☆ 「火のトンネル・プロジェクト」
-表現活動を通して,原爆をみつめ,思いをつないでいく-
戦後65年,薄れつつある戦争の記憶,原爆の記憶。幼い頃,母からよく聞いた被爆体験。父から聞いた戦争休験。父や母が見たもの感じたものを、今,まさに,次の世代に継承しようとするときに,被爆2世である私にできることは何か。
美術教育を通して被爆体験を継承することではないか。21世紀を担う子どもたちに,戦争体験を,被爆体験を,より身近なこととして,忘れてはならないこととして認識させるには,美術教育でどんなことができるのか,何をしないといけないのか,問い続けてきた。
三重県多気郡 明和町立齊宮小 大台町立川添小 明和町立明星小
人権・平和教育 2010年6月15日,16日
「私はヒバクニセイです」
1.プロローグ〈20分間〉
みなさん,おはようございます。はじめまして。みなさんと会えることをとっても楽しみにしとったっさね。今日は2時間くらいばってん,よろしくおねがいしますばい。
ところで,みなさん、長崎と言われて,思いつく食べ物は何ね。
「カステラ」「ちゃんぽん」「皿うどん」
さすが,みなさん。通ばい。カステラはどこの国の食べ物に由来するかわかる?
そぎゃんたい。ヨーロッパ,その中でもポルトガルたいね。
チャンポンと皿うどんは?
「中国」
その通りばい。(長崎のヨーロッパ文化,中国文化を紹介する。)
こんなお菓子もあっとばい。これは,桃カステラと言います。中国文化とヨーロッパ文化があわさった,実に長崎らしいお菓子です。
このけしき,すばらしいやろ?ほら,これが今の長崎ばい。(稲佐山や松山の陸上競技場,浦上川は必ず紹介〉
それで,これが65年前の写真。このあと,とんでもないことが起こったとばい。
【キノコ雲】
【被爆後の全てを失った写真】(参加者一様におどろく)
【被爆直後の銭座小】
2.「火のトンネル」読み語り〈20分間〉
3.「火のトンネル」鑑賞〈45分間〉
(1)それぞれで鑑賞(2)感想綴り(3)全体で感想交流(4)質疑応答
4.私を語る〈15分間〉
(1)私は被爆二世です。(2)戦争は最大の差別だ
☆ 火のトンネルの学習を終えて一子どもたちのふりかえりから一
①真ん中の,2人で助け合っている人を見たら,体がもうぼろぼろで,「いたそうだなあ。」と思ってしまいます。階段の場面のところは,階段に横たわっていろんな人に助けを求めている感じがして,もう痛々しくて,描いているときも,「あー。」と思いました。火のトンネルの中で焼け死んでいる人たちや助け合っている人たちの気持ちが伝わってきます。たくさんの人たちが犠牲になって,傷ついているのを描いて、「恐ろしいなあ。」と思いました。たくさんのろうそくで囲まれて、みんなうれしいと思います。
②小さな女の子を私は描きました。まだ小さいので,クマのぬいぐるみを持たせてあげました。ほんとにこんな思いで死んでいく人でも,その中でもたくさんの命が犠牲になったと思うと,不安でたまらないのです。みんなでカを合わせて描いたのでよかったです。まだまだ足りないところもあると思うけど,それはそれで一人一人個性あふれているのでいいと思います。それに,この絵には,まだ小さな赤ちゃんだって描かれています。
③私はモデルをしているときに考えました。わたしは平気で寝転がっているけど,本当に原爆を受けた人はすっこい痛みに耐えて階段を登っていたことを考えて,私は真剣にやらなきゃと思いました。階段部分を描いていた他の人も目や口や体全体を真剣に描いていて,すごいなあと思いました。細かいところを仕上げて,みんなで見てみるとすごく真剣に描いた絵が本当のように見えました。私は絵を見て,戦争は絶対にしてはいけないと思いました。
④ぼくは「火のトンネル」を描いていろんなことを思いました。たとえば,人の傷。僕が思っていた傷は,大きな傷が2,3カ所ぐらいあるだけかなあと思っていました。でも,実際にみんなで描いた人には,いっぱい傷がついていて,見てるだけで体中がズキズキしてきそうで,その場からはなれたい感じでした。そして,周りの暗さ。周りの暗さがあったからこそ,ズキズキしてくるみたいに怖かったんだと思います。この怖さを1年生にもわかってほしいです。みんなが工夫してものすごくリアルになっていて,人の血がそこら辺に飛び散っていたりして,ものすごく怖いと感じ,鳥肌が立ちました。その暗さ,血,そういうものがあわさって,「ものすごくこわい。」って感じたんだとおもいます。
⑦私は火のトンネルを描いているとき,足をどこに置いたらいいのか迷いました。たとえ絵だとしても人を踏むのはかわいそうだと思ったからです。だけど,がれきの部分に足を置いたら足の裏に墨がっく。8月9日はたくさんの人の体と心が傷ついたと思います。亡くなった人。それを踏みながら泣きながら走って逃げた人。助けを呼ぶ人。もうそんな体験をする人がいない世の中にしたいと思いました。戦争は人の気待ちを考えることができない国と国との喧嘩です。相手の気持ちを考えることが大切だと思います。私はできるだけ相手の気持ちを考えることができるようにしたいです。
⑧火のトンネルを描いていて,完成した時,高いところから絵を見下ろしてみると,絵の中の一人一人が一生懸命生きようとしていることを感じ,今,元気である私が手を握り,人々を助けてあげたいと思いました。亡くなっている人。生きている人。亡くなった人の気持ちが伝わってきます。「なぜ。なぜ私が。」「…助けて!」「…水をくれ。」このような気持ちを訴えながら亡くなっていったことでしょう。たった一つの原子爆弾で七万五千人近くの人々が亡くなりました。最初,原子爆弾はとても大きなものに見えましたが,七万五千人近くの人々が亡くなったと知ったとき,たった一つの爆弾で七万五千人の命を奪ったのかと思うと,原子爆弾がとてもとても小さく思えてきました。絵の中から,「まだ生きたい!」という声が,私には聞こえてきました。今,生きていることを大切に,一歩一歩を歩いていきたいです。
⑨私は,火のトンネルを描いて,原爆を受けた人の傷をどう描こうか悩みました。でも,筆をカサカサと振ったら,傷や汚れを表すことができました。原爆を受けた方々の痛さ,苦しさ,悲しさがよく伝わる絵になったと思います。私も,絵を描いているとき,熱かっただろうなあ,苦しかっただろうなあと原爆を受けた方々の気持ちが伝わってきました。今まで,たくさんの人のお話を聞きました。その時感じた,私たちの思いをこの絵にぶつけました。「平和にしよう。戦争をなくそう。」この思いが絵を見た人に伝わるといいなと思いました。そして,私たちもこのことを生かして,もっと平粕に対する思いを考えていきたいです。
⑬火のトンネルを描いて、僕は原爆の恐ろしさがあらためてわかりました.火のトンネルの絵は黒の色しか使っていないから,よりリアルな絵になりました。絵の中心の2人は原爆にあって絶望した人達だと思いました。絵の右側で階段を上っていく人達は,水をほしがっている人なのかなあと思いました。まずは,銭座小学校の人達に,この火のトンネルの絵を見せて,原爆の恐ろしさを伝えたいです。この絵を見せて,差別やいじめをしようとする心をなくしてほしいです。僕が特に見てほしいのは中心の2人です。なぜかというと,この2人は,原爆の恐ろしさを伝えるかのように絶望しているからです。“
(以下略)
長崎県教職員組合 馬場 務(長崎市立西浦上小学校)
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
-表現活動を通して,原爆をみつめ,思いをつないでいく-
戦後65年,薄れつつある戦争の記憶,原爆の記憶。幼い頃,母からよく聞いた被爆体験。父から聞いた戦争休験。父や母が見たもの感じたものを、今,まさに,次の世代に継承しようとするときに,被爆2世である私にできることは何か。
美術教育を通して被爆体験を継承することではないか。21世紀を担う子どもたちに,戦争体験を,被爆体験を,より身近なこととして,忘れてはならないこととして認識させるには,美術教育でどんなことができるのか,何をしないといけないのか,問い続けてきた。
三重県多気郡 明和町立齊宮小 大台町立川添小 明和町立明星小
人権・平和教育 2010年6月15日,16日
「私はヒバクニセイです」
1.プロローグ〈20分間〉
みなさん,おはようございます。はじめまして。みなさんと会えることをとっても楽しみにしとったっさね。今日は2時間くらいばってん,よろしくおねがいしますばい。
ところで,みなさん、長崎と言われて,思いつく食べ物は何ね。
「カステラ」「ちゃんぽん」「皿うどん」
さすが,みなさん。通ばい。カステラはどこの国の食べ物に由来するかわかる?
そぎゃんたい。ヨーロッパ,その中でもポルトガルたいね。
チャンポンと皿うどんは?
「中国」
その通りばい。(長崎のヨーロッパ文化,中国文化を紹介する。)
こんなお菓子もあっとばい。これは,桃カステラと言います。中国文化とヨーロッパ文化があわさった,実に長崎らしいお菓子です。
このけしき,すばらしいやろ?ほら,これが今の長崎ばい。(稲佐山や松山の陸上競技場,浦上川は必ず紹介〉
それで,これが65年前の写真。このあと,とんでもないことが起こったとばい。
【キノコ雲】
【被爆後の全てを失った写真】(参加者一様におどろく)
【被爆直後の銭座小】
2.「火のトンネル」読み語り〈20分間〉
3.「火のトンネル」鑑賞〈45分間〉
(1)それぞれで鑑賞(2)感想綴り(3)全体で感想交流(4)質疑応答
4.私を語る〈15分間〉
(1)私は被爆二世です。(2)戦争は最大の差別だ
☆ 火のトンネルの学習を終えて一子どもたちのふりかえりから一
①真ん中の,2人で助け合っている人を見たら,体がもうぼろぼろで,「いたそうだなあ。」と思ってしまいます。階段の場面のところは,階段に横たわっていろんな人に助けを求めている感じがして,もう痛々しくて,描いているときも,「あー。」と思いました。火のトンネルの中で焼け死んでいる人たちや助け合っている人たちの気持ちが伝わってきます。たくさんの人たちが犠牲になって,傷ついているのを描いて、「恐ろしいなあ。」と思いました。たくさんのろうそくで囲まれて、みんなうれしいと思います。
②小さな女の子を私は描きました。まだ小さいので,クマのぬいぐるみを持たせてあげました。ほんとにこんな思いで死んでいく人でも,その中でもたくさんの命が犠牲になったと思うと,不安でたまらないのです。みんなでカを合わせて描いたのでよかったです。まだまだ足りないところもあると思うけど,それはそれで一人一人個性あふれているのでいいと思います。それに,この絵には,まだ小さな赤ちゃんだって描かれています。
③私はモデルをしているときに考えました。わたしは平気で寝転がっているけど,本当に原爆を受けた人はすっこい痛みに耐えて階段を登っていたことを考えて,私は真剣にやらなきゃと思いました。階段部分を描いていた他の人も目や口や体全体を真剣に描いていて,すごいなあと思いました。細かいところを仕上げて,みんなで見てみるとすごく真剣に描いた絵が本当のように見えました。私は絵を見て,戦争は絶対にしてはいけないと思いました。
④ぼくは「火のトンネル」を描いていろんなことを思いました。たとえば,人の傷。僕が思っていた傷は,大きな傷が2,3カ所ぐらいあるだけかなあと思っていました。でも,実際にみんなで描いた人には,いっぱい傷がついていて,見てるだけで体中がズキズキしてきそうで,その場からはなれたい感じでした。そして,周りの暗さ。周りの暗さがあったからこそ,ズキズキしてくるみたいに怖かったんだと思います。この怖さを1年生にもわかってほしいです。みんなが工夫してものすごくリアルになっていて,人の血がそこら辺に飛び散っていたりして,ものすごく怖いと感じ,鳥肌が立ちました。その暗さ,血,そういうものがあわさって,「ものすごくこわい。」って感じたんだとおもいます。
⑦私は火のトンネルを描いているとき,足をどこに置いたらいいのか迷いました。たとえ絵だとしても人を踏むのはかわいそうだと思ったからです。だけど,がれきの部分に足を置いたら足の裏に墨がっく。8月9日はたくさんの人の体と心が傷ついたと思います。亡くなった人。それを踏みながら泣きながら走って逃げた人。助けを呼ぶ人。もうそんな体験をする人がいない世の中にしたいと思いました。戦争は人の気待ちを考えることができない国と国との喧嘩です。相手の気持ちを考えることが大切だと思います。私はできるだけ相手の気持ちを考えることができるようにしたいです。
⑧火のトンネルを描いていて,完成した時,高いところから絵を見下ろしてみると,絵の中の一人一人が一生懸命生きようとしていることを感じ,今,元気である私が手を握り,人々を助けてあげたいと思いました。亡くなっている人。生きている人。亡くなった人の気持ちが伝わってきます。「なぜ。なぜ私が。」「…助けて!」「…水をくれ。」このような気持ちを訴えながら亡くなっていったことでしょう。たった一つの原子爆弾で七万五千人近くの人々が亡くなりました。最初,原子爆弾はとても大きなものに見えましたが,七万五千人近くの人々が亡くなったと知ったとき,たった一つの爆弾で七万五千人の命を奪ったのかと思うと,原子爆弾がとてもとても小さく思えてきました。絵の中から,「まだ生きたい!」という声が,私には聞こえてきました。今,生きていることを大切に,一歩一歩を歩いていきたいです。
⑨私は,火のトンネルを描いて,原爆を受けた人の傷をどう描こうか悩みました。でも,筆をカサカサと振ったら,傷や汚れを表すことができました。原爆を受けた方々の痛さ,苦しさ,悲しさがよく伝わる絵になったと思います。私も,絵を描いているとき,熱かっただろうなあ,苦しかっただろうなあと原爆を受けた方々の気持ちが伝わってきました。今まで,たくさんの人のお話を聞きました。その時感じた,私たちの思いをこの絵にぶつけました。「平和にしよう。戦争をなくそう。」この思いが絵を見た人に伝わるといいなと思いました。そして,私たちもこのことを生かして,もっと平粕に対する思いを考えていきたいです。
⑬火のトンネルを描いて、僕は原爆の恐ろしさがあらためてわかりました.火のトンネルの絵は黒の色しか使っていないから,よりリアルな絵になりました。絵の中心の2人は原爆にあって絶望した人達だと思いました。絵の右側で階段を上っていく人達は,水をほしがっている人なのかなあと思いました。まずは,銭座小学校の人達に,この火のトンネルの絵を見せて,原爆の恐ろしさを伝えたいです。この絵を見せて,差別やいじめをしようとする心をなくしてほしいです。僕が特に見てほしいのは中心の2人です。なぜかというと,この2人は,原爆の恐ろしさを伝えるかのように絶望しているからです。“
(以下略)
長崎県教職員組合 馬場 務(長崎市立西浦上小学校)
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫