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  ★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
  最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
  ■□■ 板橋高校君が代弾圧事件 第8回最高裁要請行動
       1月28日(金)10:15最高裁東門集合 ■□■

 ◎ 追慕・追悼


「マリーゴールド」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

 12月14日、午後1時半より、新潟港西岸中央埠頭にて追悼式が行われた。
 51年前の1959年12月14日、午後2時9分に第一次帰国船、クリリオン号とトボリスク号は清津港に向け出港して行った。
 その時刻、2時すぎに51年後の埠頭で「アリラン」を絶唱する女性はオペラ歌手、田月仙さんである。
 彼女の声は、港の緑青色の冷たい波間を越えて港外遥か清津に届くかのようであった。


 Iさんと話をする。
 「あの日、この港から船に乗りましたよ。 8歳でした。 何も分らずはしゃいでいましたよ。 一家、10人で行ったのですよ。」
 坂中英徳氏が話をしている。
 「亡くなる前、日本婦人は、頭を日本に向けて埋葬するよう遺言した。」と。

 Iさんは言う。
 「うちのかあさんも、同じこと言いましたよ。 だけど、頭を日本に向けたら見にくいと思って、こういう風に斜めにして、日本が見えるように埋葬しました。」
 彼は、朝見かけた人が夕方には死んでいる1997年の大飢餓の時代に妻子を連れて脱北する。 2年後、ロシアを経て新潟空港に辿り着いた。
 港に来て埠頭に立ち寄ったが、その日、新潟は猛吹雪で彼の子供は必死で彼の服を掴んで歩いていたという。

 軍役10年を勤めあげ頑健には見えるが、もう59歳、今後の平安を祈らずにはいられない。
 Iさんは言う。
 「2,3年のうちに、あの国は解放されますよ。 間違いないですよ。」と。

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