終戦時遺棄された毒ガス類は、イペリット缶、ルイサイト缶6トンと青酸若干が習志野学校材料廠に埋められ、銚子沖にも若干投棄されたとなっている。元習志野学校関係者(軍人)の証言では、「昭和20.8.17-20の習志野学校材料廠員、教導隊下士官にてサラシ粉約10屯を使用し開放し消毒の後地下に埋設する。終戦後自衛隊に於て容器一部を発見、米軍化学兵部隊に於いて徹底的完全消毒を行い現在練兵場として使用の筈」という。しかし、それは戦後年月を経た後の聞き取りによる証言であり、実際には別の場所にも遺棄された可能性もある。
また、終戦後起きた銚子沖での遺棄毒ガスによる死亡事故、習志野原での自衛隊員の被災などをみても、今後も同種の事故や健康被害が起きる可能性はある。

過去数度おこなわれた環境省などによる地下水の調査などでは、異常は報告されていない。

たとえば最近、防衛庁が発表した平成17年度の調査結果は、以下のとおりである。


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「習志野演習場に係る旧軍毒ガス弾等の環境調査について
平成18年 5月30日

 標記について、本日、環境省が主催する有識者による総合調査検討会において、平成17年度に実施した物理探査の結果及び今後の対応について、報告及び説明を致しました。  その内容について、環境省の公表に併せ、お知らせいたします。

習志野演習場に係る旧軍毒ガス弾等の環境調査について
 陸軍習志野学校跡地(現在は民有地等)の近傍に所在する習志野演習場については、旧軍による毒ガス訓練跡地と思われる場所が所在し、毒ガス成分が無害化されずに、ドラム缶に入れられ埋設された可能性が高いとの旧軍関係者による証言等を踏まえ、地下埋設物(ドラム缶相当)の有無を確認するため、平成17年度に物理探査を実施。  今般、その結果が下記のとおり得られたので、今後、不審物確認調査(掘削確認)及び土壌調査を実施する予定。

1 これまでの調査(地下水調査)
(1)

 平成17年6月、演習場内の4ヵ所について地下水等の調査を実施。その結果、全ての地点から毒ガス成分は検出されず。
(2)

 環境省が演習場周辺の飲用井戸20ヵ所について地下水調査を実施。その結果、全ての地点から毒ガス成分は検出されず。

2 物理探査の概要
(1) 探査期間
 平成17年10月21日~平成18年3月31日
(2) 探査区域
 約173,000㎡(約17ha)
(3) 探査方法

 ア レーダー探査

 埋設物の有無を確認するため、調査区域の全域(約17ha)について、1m間隔の直線上を車輪付きのセンサー(箱型)により探査。(浅い深度及び深い深度の2種類で実施。)
 イ 磁気探査

 金属(主に鉄)の有無を確認するため、調査区域の全域(約17ha)について、1m間隔の直線上をセンサー(棒型)により探査。(深度2m程度まで探査が可能。)
(4) 探査結果

 ア レーダーのみに反応した地点は181ヵ所。

 (このうち、磁気探査による検知が可能な深度2mを超え、レーダーに反応した地点12ヵ所は、寒川町事案など過去の発見事例を踏まえれば注意が必要。)

 イ 磁気のみに反応した地点は61ヵ所。

 ウ レーダーと磁気の両者に反応した地点は16ヵ所。

 [レーダー又は磁気のいずれかに反応した地点は258ヵ所。]


(参考: 環境省が平成16年度に実施した陸軍習志野学校跡地(現在は民有地等)における物理探査では、調査区域約7haで約247ヵ所を検知。)

3 今後の対応
(1)

 レーダー又は磁気のいずれかに反応した地点の258ヵ所については、安全を確保しつつ不審物確認調査(掘削確認)を実施する予定。
(2)

 探査区域(約17ha)の全域について、毒ガス成分の有無を確認するため表層50cmまでの土壌を採取・分析する土壌調査を実施する予定。

 以上の調査については、早急に着手することとし、調査時期等が確定次第、関係自治体等へお知らせする予定。」


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防衛庁自身も「レーダーに反応した地点12ヵ所は、寒川町事案など過去の発見事例を踏まえれば注意が必要」としているように、遺棄毒ガスが思わぬ場所に埋設されている可能性もあり、関係機関による今後の詳細な調査と積極的な情報開示が必要である。

「ならしのの森」には、動物実験で犠牲になった動物たちの供養塔がある。この碑には揮毫者である習志野学校の校長名が刻まれていたが、建立後何者かによって削られた(その削った跡は、以下の写真画像の拡大部分にも写されている)。また、建物が跡形もなく破壊されているのは前述の通りで、意図的に隠蔽しようとしている勢力がいることは明らかである。

そもそも、習志野学校では「撒毒地強行突破」というような日本軍独特の人名軽視の考え方に基づいた戦術をとって、各地の部隊から選抜された将兵を訓練した。「実毒訓練」という実際に毒ガスを使用した訓練が行われ、その訓練も基本(各個)訓練と練成(部隊)訓練のニ段階があった。基本訓練は習志野原の一隅に訓練場が設けられ、そこで実施された。部隊訓練は王城寺原、赤城山麓などで行われた。そうした訓練では洗い晒しの防護服を着せられる兵の被害が多く、戦後になっても生涯後遺症で悩まされた人も多いという。しかし、そうしたことも余り表面に取り上げられることもなく、戦争体験の風化とともに歴史の蔭の部分になっていった。

いかに隠蔽しようと、事実はいつか明らかになる。このような、過去の過ちを率直に認め、繰り返さないようにしなければならない。

<「ならしのの森」にある動物慰霊塔>

*当画像は「生まれも育ちも東葛飾」のnonki1945さんより借用しました

<動物慰霊塔は揮毫者の名前が削り取られている>

*上記画像(「生まれも育ちも東葛飾」のnonki1945さんより借用)の一部拡大

習志野学校が設置されるまで、習志野学校が建てられた場所にあった陸軍騎兵第16連隊、あるいはのちにその跡地が習志野学校となった第15連隊であるが、騎兵第13、14連隊、すなわち騎兵第1旅団が機関銃、戦車などの装備を強化して昭和7年(1932)、旧満州へ移動、昭和8年(1933)には、騎兵第13連隊の跡に第16連隊が移り、第14連隊の跡に戦車第2連隊が置かれた。騎兵第15、16連隊、すなわち騎兵第2旅団は順次戦車隊へ改編されていったが、昭和16年(1941)には騎兵第2旅団も旧満州に移転し、習志野の騎兵の歴史は幕を閉じた。旧満州に渡った騎兵たちも、自分達がいた部隊の跡地で毒ガス実験などがおこなわれていることを知らずに戦地での生活を送っていたのであろう。

<陸軍習志野学校の場所にかつてあった騎兵第15,16連隊>

参考文献

・『防衛庁・自衛隊のHP』   防衛庁

・『千葉県の戦争遺跡を歩く』 歴史教育者協議会   (2005) 

・『陸軍習志野学校』 陸軍習志野学校編纂委員会   (1987)

なお、動物慰霊塔の写真を快く貸していただいた、「生まれも育ちも東葛飾」のnonki1945さんのご厚意に感謝いたします。

軍郷習志野

戦前の習志野原

「支那囲壁砲台」

補足説明と留意事項

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千葉県の戦争遺跡HP:別窓
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