習志野学校は日本の毒ガス戦の三大拠点の一つである。大久野島で毒ガスの液を製造し、北九州の曽根で兵器に填実し、毒ガス戦の研究と訓練が習志野で行われた。大久野島の調査・研究を進めるにあたってぜひ訪れてみなければならないところだった。森崎賢司事務局次長と二人で「習志野学校」研究会 川鍋光弘さんの案内で習志野学校跡を見て回った。その時のことを報告させてもらいます。
習志野は大久野島とともに環境省の毒ガス調査の対象となっている地域である。習志野学校は現在の京成電鉄大久保駅下車し北へ歩いて10分くらいの所にあった。現在は東邦大学・日本大学生産工学部・東邦大学付属中高等学校などがある文教地区となっています。近くに自衛隊第一空挺団の駐屯地もあり、北九州の曽根製作所のあった所には北九州大学と陸上自衛隊小倉駐屯地があるのとなぜか環境が似ています。これは、大久野島が国民休暇村となり、環境省の管理下にあり、戦争中、秘密の兵器の研究開発をおこなっていた登戸研究所の跡地が明治大学農学部の生田校舎になっていることと無関係ではないように思われます。いずれも秘密を必要とし。証拠隠滅をはかった施設のあった場所であるなら、その秘密を守るため、個人へは売却せず、公の機関や公共性のあるものへ売却、転換し、そのイメージチェンジをはかったのかもしれない。まして、現在でも大久野島・曽根・習志野の周辺には毒ガスが埋設されている、または埋設・投棄されている可能性が強い。戦後60年経った、現在でも環境省が曽根の近くの苅田港で遺棄毒ガスを回収し処理していることからも解る。
習志野学校正門跡 (写真上)
写真のブロック積みの門は、習志野学校の正門のあった場所である。敗戦後、昭和50年代まで千葉大学医学部腐敗研究所が使用していた。現在は閉鎖されており中に入れない。
習志野の森
森の中にあるコンクリートの塊は習志野学校本館の門柱跡である。当時の建物のコンクリ基礎も残っている。現在敷地の約三分の一が地域住民の運動で残されて「習志野の森」と呼ばれている。雑木林の茂る中には動物慰霊碑や古い建物の土台跡がたくさん残っている。
動物慰霊之塔
裏面に「皇紀二千六百年」と書かれている
削られた名前
動物慰霊之塔と書かれた横に個人の名前が刻んであったのが削り取られている。
習志野学校東外裏門柱
衛兵所
門柱とすぐそばのブロック塀の中に歩哨が立っていた衛兵所の建物が残っています。近くには民家が密集しています
人の住んでいない元財務局公舎
あちこちに空き地があり、立ち入り禁止のフェンスがありました。中の建物は財務局の公舎だったようですが今は人が住んでいませんでした。
立ち入り禁止の空き地
まだどこかに毒ガスが埋もれていることが疑われる雰囲気を感じました。
市立大久保保育所裏の駐車場
市立大久保保育所裏の駐車場、中央の線は当時「車輌廠」だったレールの跡。敗戦時、このあたりにも毒ガスを埋めたという証言もある。
児童公園内の広場
児童公園の遊具
近くに児童公園がある。その中にある東屋が子どもの遊び場になっている。
埋もれた弾薬庫入り口
東屋付近に半分埋もれた弾薬庫が埋まっている。入り口がコンクリートで蓋がされていた。このあたりにも毒ガスを埋めたという証言がある。
陸軍の境界を示す石柱
住宅地に「陸軍」と記した石柱がある。ここまでが習志野学校であるという境界石だ。
習志野学校を取り巻いていた杭
学校を取り囲んでいた杭も残っている。同じように毒ガス関連施設の遺跡だが大久野島と違うところは周りが住宅街であり、文教地区になっている点だ。
元騎馬連隊説明文
習志野学校は元騎馬連隊のあった所に建てられた。旅団司令部跡には教育委員会が立派な説明版を建てていた。しかし、習志野学校に関する説明版は見られなかった。
騎馬連隊時代の写真 (写真:中)
15連隊・16連隊のところが習志野学校になった。
八面房があった場所
毒ガスの実験が行われたと思われる八角のガラス張りの部屋、八面房があった。大久野島にもガラス張りの毒ガスチャンバーがあり、兎などの動物実験がおこなわれた。ここ習志野でも動物慰霊の塔があるのだから相当の数の動物が毒ガス実験で殺害されたことだろう。習志野学校では実際に日本人将校を使った人体実験も行われ犠牲者も出ている。また中国のハルピンでは731部隊が外国人を生体実験している。大久野島も習志野学校も731部隊とは密接な関係があり、悪魔の毒ガス部隊が形成されていた
八面房の図 (写真:下)
陸上自衛隊習志野演習場入り口
陸上自衛隊習志野演習場は、かって習志野学校の将校たちが毒ガスの散毒訓練を行っていた場所だ。敗戦時ここにもドラム缶に入った毒ガス缶が埋設されたとされており、自衛隊員も何人か被災していると思われます。環境省は毒ガスの被害が出る可能性のある場所として2005年9月習志野演習場の土壌調査を行うと発表しました。しかし物理探査は行わないようです。大久野島と一緒で毒ガスが出てくる可能性の所は調査をさけているように疑いたくなります。毒ガス缶や毒ガス弾の所在を調査する物理探査を行わないと意味がありません。
陸上自衛隊第一空挺団入り口
2005年7月28日 29日
案内者 川鍋光弘(「習志野学校」研究会)
その2へ
http://homepage3.nifty.com/dokugasu/kaihou11/kaihou1171.html