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  ★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
  最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
  ■□■ 第8回最高裁要請行動1月28日(金)10:15最高裁東門集合 ■□■

 ◎ 板橋高校卒業式事件・顛末記<26>


「オシドリ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

 第一回公判
 傍聴者が90人ほど入廷し、裁判官が3人うちそろって入廷し、人々より一段と高い処に着座し、法廷隣の狭い処に押し込まれていた被告人が呼ばれ入廷し被告席に座って、舞台は整えられた。
 被告が勾留されていたら、正面右から手錠をされた被告が入場し、被告席前で手錠を外され着座して開廷が告げられる。

 最近、厚生省局長の公判での記事に、局長・村木氏は被告席に座らず、弁護士の隣に座ったと書かれていた。
 そのことを荒川氏に話したら氏は「我々は、裁判所に要求したが、蹴られた! そうか、さっと座ってしまえばよかったのか」と言っていた。
 私が同じことをやったら、「そこでない! 被告席に座りなさい!」と裁判長に言われたであろう。



 それに抵抗しだしたら、公判はのっけから席の問題で紛糾し、けりのつけようがない事態に陥ったかもしれない。
 この事件は、静かに卒業生が着席したのが問題の本質であり、当初から起立・着席、席の問題でもあったのである。

 前にも記したと思うが、最高裁には被告人の席はない。
 裁判は、最高裁ともなると判事と検事と弁護士、法曹三者の執り行う儀式であり、余人の入る余地は無いのである。

 最高裁の傍聴に行ったが、なんとも立派な傍聴席の椅子であった。
 超高級映画館でもこれに負けるのではないか。 部屋・机・椅子とは、官僚制の三種の神器である。

 今はこれに秘書とか車とかなんかいろんなものが付随して特権を謳歌しているのであろう。
 兵庫の地震の取材で高級ハイヤーで乗り付けた記者が多くいたようだが、マスコミもまた官僚制の中に埋没している。

 私の人生で20代から定年60歳まで、椅子はまったく同じであった。誇っていいのか、嘆くべきことなのか。


※ 顛末記の過去ログは、
 顛末記(25) http://wind.ap.teacup.com/people/4702.html
 顛末記(24) http://wind.ap.teacup.com/people/4657.html
 顛末記(23) http://wind.ap.teacup.com/people/4583.html

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