伊勢崎・多喜二祭で講演残酷暑の中、日本有数の高温地帯・群馬伊勢崎の多喜二祭で講演をしてきた。
1931年9月6日、村山知義、中野重治らとともに当地に講演に来た多喜二が、講演会前に警察に検束された。それを怒った当日の聴衆たちが、警察署を包囲・占拠して、ついに多喜二らを奪還したという出来ごとが起こった場所だ。逗子からだと4時間近くかかるが、せっかくのお声がかりであり、欣喜してお引き受けした仕事である。
当日多喜二がそこから検束されたという、菊池敏清氏の旧居の見学からはじまり、多喜二が味わったと同じ「ミョウガ汁」のお昼ご飯をごちそうになり、文化会館に移動して2時から「伊勢崎・多喜二祭」が始まった。
ぼくの講演は「蟹工船」ブームと多喜二の再評価、井上ひさしさんの「組曲虐殺」の構想と多喜二の実像との関係、そして片岡鉄兵と綾里村の野々村善二郎(「綾里村快挙録」では「殿村賢治郎」)と伊勢崎・佐波農学校とのながり、といった内容だった。アンケートに記入された感想からの評判は上々で、なにより。
講演後、会長の八田さん、事務局長の長谷田さんご一家や実行委員会のみなさんたちと、おそばをいただきながら懇談、帰りも4時間ほどかかって、さきほど帰ったところだ。それにしても伊勢崎は気温も人柄も暑い熱い篤いところだった。
Prof. Shima's Life and Opinion Shima教授の生活と意見。より
http://blog.livedoor.jp/insectshima/
1931年9月6日、村山知義、中野重治らとともに当地に講演に来た多喜二が、講演会前に警察に検束された。それを怒った当日の聴衆たちが、警察署を包囲・占拠して、ついに多喜二らを奪還したという出来ごとが起こった場所だ。逗子からだと4時間近くかかるが、せっかくのお声がかりであり、欣喜してお引き受けした仕事である。
当日多喜二がそこから検束されたという、菊池敏清氏の旧居の見学からはじまり、多喜二が味わったと同じ「ミョウガ汁」のお昼ご飯をごちそうになり、文化会館に移動して2時から「伊勢崎・多喜二祭」が始まった。
ぼくの講演は「蟹工船」ブームと多喜二の再評価、井上ひさしさんの「組曲虐殺」の構想と多喜二の実像との関係、そして片岡鉄兵と綾里村の野々村善二郎(「綾里村快挙録」では「殿村賢治郎」)と伊勢崎・佐波農学校とのながり、といった内容だった。アンケートに記入された感想からの評判は上々で、なにより。
講演後、会長の八田さん、事務局長の長谷田さんご一家や実行委員会のみなさんたちと、おそばをいただきながら懇談、帰りも4時間ほどかかって、さきほど帰ったところだ。それにしても伊勢崎は気温も人柄も暑い熱い篤いところだった。
Prof. Shima's Life and Opinion Shima教授の生活と意見。より
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