心がくたびれたある平教員
教員は怒らなくなった。
「教育改革」と称する一連の改悪のひとつである「企画調整会議」でも教員は怒らなくなった。企画は大事と主張する管理職が、時間いっぱい自分の悩みや愚痴を語っていても。管理職が企画で言ったことと職員会議で言っていることが全く異なっていても誰も怒りの声をあげない。あきらめが教育の場に蔓延している。
管理職は「教員の格付け」に必死である。
主幹教員の発言は聞くが平教員の発言は聞こえないふりをする。これはドリフターズの往年の殿様・女中コントに近い。管理職に聞いてほしいなら主幹になれということである。自分に甘言をいう主幹のみを集めて学校運営を行いたい管理職だが、企画調整会議では平教員も会の構成上参加させなければならないため、気に入らない人物が参加している場合がある。このため企画調整会議とは別に「裏」企画調整会議というものを主幹教員と管理職のみで行い、学校運営の詳細を決定する職場もある。さらに「裏」企画のメンバーで職場の人事異動までもが決定されている職場があるという。40代そこそこの主幹が50代後半の教員の最後の異動を決するというのは何と荒涼とした光景であろうか。傷害事件によく発展しないものである。
「主幹」という制度もはじめから崩壊している。
主幹選考を受ける動機はさまざまであろうが、仄聞する限りでは他の職場に異動したくないとか、給料を上げたいとか、仕事上の権威?を持ちたいとかいう理由に収束するように思う。職場で奮闘する主幹も確かにいるが、仕事を誰かに振ることがおもな仕事と考えている主幹教員が少なからず存在すると思える。感覚的にやりたい仕事、やりたくない仕事で自分に都合良く仕分けを行い、やりたくないことはネグるか、平教員に押しつけることがまかり通ってよいのであろうか。
同僚や管理職に対する「内部告発」も無惨である。
職場の劣悪な労働環境を改善するなどという崇高な動機ではなく、個人的な恨みが炸裂した結果であることが多いように思う。私怨による内部告発によってかえって職場環境が悪くなり、労働強化へと結びつく。中には事細かに告発対象の人物の言動や画像を時系列にファイル化し、都に持ち込もうとする病的ともいえるような事例もある。またありもしない「セクハラ」を管理職に訴え、分掌希望や異動を自己に有利にしようとする妄想傾向の強い教員も存在する。しかし管理職や同僚を追い込むと同時に自分も追い込まれるという構図を理解してほしい。職場の人間に対して仲間意識を持たず、都や管理職に職場内の軋轢や妄想を訴えるという事象が内包する猛毒性をもっと理解すべきである。
その一方でやや問題の性質が異なるが、「マスコミへの内部情報漏洩」を教員がやった、と勝手に思いこみ、教員の誰かが情報を漏洩した疑いがある、と怒りをあらわにした管理職がいるという。謎の第3者によるガセネタをつかまされた三流マスコミが、夜中まで校長の自宅に張り込んで情報の裏をとろうとしたことから、ヒステリックに反応して教員を難詰したとのことである。「職場の長」としてあるまじき軽薄さ。当人は普段から口癖のようにみんなでよりよい学校づくりとかいっているらしい。ガセネタであることがわかり、教員に謝罪するのが社会人として常識であるはずだが、全く何の弁明もないそうだ。危機管理力がなく社会常識に欠け、思いやりとか反省とは無縁の者が管理職である悲惨な状況が今の都立高校にはみられる。
つづく
『藤田先生を応援する会通信』第45号(2011/1/14)から
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
教員は怒らなくなった。
「教育改革」と称する一連の改悪のひとつである「企画調整会議」でも教員は怒らなくなった。企画は大事と主張する管理職が、時間いっぱい自分の悩みや愚痴を語っていても。管理職が企画で言ったことと職員会議で言っていることが全く異なっていても誰も怒りの声をあげない。あきらめが教育の場に蔓延している。
管理職は「教員の格付け」に必死である。
主幹教員の発言は聞くが平教員の発言は聞こえないふりをする。これはドリフターズの往年の殿様・女中コントに近い。管理職に聞いてほしいなら主幹になれということである。自分に甘言をいう主幹のみを集めて学校運営を行いたい管理職だが、企画調整会議では平教員も会の構成上参加させなければならないため、気に入らない人物が参加している場合がある。このため企画調整会議とは別に「裏」企画調整会議というものを主幹教員と管理職のみで行い、学校運営の詳細を決定する職場もある。さらに「裏」企画のメンバーで職場の人事異動までもが決定されている職場があるという。40代そこそこの主幹が50代後半の教員の最後の異動を決するというのは何と荒涼とした光景であろうか。傷害事件によく発展しないものである。
「主幹」という制度もはじめから崩壊している。
主幹選考を受ける動機はさまざまであろうが、仄聞する限りでは他の職場に異動したくないとか、給料を上げたいとか、仕事上の権威?を持ちたいとかいう理由に収束するように思う。職場で奮闘する主幹も確かにいるが、仕事を誰かに振ることがおもな仕事と考えている主幹教員が少なからず存在すると思える。感覚的にやりたい仕事、やりたくない仕事で自分に都合良く仕分けを行い、やりたくないことはネグるか、平教員に押しつけることがまかり通ってよいのであろうか。
同僚や管理職に対する「内部告発」も無惨である。
職場の劣悪な労働環境を改善するなどという崇高な動機ではなく、個人的な恨みが炸裂した結果であることが多いように思う。私怨による内部告発によってかえって職場環境が悪くなり、労働強化へと結びつく。中には事細かに告発対象の人物の言動や画像を時系列にファイル化し、都に持ち込もうとする病的ともいえるような事例もある。またありもしない「セクハラ」を管理職に訴え、分掌希望や異動を自己に有利にしようとする妄想傾向の強い教員も存在する。しかし管理職や同僚を追い込むと同時に自分も追い込まれるという構図を理解してほしい。職場の人間に対して仲間意識を持たず、都や管理職に職場内の軋轢や妄想を訴えるという事象が内包する猛毒性をもっと理解すべきである。
その一方でやや問題の性質が異なるが、「マスコミへの内部情報漏洩」を教員がやった、と勝手に思いこみ、教員の誰かが情報を漏洩した疑いがある、と怒りをあらわにした管理職がいるという。謎の第3者によるガセネタをつかまされた三流マスコミが、夜中まで校長の自宅に張り込んで情報の裏をとろうとしたことから、ヒステリックに反応して教員を難詰したとのことである。「職場の長」としてあるまじき軽薄さ。当人は普段から口癖のようにみんなでよりよい学校づくりとかいっているらしい。ガセネタであることがわかり、教員に謝罪するのが社会人として常識であるはずだが、全く何の弁明もないそうだ。危機管理力がなく社会常識に欠け、思いやりとか反省とは無縁の者が管理職である悲惨な状況が今の都立高校にはみられる。
つづく
『藤田先生を応援する会通信』第45号(2011/1/14)から
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫