☆ 何故15年戦争を止められなかったのか?と聞かれたら
2011/1/24(月) みと文化交流プラザ
(もしもフロアー発言が認められたら…)
皆様、3日聞ご苦労様でした。東京都立高校のIと申します。私達はこの3日間、遠くから高い交通費を払い、多忙な仕事で休めない中でも工夫をしながらやっと貴重な年休を使って、一体何の為にこの会場で議論していたのでしょう。私達の目的・目標は一体何なのでしょう。26ある分科会の中で『平和教育』分科会の立場をもう一度考えなおしたいと思います。
第13分科会の『人権教育』や、第21分科会の『カリキュラムづくりと評価』等には出来ない、『平和教育』分科会独自の使命は何かということです。
教員であれば誰しもが、目の前にいる全ての教え子の幸せを願って、日々悪戦苦闘しているのではないでしょうか。大きく言えば、世界中の子ども達が、個人の尊厳を大切にされながら人権を尊重され、平和で文化的な社会の中で学校に通えることが前提となるはずです。
しかし現実は違います。我々の先輩教員が、65年以上前に歩んでしまった過去の過ちから学び、「教え子を再び戦場に送らない」為の知恵を出し合い、「過ちは二度と繰り返さない」為の確認をこの場で継承していかなければならないんだと思っています。今回出された29本のレポートは、皆それぞれに素晴らしいものだと感激し、勇気と元気を貰うことが出来ます。しかし、これで十分良かったとは思えません。
また明日から戻る学校現場では、私達が望む教育の前提条件が破壊されているからです。憲法や子どもの権利条約の理念が踏みにじられているからです。組合の闘いが弱過ぎるからです。(いや、本部が闘いの邪魔をするからです…)。表現の自由や、思想・良心の自由や、信教の自由や、教育の自由が侵害されているからです。
最も重要なことは、戦後騙され続けてきた「日本の見せ掛けの未熟な民主主義」を、「確固たる民主主義」へと定着させていくことだと思います。
多数の理論に従うことではなく、特別な誰かに従うことでもなく、私達一人ひとりの教員と、児童・生徒一人ひとりが主体的に活動出来る学校現場の実現を目標に不断の努力をして行かなくてはならないと思います。
教員←校長←教育委員会←議会等という構造を一日も早く撤回させなくてはなりません。同様に、組合員←各単組本部←中央日教組←政治という構造も否定されなければなりません。ここは株主総会ではありません。何事もなくシャンシャン大会で終わらせることが目的ではありません。
自信を持って皆で進んで行く為には、適切な批判を受け止めるだけの度量をもって進行をして頂きたいし、日教組担当者は誠意を持って我々に向き合うべきなんです。
昨日の東京レポーターからの要請は、無視されたままです。『教え子を再び戦場に送るな!』のスローガンは、一度降ろした後に再度掲げることになったのだから、日の丸・君が代の強制に闘う姿勢も、再度復活させ、日教組全体として取り組む様に、強く要請します。
私は今、50歳になりますが、まさか自分が生きているうちに、このような現実が来るとは夢にも思っていませんでした。映画「ひめゆりの塔」の中で描かれている職員会議が過去のものであるとは到底思えません。現在、校長の横に軍人はいないものの、見えない教育委員会や右翼的議員の影がはっきり見えています。過去の校長が軍人の言いなりだったのと同様、現在の校長は教育委員会等に雁字搦めにされている。現在の教員はといえば、ひめゆり同様、当たり前の発言に自粛を促す教員、あからさまに権力側に付く教員、魂を吸い取られてふぬけになってしまった教員…。
何故戦争が起きるのか?
石油・エネルギー産業及び軍需産業をはじめ、一部大企業の利益が、個人の尊厳よりも、人権よりも、人の命よりも優先されることによるもの。
そして学校教育によって、子ども達の考え方を操作して戦争反対を言わせないこと。
我々一般市民の中で「戦争したい」と思うのは、ほんの僅かな人間だ。しかし権力者は、「消極的に戦争を許してしまう人」を作り、「適切な批判精神を失った人」を作り、「魂を奪いもの言わない人」を作った後、数年~数十年経ったとき、本当の戦争は起こされるのでしょう。
干葉県の警察署では、毎日勤務時間終了時に「君が代」が流れ、職員は直立不動。署を訪れた人たちは40秒間待たされるのだ。他人事だと無視は出来ない重要案件です。
何故15年戦争を止められなかったのか?
それは、私たちの先輩達がもの言わぬ教員に成り下がったからではなかったか。今、再び、起こされようとしていう戦争を止めるのは、私達現在の教員の使命ではないかと思う。
結局、フロア「からの発言は一人も認められませんでした。
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
2011/1/24(月) みと文化交流プラザ
(もしもフロアー発言が認められたら…)
皆様、3日聞ご苦労様でした。東京都立高校のIと申します。私達はこの3日間、遠くから高い交通費を払い、多忙な仕事で休めない中でも工夫をしながらやっと貴重な年休を使って、一体何の為にこの会場で議論していたのでしょう。私達の目的・目標は一体何なのでしょう。26ある分科会の中で『平和教育』分科会の立場をもう一度考えなおしたいと思います。
第13分科会の『人権教育』や、第21分科会の『カリキュラムづくりと評価』等には出来ない、『平和教育』分科会独自の使命は何かということです。
教員であれば誰しもが、目の前にいる全ての教え子の幸せを願って、日々悪戦苦闘しているのではないでしょうか。大きく言えば、世界中の子ども達が、個人の尊厳を大切にされながら人権を尊重され、平和で文化的な社会の中で学校に通えることが前提となるはずです。
しかし現実は違います。我々の先輩教員が、65年以上前に歩んでしまった過去の過ちから学び、「教え子を再び戦場に送らない」為の知恵を出し合い、「過ちは二度と繰り返さない」為の確認をこの場で継承していかなければならないんだと思っています。今回出された29本のレポートは、皆それぞれに素晴らしいものだと感激し、勇気と元気を貰うことが出来ます。しかし、これで十分良かったとは思えません。
また明日から戻る学校現場では、私達が望む教育の前提条件が破壊されているからです。憲法や子どもの権利条約の理念が踏みにじられているからです。組合の闘いが弱過ぎるからです。(いや、本部が闘いの邪魔をするからです…)。表現の自由や、思想・良心の自由や、信教の自由や、教育の自由が侵害されているからです。
最も重要なことは、戦後騙され続けてきた「日本の見せ掛けの未熟な民主主義」を、「確固たる民主主義」へと定着させていくことだと思います。
多数の理論に従うことではなく、特別な誰かに従うことでもなく、私達一人ひとりの教員と、児童・生徒一人ひとりが主体的に活動出来る学校現場の実現を目標に不断の努力をして行かなくてはならないと思います。
教員←校長←教育委員会←議会等という構造を一日も早く撤回させなくてはなりません。同様に、組合員←各単組本部←中央日教組←政治という構造も否定されなければなりません。ここは株主総会ではありません。何事もなくシャンシャン大会で終わらせることが目的ではありません。
自信を持って皆で進んで行く為には、適切な批判を受け止めるだけの度量をもって進行をして頂きたいし、日教組担当者は誠意を持って我々に向き合うべきなんです。
昨日の東京レポーターからの要請は、無視されたままです。『教え子を再び戦場に送るな!』のスローガンは、一度降ろした後に再度掲げることになったのだから、日の丸・君が代の強制に闘う姿勢も、再度復活させ、日教組全体として取り組む様に、強く要請します。
私は今、50歳になりますが、まさか自分が生きているうちに、このような現実が来るとは夢にも思っていませんでした。映画「ひめゆりの塔」の中で描かれている職員会議が過去のものであるとは到底思えません。現在、校長の横に軍人はいないものの、見えない教育委員会や右翼的議員の影がはっきり見えています。過去の校長が軍人の言いなりだったのと同様、現在の校長は教育委員会等に雁字搦めにされている。現在の教員はといえば、ひめゆり同様、当たり前の発言に自粛を促す教員、あからさまに権力側に付く教員、魂を吸い取られてふぬけになってしまった教員…。
何故戦争が起きるのか?
石油・エネルギー産業及び軍需産業をはじめ、一部大企業の利益が、個人の尊厳よりも、人権よりも、人の命よりも優先されることによるもの。
そして学校教育によって、子ども達の考え方を操作して戦争反対を言わせないこと。
我々一般市民の中で「戦争したい」と思うのは、ほんの僅かな人間だ。しかし権力者は、「消極的に戦争を許してしまう人」を作り、「適切な批判精神を失った人」を作り、「魂を奪いもの言わない人」を作った後、数年~数十年経ったとき、本当の戦争は起こされるのでしょう。
干葉県の警察署では、毎日勤務時間終了時に「君が代」が流れ、職員は直立不動。署を訪れた人たちは40秒間待たされるのだ。他人事だと無視は出来ない重要案件です。
何故15年戦争を止められなかったのか?
それは、私たちの先輩達がもの言わぬ教員に成り下がったからではなかったか。今、再び、起こされようとしていう戦争を止めるのは、私達現在の教員の使命ではないかと思う。
結局、フロア「からの発言は一人も認められませんでした。
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫