『ニュルンベルク裁判 』 

 ナチス戦犯を裁いた衝撃のドキュメント!!

 発行:株式会社コミックス出版
 価格:500円
 書店DVD売り場

 1945年11月、第2次世界大戦において、ドイツによって行われた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判がニュルンベルクで行われた。
最高指導者であったヒトラーをはじめ、ゲッペルス、ヒムラー等はすでに自殺していたため起訴はできなかったが、ゲーリング、ルドルフ・ヘス、リッベントロップ、カイテルをはじめとした24名の最高幹部への裁きが行われた。

裁判の証拠とされたすさまじい映像と膨大な資料。

憲法9条改悪を狙う政府・与党に対して、戦争犯罪を繰り返させないために、現代の戦争を知らない世代必見!


≪ 字幕 ≫

NUREMBERG ニュルンベルク裁判
本作は米国高等弁務団が作成した。
全編にわたって英語で解説され、ドイツ連邦共和国およびベルリンで上映されている。
我々の時代への教訓
Europe1945 ヨーロッパ1945年

(空から、爆撃されたドイツ市街地、がれきの山、へしゃげた街灯・・)

1945年
第2次世界大戦は終結した
苦しみの中からゆっくりと ―

荒廃した欧州に
日常が戻ってきた
戦争が終わっても
平和はなかった
欧州は絶望したままだ

何とも言えない無力感に覆われている
戦争とはなんだったのだろう?
国が廃墟と化し
人々が飢えた戦いには
意味があったのか
何のための戦争だったのか
誰もが理由を求めた

Nuremberg
ニュルンベルク
1945年11月21日
ニュルンベルク市裁判所に世界中の人々が終結した
ナチスの戦争犯罪を裁くため ―

国際軍事裁判が開かれるのだ
“アメリカ合衆国 フランス共和国“”グレートブリテンおよび 北アイルランド連合王国“
“ソビエト社会主義共和国連邦”

“被告人 ヘルマン・ゲーリング““ヨアヒム・フョン・リッベントロッブ”“アルフレート・ローゼンブルク マルチン・ボルマン“”ヴイルヘム・カイテル アルフレート・ヨードル ルドルフ・ヘス アルベルト・シュペーア”
“個人及び以下に示す集団 または組織”“ドイツ政府国家社会主義ドイツ労働者党“ドイツ国防軍の参謀本部及び最高司令部

米国のロバート・H・ジャクソン首席検事が検察側冒頭陳述を行う

世界平和に対する罪に関して 史上初の裁判を開廷するには重大な責任を伴う
我々が糾弾する過ちは非常に計画的で ―悪質かつ破壊的であり市民に耐え難い苦痛を与えた
人間の生命を軽視した行為だ

われら連合国の主要4か国は多大な犠牲を払ったが
敵への報復を思いとどまり法の裁きにゆだねる
権力が理性に払う最大の敬意こそ法律であるからだ
今日の世界を最も脅かす侵略戦争を裁くために
主要4か国は国際法の適用を求め努力を重ねた
そして15か国以上の協力を得たのである

良識にのっとり―
愚かな人間の犯した罪を罰しなければならない
強大な権力を
計画的かつ故意に悪用し―
世界を破滅へと導いた
我々はその権力者たちと向き合わねばならない

20人余りが被告席でうなだれている
被告人たちの残虐で非道な行いは 痛烈な非難に容赦なくさらされてきた
彼らが悪事を働くことはもはやない 個々のたどる運命は取るに足らないことだ

この審問の重要性は 被告人たちの凶悪な影響力にある
彼らの肉体が滅びても その魂は生き続ける
彼らは邪悪そのものだ
高慢と残虐
人種差別
テロリズムと暴力
ゆがんだ愛国主義
軍国主義
陰謀

被告人たちは 欧州を混乱の極みに陥れ
人々の人間性を奪い
家を破壊して貧困を生んだ

彼らはイデオロギーと軍の力を
自分自身と重ね合わせた
そして勝利と
邪悪な行為の歓声しか―
耳に入らなくなったのである

彼らが罪を犯した理由を粘り強く明らかにしていく
恐ろしい出来事に関する証拠もある
犯罪の記録に漏れはない

良心の呵責に苦しむ被告人たちは 有罪を覚悟しているだろう
しかし同胞を見捨てた彼らにも 自らを擁護する権利が 公平に与えられる

被告人の敵対者の証言は 求めない

書物や記録から 訴因を証明できるからだ
彼ら自身が撮った映像から―
邪悪な行為が明らかになる

裁判のために用意されたかのように
その全容が確認できるのだ

被告人たちの行為は
世界を血の海に沈めた
文明を一世紀前に後退させ―
近隣の欧州諸国に
略奪と貧困をもたらした

そしてドイツ国民を極貧へと陥れた

人々に敵意を抱かせ
欧州全土で暴動を起こさせた

そうした現実の原因として
彼らは被告人席にいるのだ

この裁判の真の控訴人は
文明国家である

米国が起訴状の第一訴因を発表する

被告人は指導者あるいは
共謀者として共同謀議に関与し

平和への罪

戦争犯罪

人道に対する罪を犯した

この戦争の狙いは明らかになったが
裁判以前に公になったものとは
大きく異なっていた

“拳銃の発射音と大砲の砲声“

“戦争経験がよみがえり

 胸が高鳴る“

ドイツの不幸は ナチスの歴史と重なり

その起源は1920年代の ミュンヘンにさかのぼる

アドルフ・ヒトラーとナチスは―最初から手段を選ばなかった

法律も道義心も気にかけない

彼らの狙いはドイツ社会を 完全に支配することだった

“国家社会主義ドイツ労働者党“「わが闘争」や党の綱領にも 露骨に謳われている

彼らを象徴する教義が国中で宣伝された
“純血のドイツ人は 支配者民族で““他民族を征服し 絶滅させることもできる“”ドイツ国民は最高指導者のもとで 統治されるべきだ““党の幹部クラスは全員 アドルフ・ヒトラーに“ “絶対服従の義務を負う”“戦争は高尚な活動で 国に不可欠である““ナチスだけがドイツを支配し”“敵を排除する権利がある”

ベルリンに松明行進
ヒトラー第3帝国首相誕生
 ナチスが政権を獲得した裏には
 不正や欺瞞
 脅迫や弾圧があった
そして恐怖と炎の中で 頂点を極めた
ワイマール共和国の
民主主義憲法や国民の自由は 跡形もなくなった

ナチスが放った火は 国会議事堂にまで広がった
証人で元ベルリン治安警察長官のハンス・ザイサーが 国会議事堂放火について証言する

簡潔に事実を述べる

まず第一に ヒトラーは― 大規模な宣伝活動を望んでいた

そこでゲッペルスが思いついたのが 国会議事堂放火の政治的利用だった
計画には10人の突撃隊員(SA)と― ゲーリングが深く関与していた
ゲーリングは放火直後の混乱の中で―
捜査対象が共産主義者になるような流れを作った
ナチスはこの放火事件を利用して― ドイツの未来を 平和主義から方向転換させた


1933年後半には 世界軍縮会議から離脱し―
国際連盟も脱退して 秘密裏に再軍備に着手した
1934年までにゲーリング シャハト フンクらの―新たな軍備計画が実行に移された
ドイツ産業は再び 軍事物資の供給を始めた
工場設備が整って1年後 ゲーリングが宣言する
“国家社会主義思想の 強固な基盤は整い“”本日ドイツ国防軍が 復活ののろしを上げる“
数日後ブロンベルク元師は 兵役義務の新法を発表した
新法に署名したのはゲーリングやヘスら6人の被告だった

訓練が始まった
1936年春 ナチスはついに―
ラインラントへ新たな部隊を送った

1936年3月7日
総統に報告します
総統の指揮のもと 兵士たちは ライン川を越え ラインラントを占領しました
総統の決断には 変わらぬ忠誠心で応えます
祖国ドイツへの愛を胸に― 服従を誓ったのです
群列は伸びるばかりだ ニュルンベルクの街に 兵士の足音が響き渡る

しかしヒトラーは言う
ドイツ人は戦争を望まない 今もこれからもだ 我々は平和を愛し 友好的に物事を進める
勤勉でもある 我が国の多くの農民は 収穫を何より待ち望んでいる 自分のやるべきことを 知っている人々だ

しかしナチスは”生存権”の名目で― 平和を脅かす侵略を続ける

1937年11月
ヒトラーは会議を開いた
参加者は ゲーリングやノイラート レーダーやブロンベルクなどだ
この極秘会議の内容は記録が残されている
ヒトラーの発言だ
武力行使以外に道はない 軍事的に優位に立つのだ
チェコスロバキアとオーストリアを― 同時に制圧する必要がある
軍事的かつ政治的な 合併により― 状況は改善されるだろう

3か月後
ナチスが侵略を開始する
第一段階が ベルヒテスガーデンだ
会談にはパーペン大使と オーストリア首相のシュシュニック ヒトラー リッベントロップ カイテルが参加した

当時のオーストリア外相で会談に同席したシュミットが証言台に立つ

ヒトラーは防衛相の 変更を迫ったか?
議題の1つだった
為替や関税についても 要求があったか?
経済的な要求も多数あった
ヒトラーは検討期限を 2月15日に定めたか?
そむけば武力行使も 辞さないと?
オーストリア侵攻を―2月にも実行する意思を はっきり示した
それが最終提案だった
オーストリアはヒトラーの要求を 受け入れるしかなかった

しかしナチスは満足しない
翌月オーストリアが独立の 国民投票をすると―ヒトラーとゲーリングは 中止を求めた
さらにシュニック首相の 辞任を要求
ドイツ軍の侵攻を 回避するため―ザイス=インクヴァルトに 首相の座が明け渡された
同日ゲーリングは ウィーン大使のケプラーと話した
電話での会話が 記録されている

オーストリア政府は掌握した
その通りだ ザイス=インクヴァルトに―次のメッセージを発するよう指示せよ“オーストリア政府は ドイツ政府に““流血を防ぐための 援軍を要請する“

これを受けて軍を即刻 オーストリアに送り込む
オーストリア支配には ザイス=インクヴァルトの存在が 重要になる

了解した わが軍の到着を待つ
オーストリア合併協定が用意された
調印したのはゲーリング ザイス=インクヴァルト フリック リッベントロップヘスだ

ヒトラーは語る
オーストリアに対する 内政干渉はない 合併も視野にない
1935年5月21日 アドルフ・ヒトラー

第1段階の幕が下りた

しかしナチスは さらに準備を進める 
1938年高官にあてた ヒトラーの書簡だ
近い将来 チェコスロバキアを攻撃する
政治指導者の務めは 政治的にも軍事的にも 機を逃さぬことだ ヘンラインが指揮を執るこの作戦は”緑色作戦”と呼ばれた

(続く)