明らかな字の相違 1963年に女子高生が誘拐され殺された狭山事件。長年、冤罪の疑いが指摘されてきた。昨年5月、東京高検は石川一雄元被告(71)の筆跡など新証拠を47年ぶりに開示。弁護団は14日、これらに基づく鑑定書や意見書などを東京高裁に提出した。
証拠の全面開示は取り調べの全面可視化とともに、冤罪防止には不可欠とされる。再審支援者らも現在進行中の検察改革で、その実現を強く願っている。(出田阿生、佐藤圭)
◆ まだ隠したがる検察
狭山事件は現在、第三次再審請求中だ。一九七七年の第一次再審請求以来、初めて東京高裁が昨年十二月、検察側に証拠開示を勧告。今年五月に勧告された八項目中、五項目計三十六点の証拠が出された。事件から四十七年ぷりに日の目を見た新たな証拠だ。弁護団はこれらを基に意見書や筆跡鑑定書を作成した。
裁判所が有罪判決を出した根拠の柱は犯人から被害者家族への脅迫状と石川さんの筆跡が同じという鑑定だった。唯一の客観的物証でもある。
弁護団はこれまでも筆跡の違い指摘してきたが、今回明らかになった書類(逮捕された六三年五月二十三日付の狭山警察署長宛て上申書など)により、一段と違いが明白になったという。
石川さんは家計を助けるために小学生時代から働き、ほとんど学校に行けなかった。筆跡を分析した神戸大の魚住和晃名誉教授は鑑定書で、石川さんは取り調べで脅迫状や封筒を繰り返し見せられ、字を書く機会が増えたと説明。
それによって上達した後の筆跡と脅迫状を比べてきた従来の判決は不正確と指摘。今回、開示された書類の作成日時は脅迫状が届いた五月一日と近く、より正確に比較できるとした。
「五月203にち」(五月二十三日)、「狭山けエさツしちようどの」(狭山警察署長殿)・・・。開示された書類には誤字や脱字が目立つが、脅迫状は警察を「刑札」と書くなど当て字は多いが字には間違いはない。さらに「も」や「な」の字体などにも、相違点が多数見つかった。魚住教授は今回の開示書類と脅迫状の筆跡は「全く異なる」という結論を下した。
ただ、検察側がこれで隠していた証拠をすべて明らかにしたわけではない。殺害現場とされる雑木林の血痕反応検査の書類や現場撮影フィルム、未開示の遺体写真は「不見当」(捜したが見当らない)とされた。
弁講団は「これでは『血痕反応が出なかった』という元埼玉県鑑識課員の証言や、遺体の傷痕が自白調書の殺害方法と異なるという私たちの主張と検察側との争点が解決されない」と憤る。取り調べた警察官のメモや供述調書案なども開示されておらず、逆に勧告にはなかった石川さんが容疑を認めた録音テープの一部を提出してきた。
◆ 証拠開示 再審のカギ
布川事件では録音テープ 袴田事件は衣類写真
現行制度では、検察は被告人に有利な証拠は持っていても裁判所に提出したり、弁護人に開示する義務はない。これは公判前整理手続きの導入で、開示される証拠が増えた現在も変わらない。
しかし、この「隠されている」証拠は冤罪防止のかぎになる。新たな証拠が再審の重い扉を開いた例が、四十三年前に起きた「布川事件」だ。
これは一九六七年八月に茨城県利根町で大工の男性が殺され、現金約十万円が奪われた強盗殺人事件だ。無期懲役が確定した後、再審を請求していた桜井昌司さん(63)と杉山卓男さん(64)=二人とも九六年に仮釈放=は二〇〇九年十二月、再審決定を勝ち取った。
決め手となったのは、弁護側の請求で開示された検察の新証拠。自白した場面を一部録音したテープ、現場から採取された毛髪が二人のものと異なっていたという鑑定書、さらに犯行現場近くで目撃された男が別人だったという証言などだ。
録音テープでは、弁護団が録音停止や二重録音などが十カ所以上あることを突き止めた。この不自然さは、大阪地検特捜部が証拠品のフロッピーディスクのデータを改ざんした事件と重なる。
再審は今月十日に結審し、来年三月に判決が出る予定だ。弁護団の塚越豊弁護士は「検察は有罪を強調する証拠として新たに出してきたが、無罪の方向に結び付いていった。証拠が開示されなければ、再審は難しかっただろう」と振り返る。
静岡県清水市(現静岡市)で六六年六月、みそ製造会社の専務一家四人が殺された「袴田事件」の再審請求審でも新証拠がかぎを握りそうだ。
検察側は犯行時に袴田巌死刑囚(74)が著用したとされる衣類のカラー写真などを開示した。衣類は事件後一年以上経過した公判段階で発見され弁護団は以前から警察による捏造と訴えている。弁護団は、カラー写真に不自然な血痕が写っているなどと主張する構えだ。
◆ 世界の潮流から遅れる日本
証拠全面開示は、大阪地検特捜部の不祥亭を受けて設置された法相の諮問機関「検察の在り方検討会議」(座長・千葉景子元法相)でもテーマの一つになっている。
だが、そもそも証拠全面開示は民主党の年来の悲願だったはず。同党は野党時代、検察宮の証拠リスト開示や、取り調べ可視化を盛り込んだ刑事訴訟法改正案を提出、参院では二度可決されている(衆院で廃案)。ところが、与党になってからの動きは極めて鈍い。
成城大の指宿信教授(刑事訴訟法)によると、証拠の全面開示は今や世界の主流。カナダでは検察官の手持ち証拠の全面開示、英国では全リストの開示が義務付けられているという。
(『日弁連パンフ』http://wind.ap.teacup.com/people/4674.html)
「先進国の中で証拠の取り扱いについて明確な倫理規定がないのは日本だけだ。二十~三十年は遅れている。公益の代表音である捜査・司法当局は収集した証拠が『自分たちのもの』という発想を改める必要がある」
狭山事件で主任弁護人の務める中山武敏弁護士は「公判前整理手続きで従来に比ぺ、証拠は開示されるようになったが、再審事件ではまったく開示の手続きが定められていない」と批判する。
裁判の目的は真実の追求だ。「再審開始の条件は新証拠を見つけること。検察が隠し続けることを許してはならない」
同事件で検察に証拠開示の勧告をした門野博裁判長(当時)も退官後の今春、人権団体の会員誌上で「再審事件に共通して感じたのは、検察側の証拠開示が不十分であるということ。フェアな手続きとはいえない」と厳しぐ言及している。
※狭山事件
1963年5月、埼玉県狭山市で女子高生が誘拐され遣体で見つかった。警察は身代金受取場所で犯人を取り逃がし、その後、近くの被差別部落に見込み捜査を集中。住民の石川一雄さん=当時(24)=が別件容疑で逮捕された。64年3月、浦和地裁は死刑判決。二審東京高裁は74年10月、無期懲役を言い渡した。77年8月に最高裁は上告を棄却。石川さんは94年12月、仮出獄した。
※デスクメモ
不祥事で検察が責められる。当然だ、しかし、改革を検察自体に過剰に期待してもむなしい。むしろ、検察の暴走を制止できなかった裁判所の責任が看過されていないか。判検交流など、検察とのなれ合いは廃止されるべきだ。政治の責任もある。国会での検察改革こついての議論の低調さは罪に近い。(牧)
『東京新聞』(2010/12/16【こちら特報部】)
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
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東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
証拠の全面開示は取り調べの全面可視化とともに、冤罪防止には不可欠とされる。再審支援者らも現在進行中の検察改革で、その実現を強く願っている。(出田阿生、佐藤圭)
◆ まだ隠したがる検察
狭山事件は現在、第三次再審請求中だ。一九七七年の第一次再審請求以来、初めて東京高裁が昨年十二月、検察側に証拠開示を勧告。今年五月に勧告された八項目中、五項目計三十六点の証拠が出された。事件から四十七年ぷりに日の目を見た新たな証拠だ。弁護団はこれらを基に意見書や筆跡鑑定書を作成した。
裁判所が有罪判決を出した根拠の柱は犯人から被害者家族への脅迫状と石川さんの筆跡が同じという鑑定だった。唯一の客観的物証でもある。
弁護団はこれまでも筆跡の違い指摘してきたが、今回明らかになった書類(逮捕された六三年五月二十三日付の狭山警察署長宛て上申書など)により、一段と違いが明白になったという。
石川さんは家計を助けるために小学生時代から働き、ほとんど学校に行けなかった。筆跡を分析した神戸大の魚住和晃名誉教授は鑑定書で、石川さんは取り調べで脅迫状や封筒を繰り返し見せられ、字を書く機会が増えたと説明。
それによって上達した後の筆跡と脅迫状を比べてきた従来の判決は不正確と指摘。今回、開示された書類の作成日時は脅迫状が届いた五月一日と近く、より正確に比較できるとした。
「五月203にち」(五月二十三日)、「狭山けエさツしちようどの」(狭山警察署長殿)・・・。開示された書類には誤字や脱字が目立つが、脅迫状は警察を「刑札」と書くなど当て字は多いが字には間違いはない。さらに「も」や「な」の字体などにも、相違点が多数見つかった。魚住教授は今回の開示書類と脅迫状の筆跡は「全く異なる」という結論を下した。
ただ、検察側がこれで隠していた証拠をすべて明らかにしたわけではない。殺害現場とされる雑木林の血痕反応検査の書類や現場撮影フィルム、未開示の遺体写真は「不見当」(捜したが見当らない)とされた。
弁講団は「これでは『血痕反応が出なかった』という元埼玉県鑑識課員の証言や、遺体の傷痕が自白調書の殺害方法と異なるという私たちの主張と検察側との争点が解決されない」と憤る。取り調べた警察官のメモや供述調書案なども開示されておらず、逆に勧告にはなかった石川さんが容疑を認めた録音テープの一部を提出してきた。
◆ 証拠開示 再審のカギ
布川事件では録音テープ 袴田事件は衣類写真
現行制度では、検察は被告人に有利な証拠は持っていても裁判所に提出したり、弁護人に開示する義務はない。これは公判前整理手続きの導入で、開示される証拠が増えた現在も変わらない。
しかし、この「隠されている」証拠は冤罪防止のかぎになる。新たな証拠が再審の重い扉を開いた例が、四十三年前に起きた「布川事件」だ。
これは一九六七年八月に茨城県利根町で大工の男性が殺され、現金約十万円が奪われた強盗殺人事件だ。無期懲役が確定した後、再審を請求していた桜井昌司さん(63)と杉山卓男さん(64)=二人とも九六年に仮釈放=は二〇〇九年十二月、再審決定を勝ち取った。
決め手となったのは、弁護側の請求で開示された検察の新証拠。自白した場面を一部録音したテープ、現場から採取された毛髪が二人のものと異なっていたという鑑定書、さらに犯行現場近くで目撃された男が別人だったという証言などだ。
録音テープでは、弁護団が録音停止や二重録音などが十カ所以上あることを突き止めた。この不自然さは、大阪地検特捜部が証拠品のフロッピーディスクのデータを改ざんした事件と重なる。
再審は今月十日に結審し、来年三月に判決が出る予定だ。弁護団の塚越豊弁護士は「検察は有罪を強調する証拠として新たに出してきたが、無罪の方向に結び付いていった。証拠が開示されなければ、再審は難しかっただろう」と振り返る。
静岡県清水市(現静岡市)で六六年六月、みそ製造会社の専務一家四人が殺された「袴田事件」の再審請求審でも新証拠がかぎを握りそうだ。
検察側は犯行時に袴田巌死刑囚(74)が著用したとされる衣類のカラー写真などを開示した。衣類は事件後一年以上経過した公判段階で発見され弁護団は以前から警察による捏造と訴えている。弁護団は、カラー写真に不自然な血痕が写っているなどと主張する構えだ。
◆ 世界の潮流から遅れる日本
証拠全面開示は、大阪地検特捜部の不祥亭を受けて設置された法相の諮問機関「検察の在り方検討会議」(座長・千葉景子元法相)でもテーマの一つになっている。
だが、そもそも証拠全面開示は民主党の年来の悲願だったはず。同党は野党時代、検察宮の証拠リスト開示や、取り調べ可視化を盛り込んだ刑事訴訟法改正案を提出、参院では二度可決されている(衆院で廃案)。ところが、与党になってからの動きは極めて鈍い。
成城大の指宿信教授(刑事訴訟法)によると、証拠の全面開示は今や世界の主流。カナダでは検察官の手持ち証拠の全面開示、英国では全リストの開示が義務付けられているという。
(『日弁連パンフ』http://wind.ap.teacup.com/people/4674.html)
「先進国の中で証拠の取り扱いについて明確な倫理規定がないのは日本だけだ。二十~三十年は遅れている。公益の代表音である捜査・司法当局は収集した証拠が『自分たちのもの』という発想を改める必要がある」
狭山事件で主任弁護人の務める中山武敏弁護士は「公判前整理手続きで従来に比ぺ、証拠は開示されるようになったが、再審事件ではまったく開示の手続きが定められていない」と批判する。
裁判の目的は真実の追求だ。「再審開始の条件は新証拠を見つけること。検察が隠し続けることを許してはならない」
同事件で検察に証拠開示の勧告をした門野博裁判長(当時)も退官後の今春、人権団体の会員誌上で「再審事件に共通して感じたのは、検察側の証拠開示が不十分であるということ。フェアな手続きとはいえない」と厳しぐ言及している。
※狭山事件
1963年5月、埼玉県狭山市で女子高生が誘拐され遣体で見つかった。警察は身代金受取場所で犯人を取り逃がし、その後、近くの被差別部落に見込み捜査を集中。住民の石川一雄さん=当時(24)=が別件容疑で逮捕された。64年3月、浦和地裁は死刑判決。二審東京高裁は74年10月、無期懲役を言い渡した。77年8月に最高裁は上告を棄却。石川さんは94年12月、仮出獄した。
※デスクメモ
不祥事で検察が責められる。当然だ、しかし、改革を検察自体に過剰に期待してもむなしい。むしろ、検察の暴走を制止できなかった裁判所の責任が看過されていないか。判検交流など、検察とのなれ合いは廃止されるべきだ。政治の責任もある。国会での検察改革こついての議論の低調さは罪に近い。(牧)
『東京新聞』(2010/12/16【こちら特報部】)
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫