フランスの上田眞木子さんから、このブログ6月15日の記事にも掲載した、笹川日仏財団に関する訴訟の判決についての通信をいただいた。以下転載する。

今日、名誉毀損で笹川日仏財団がKaroline Postel-Vinayさんを訴えた裁判の判決がおりました。笹川財団全面敗訴といってよい判決でした。

この裁判で笹川良平の戦争責任を論じることはできないけれども、ポステル=ヴィネさんが笹川氏について述べたことが については、述べても不適切ではないと判断すべき材料が十分にあり、言論の自由の適切な公使であったとして、笹川日仏財団の訴えを全面的に退けた、とのことです。

財団側は、5000ユーロをポステル=ヴィネさんに裁判の費用として支払うことを命じられました。

笹川敗訴についてはルモンドが速報を出しましたが、ざっと見る限り、財団が訴えたことを論じた他のマスコミもいまのところ何も報じていないようです。

私たち在仏日本人、日本研究者にとってはとても大きな事件なのですが。

まずはご報告まで。

       上田眞木子

↓ウィキペディア「笹川良一」から↓

出所から2ヶ月も経たない1949年(昭和24年)2月頃から藤や矢次一夫[13]と計らってモーターボート競走法制定について主要政党や関係各省庁、有識者などに働きかけを開始した。

競走法は参議院での否決後での衆議院の再可決[14]など紆余曲折を経て成立したが、競艇の主宰をめぐって笹川・矢次[15]らの一派と大野伴睦・福島世根らの一派で分裂状態になるが、最終的に笹川らが競艇主宰の主導権を握ることになった。

なお笹川の競艇創設の栄誉をたたえ、SG競走の「笹川賞競走」が毎年5月に行われている。

1952年(昭和27年)に社団法人全国モーターボート競走会連合会(全モ連)の設立に関与、1955年(昭和30年)には同連合会の会長に就任した。

当初は赤字続きだったために廃止論が出されたが、笹川は赤字が続いていた自治体には私財で投じる一方で「競艇はやがて収益が出て、社会に大きく貢献する」と反論していた。

1960年前後に競艇で収益が出るようになると、管轄官庁の運輸省が全モ連を特殊法人化して監督権限を強めて人事任命権や収入の国庫納入化を模索するが、笹川が自分が私財を投じてまで競艇が成長したと反論。更に競艇の収益を活用する受け皿組織として1962年(昭和37年)に日本船舶振興会(現在の通称は日本財団)を創設し、会長などを務めた。

そして、特殊法人化に距離を置く運輸官僚らに要職を用意したり、運輸省関連団体に寄付行為を行うなどして運輸省による監督権限強化論を押さえることで、競艇ビジネスが笹川一族の同族経営の色が深まることになった。

↑引用終わり↑

ということで、「郵政民営化」のときの「参院否決・衆院再可決」というのはこのときのモーターボート競争法のとき以来のことということだ。とにかくここからの利権が、戦後の自民党政治の裏金調達に深く関わっていることは間違いない。元衆議院議員の笹川尭は良一の二男で、財団トップの陽平の兄である。ギャンブルを私物化し(競馬・競輪とも違う)、
その利権で政治を操っている、というのが実態である。

これ以上こういった闇の人間が暗躍するような事態は無くさなくてはならない。そのためにも有意義な判決だったと思う。

≪Prof. Shima's Life and Opinion Shima教授の生活と意見。≫
http://blog.livedoor.jp/insectshima/archives/52194121.html