイスをもらい、パソコンで検索した電磁波の健康被害をプリントアウトして主人と二人で地主のところへいき、話をしました。
 地主は「自分も子どもを育ててきたからわかるが、それは考えすぎだ。気にしすぎだ」「家の中でも電磁波だらけじゃないか。そんな考えじゃ何もできなくなるよ」「うちは契約を解除したら逆にお金を支払うことになる」「基地局を建てるのは公共性のため。道を広げるのと同じだ。断る理由が無い」「でもね、なにかあっても自分の責任では無い。土地を貸しただけだ。遊んでる土地でお金が入るんだよ」、とまるっきり聞き人れてもらえませんでした。
 そして工事は5月の下旬から始まるというのです。また新たな事がわかりました。
 地主の倉庫についている短いアンテナはソフトバンクの携帯電話基地局でした。短い距離をカバーするものらしいですが、まさしく牛舎と我が家には、すぐ近くから電磁波が発射されていたのです。

 □ 電磁波問題市民研究会とつながる
 困ってまたAさんに事情を話すと、電磁波問題市民研究会の大久保さんの連絡先を教えていただきました。そして大久保さんから電磁波について細かく教えてもらい、同時に基地局問題への取り組み方を教えていただきました。
 しかし正直なところこの狭い集落で反対運動を起こしていいのだうか?さらに嫁の私が言いだしていいのだろうか、とまた二の足を踏んでいました。

 □ 下請けの関電工は「無害」と言い切る
 とにかくまずは電磁波について、健康被害について勉強しなければと本を読みあさりました。そんな時、突然下請け会社の関電工の責任者が地主から反対者がいると聞いたと来宅しました。関電工は、区長をやっている義父にも、事前に説明に来て了承を得た、うちの主人とも話をしている、地城の人たちにもきちんと了承を得た、と説明し、基地局からの電磁波は無害ですと言い切りました。
 そこで私は疑問に思うことをいくつか聞いてみると、答えきれないので後日auの担当者から、直接説明しますと言われました。
 翌日、基地局建設に私が不安に思っているようなので、私が説明を聞いて納得されてから工事を始めますと電話がありました。エ事がストップするのは有難いことでしたが、私ひとりが反対者で、私が納得してしまったら、基地局が建ってしまう、と非常に怖くもありました。

 □ はじめて仲間を得る
 そこで初めて同じ集落のMさんに声をかけました。もともと若い家族も子どもも少ない地域です。Mさんは有機農業などに取り組む私の一歳上の臨月の妊婦でした。予定日まで1カ月を切った彼女に負担をかけてしまうのではと、それまでなかなか話をできずにいましたが、Mさんは快く「基地局が建つのは困る。その説明会に参加させて」と言ってくれました。
 そして義父にも電磁波についてや健康被害など、何度も説明を繰り返しました。しかし、「例え健康被害があっても、それより地城の関係のほうが大事だ」「地主がやると決めたことに反対はできない。第一に今までも、毎日うちの仕事で迷惑をかけている。建てると言ってるんだから従うしかない、建てないでくれというのは喧嘩を売っているのと同じだ」「都会ならいいのかもしれないが、ここは違う。地主との関係のほうがよっぽど大事だ。自分は基地局建設に反対の立場はとれない」と話は平行線のままでした。

 □ 事業者の説明を3人で聞く
 そして説明会当日、相手はau1名、関電工3名、こちらは私たち夫婦とMさんの3名で話し合いをしました。
 こちらから出す質問に、相手は「国の基準を守っている」「次回までに調べてきます」「何事も50年後、100年後どうなってるかは科学者にもわからない」と答え、こちらから「地域住民への説明会を開いてほしい」と伝えると、相手は「反対者がいるのに、住民説明会を開くのは、自分たちにとっての開催の意味(業者にとってのメリット)がわからない。説明会を開くのであれば手順として現在の電波の測定をして、少しでも納得してからにして欲しい」と答え、私たちが「今現在の測定値は必要ない」と伝えても、「測定を」の一点張りでした。
 またこの説明会の中で、『確約書』が提示されました。それまで無言でいた上司が、「ここまでしてるんだから納得してください」と言う一場面もありました。(しかし大久保さんに聞くとこの『確約書』は社長名でないなど、意味を成さないものでした)
口義父が味方になってきた。しかし地域の反応は厳しい
 この話し合いの後、私がいくら伝えても反応がなかった義父ですが、Mさんが参加したためか、「集落の子どもがいる若い人に声をかけてみろ」と言いました。
 そこから急いでビラを作り、大久保さんに校正してもらい、Mさんと近所を回り始めました。今までは犬の散歩で会えば、笑顔で話してくれていた人が、基地局の話をしてから、足早に去って行ったり、無視されてしまうようなこともありました。後から聞くと、あそこの家は地主と親せきのようなものだ等、私にはわかりかねる昔からの関係が多々ありました。
 「あそこの家に回って話をしてみろ!」「あそこはやめておけ!」「地主には牛の話で、電磁波の健康被害の話はするな!あとで必ずやり返されるから」と義母からもアドバイスを受けました。
 しかし一方で、地主とは今までは笑顔で立ち話をしていたのが、車ですれ違っても無視されました。一番ショックを受けていたのは主人でした。反対運動をすると決めた時点である程度覚悟はしたものの、ここで育ってきた主人には周りの人の態度が耐えがたいものだったんでしょう。なげやりになることもしばしばでした。当然夫婦でぶつかり、我が家の空気も暗くなりました。

 口 勉強会開催のビラ配布で地主が怒る
 そして私たちはアドバイスを受けて大久保さんを呼んでの電磁波勉強会を計画しました。その計画を義父と私たちと同年代の人に話したところ、中には電気を扱っていたから電磁波のことはわかるよと、私たちの行動を応援してくれる人も出てきたので、勉強会を開催することに決めました。
 私たちはこの勉強会に地主にも参加してもらいたかったので、ビラを作り、まず地主のところへ持って行き求した。地主は不在だったので奥さんに伝言を頼み、ビラだけ置いていきました。その翌日、私は用事があり朝から一日家を空けていたので、帰ってからその日起こった騒動の一部始終を聞きました。
 その日、地主は頭に血を登らせて、まず私の家に来たそうです。だが私も義父も不在だったため、Mさん宅へ行き、たまたまMさんの義母が副区長だったので、Mさんと義母に怒りをぶっけたそうです。
 Mさんは物腰の柔らかなひとですので、その怒りをすべて聞いていたそうです。地主は「勉強会を開くとはやり方がきたない」「脅迫だ」、さらに「勉強会のビラの作り方にも不備がある」「主催はだれだ?」「宗教団体のようなことにどうして集会所の使用を許可したんだ?」と怒鳴ったそうです。
 しかし、その後Mさんが地室に電磁波の健康被害を説明してくれて、それを聞いていた地主の態度をみて、Mさんは「これなら話をすれば地主はわかってもらえるのでは」と思ったそうです。
 私は帰ってから話を聞き、地主のところへも行きましたが地主は不在で話はしていません。義父とは散々話しましたが、義父は「やはり人間関係のほうがよっぽど大事だ」と言い、地主の話を受けてか「勉強会の講師も得体が知れない」「基地局に反対している団体でなく、第三者的な所が証明をした人でなければ集会所は使えない」、さらには、「(私の知人の)電磁波過敏症だという人は頭がおかしい人なんじゃないか」と言う状態でした。
 私は家に帰ってから、この先どう進めていっていいのか全く分からない状態で、主人も地主からうちの仕事にも文句をつけられるんじゃないかとビクビクしていました。

≪続く≫ 
 
『電磁波会報』(№68 2011/1/30)
http://www.jca.apc.org/tcsse/index-j.html
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