皆様
おはようございます。犯罪都教委&1.5悪都議と断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。重複、ご容赦を!
8月22日、小田原近現代史講座では、豊島公会堂で同時に開催されている「韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会主催による「日韓市民共同宣言大会」に連帯して、この100年の歴史を振り返りながら、「共同宣言」を読み合いました。そして、26日に韓国に出かけ、30日に帰国しました。翌日は都教委糾弾ビラまきで6時半には家を出なければならず、厳しかったんですけど・・・
レポート&写真を添付しますので、ご興味のある方は見てください!
http://www.masudamiyako.org/
◆ 2010年8月26日~30日「『韓国強制併合100年』の旅」報告
8月22日、小田原近現代史講座では、豊島公会堂で同時に開催されている「韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会主催による「日韓市民共同宣言大会」に連帯して、この100年の歴史を振り返りながら、「共同宣言」を読み合いました。そして、私は26日に韓国に出発。
<26日、『韓国併合100年』平和通信使に合流>
実は私も共同代表の一人である「韓国併合100年市民ネットワーク」では韓国側パートナーの「韓日100年平和市民ネットワーク」(「韓国強制併合100年共同行動」韓国実行委員会の参加団体のひとつ)と協力して、8月14日から釜山に上陸し「平和通信使」の旅を続けていました。
29日まで15日間です! もちろん、途中参加も可でしたが、12人の方がフル参加! エラいっ! 私はとても体力が持ちませんし、そんな時間も無いため、最後の3日間だけ合流することにしたのです。
ということで、26日の夜、水原の華城青少年修練院に到着。日本の『青年の家』のようなところだろうと思っていましたが、ずいぶんと規模が大きく、大きな建物が何棟もあり、同時にいろいろな団体が『研修』に使っていました。
平和通信使の旅の中では25日~27日の午前中まで、ここで日韓市民平和キャンプの計画でしたから、私は最後の夜のレクリエーションを中心とするキャンドルナイトから参加したわけです。このキャンプの最終日の27日午前中は各分科会の報告をしてから、「共同市民憲章作り」をしました。
<27日 利川の五重石塔返還運動シンポ>
午後、バスで利川市に向かって出発。利川市庁舎(ものすごく立派な建物! ずいぶんとお金がかかっていそうだなぁ、と感嘆)の大きなホールで行われる「利川の五重石塔」返還運動の第一回国際シンポジウムを聞きました。この高麗時代の石塔は今、東京のホテルオークラの大倉集古館の庭にひっそりと佇んでいます。それは、朝鮮総督府に、当時の大倉集古館理事の坂谷芳郎がおねだり!?(ま、大倉男爵の指示ですが)した結果でした。
いただいた資料には、現在、韓国国立博物館が所蔵する坂谷理事と長谷川朝鮮総督との往復書簡などが載せられていました。「平壌停車場の七重石塔がほしいと大倉側は言っているが、これは人目につくのでまずいから、利川の石塔をあげるよ」というようなことが書かれていました。なんとも・・・
利川では20万人の市民のうち、10万9千人が返還要望署名をされたそうです。つまり、市民のほとんどが「朝鮮総督府が奪っていったこの石塔を返還してほしい」と署名した! わけです。7月21日にこの署名を持って・・・運ぶだけでも大変だったそうです・・・大倉集古館の理事長たちと話し合ったのですが、「五重塔は人類の文化遺産であり、私たちは100年来保存管理してきたから、今後もそうする」・・・つまり『返さないよ』・・・といったとか。
韓国側では「その石塔は千年来、生活の一部だった(※お寺の石塔だったのです)。それが、突然ある日、誰も知らないうちに利川市から消えた。東京の大倉集古館にあることを知ったのも最近だ」と反論したそうです。
菅首相が文化財の韓国への「お渡し」・・・「返還」と言わねばならないところですが・・・を約束したのですから、朝鮮総督府=日本政府が略奪したものは、返還すべきでしょう。でも、どうなるか? 「大倉集古館陳列品目録(朝鮮分)」という1918年の資料を見ると、なんと、362点もの李朝時代や高麗時代の仏像やら、お経、青磁白磁、銅鏡、石塔等々が並んでいるのです。これは1918年の分だけ!? しかも、お墓を暴いて持ち出したものも多いとか・・・
「『墓を暴く』というのは韓国では最低の行為です」と言われましたが、それは、日本だって、どこの国だって同じでしょう? いったい、38年間の植民地支配の中で、どれだけの文化財を、どんな手段で、日本は略奪してきたのでしょうか?
この集会の終わりのほうで、「日本から平和通信使の方々が見えていますので、皆様、お立ちください」と言われ、一行20人弱が立ちますと、大きな拍手が沸きました・・・略奪者たちの国の後裔としては冷や汗もの・・・
11月には東京でのシンポジウムが予定されているそうです。
<28日~神勒寺>
シンポが終わり、利川から驪州(ヨジュ)の千年の古刹という神勒寺へ。本日はここの僧房に泊まります。韓国では今、「テンプル・ステイ」ということが流行しているそうです。お坊さんと一緒に修行したりする人もいるそうですけど、そこまでするかしないかは自由ということで・・・
ここは、李王朝創設者の李成桂が建てたそうです。李王家の氏寺というところでしょうか? だいたい、韓国のお寺は山か海のそばにあるそうですが、このお寺は南漢江のほとりにあり、風光明媚!
翌28日の朝食後、ご住職がお茶をふるまいながら、いろいろとお話しをしてくださいました。一番、印象に残ったお話は「日帝時代は総督府の命令で、独身であることが当然の韓国のお寺の僧たちは結婚を強制されました。どんなに強制されても妻帯しない僧は最下層に置かれ差別されました。植民地から解放されて、独身の僧が当然という元に戻るまで30年かかりました。」ということです。
そこまでやったか!? です・・・結婚するつもりの無い男性(女性だって)に結婚を強制する、とは・・・なんと気持ちの悪い。
ご住職は「私は環境運動を行っていまして、10年になります。皆さんもそうでしょうが、社会運動をする市民はマイナーです。しかし、皆さんは『地の塩』です」とも言われました。「日本の仏教会の方たちもここに見え『共に協力していこう』という石碑も立っていますよ」とも。
(以下略)
全文は、『増田都子のHP』に掲載。
http://www.masudamiyako.org/
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
おはようございます。犯罪都教委&1.5悪都議と断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。重複、ご容赦を!
8月22日、小田原近現代史講座では、豊島公会堂で同時に開催されている「韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会主催による「日韓市民共同宣言大会」に連帯して、この100年の歴史を振り返りながら、「共同宣言」を読み合いました。そして、26日に韓国に出かけ、30日に帰国しました。翌日は都教委糾弾ビラまきで6時半には家を出なければならず、厳しかったんですけど・・・
レポート&写真を添付しますので、ご興味のある方は見てください!
http://www.masudamiyako.org/
◆ 2010年8月26日~30日「『韓国強制併合100年』の旅」報告
8月22日、小田原近現代史講座では、豊島公会堂で同時に開催されている「韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会主催による「日韓市民共同宣言大会」に連帯して、この100年の歴史を振り返りながら、「共同宣言」を読み合いました。そして、私は26日に韓国に出発。
<26日、『韓国併合100年』平和通信使に合流>
実は私も共同代表の一人である「韓国併合100年市民ネットワーク」では韓国側パートナーの「韓日100年平和市民ネットワーク」(「韓国強制併合100年共同行動」韓国実行委員会の参加団体のひとつ)と協力して、8月14日から釜山に上陸し「平和通信使」の旅を続けていました。
29日まで15日間です! もちろん、途中参加も可でしたが、12人の方がフル参加! エラいっ! 私はとても体力が持ちませんし、そんな時間も無いため、最後の3日間だけ合流することにしたのです。
ということで、26日の夜、水原の華城青少年修練院に到着。日本の『青年の家』のようなところだろうと思っていましたが、ずいぶんと規模が大きく、大きな建物が何棟もあり、同時にいろいろな団体が『研修』に使っていました。
平和通信使の旅の中では25日~27日の午前中まで、ここで日韓市民平和キャンプの計画でしたから、私は最後の夜のレクリエーションを中心とするキャンドルナイトから参加したわけです。このキャンプの最終日の27日午前中は各分科会の報告をしてから、「共同市民憲章作り」をしました。
<27日 利川の五重石塔返還運動シンポ>
午後、バスで利川市に向かって出発。利川市庁舎(ものすごく立派な建物! ずいぶんとお金がかかっていそうだなぁ、と感嘆)の大きなホールで行われる「利川の五重石塔」返還運動の第一回国際シンポジウムを聞きました。この高麗時代の石塔は今、東京のホテルオークラの大倉集古館の庭にひっそりと佇んでいます。それは、朝鮮総督府に、当時の大倉集古館理事の坂谷芳郎がおねだり!?(ま、大倉男爵の指示ですが)した結果でした。
いただいた資料には、現在、韓国国立博物館が所蔵する坂谷理事と長谷川朝鮮総督との往復書簡などが載せられていました。「平壌停車場の七重石塔がほしいと大倉側は言っているが、これは人目につくのでまずいから、利川の石塔をあげるよ」というようなことが書かれていました。なんとも・・・
利川では20万人の市民のうち、10万9千人が返還要望署名をされたそうです。つまり、市民のほとんどが「朝鮮総督府が奪っていったこの石塔を返還してほしい」と署名した! わけです。7月21日にこの署名を持って・・・運ぶだけでも大変だったそうです・・・大倉集古館の理事長たちと話し合ったのですが、「五重塔は人類の文化遺産であり、私たちは100年来保存管理してきたから、今後もそうする」・・・つまり『返さないよ』・・・といったとか。
韓国側では「その石塔は千年来、生活の一部だった(※お寺の石塔だったのです)。それが、突然ある日、誰も知らないうちに利川市から消えた。東京の大倉集古館にあることを知ったのも最近だ」と反論したそうです。
菅首相が文化財の韓国への「お渡し」・・・「返還」と言わねばならないところですが・・・を約束したのですから、朝鮮総督府=日本政府が略奪したものは、返還すべきでしょう。でも、どうなるか? 「大倉集古館陳列品目録(朝鮮分)」という1918年の資料を見ると、なんと、362点もの李朝時代や高麗時代の仏像やら、お経、青磁白磁、銅鏡、石塔等々が並んでいるのです。これは1918年の分だけ!? しかも、お墓を暴いて持ち出したものも多いとか・・・
「『墓を暴く』というのは韓国では最低の行為です」と言われましたが、それは、日本だって、どこの国だって同じでしょう? いったい、38年間の植民地支配の中で、どれだけの文化財を、どんな手段で、日本は略奪してきたのでしょうか?
この集会の終わりのほうで、「日本から平和通信使の方々が見えていますので、皆様、お立ちください」と言われ、一行20人弱が立ちますと、大きな拍手が沸きました・・・略奪者たちの国の後裔としては冷や汗もの・・・
11月には東京でのシンポジウムが予定されているそうです。
<28日~神勒寺>
シンポが終わり、利川から驪州(ヨジュ)の千年の古刹という神勒寺へ。本日はここの僧房に泊まります。韓国では今、「テンプル・ステイ」ということが流行しているそうです。お坊さんと一緒に修行したりする人もいるそうですけど、そこまでするかしないかは自由ということで・・・
ここは、李王朝創設者の李成桂が建てたそうです。李王家の氏寺というところでしょうか? だいたい、韓国のお寺は山か海のそばにあるそうですが、このお寺は南漢江のほとりにあり、風光明媚!
翌28日の朝食後、ご住職がお茶をふるまいながら、いろいろとお話しをしてくださいました。一番、印象に残ったお話は「日帝時代は総督府の命令で、独身であることが当然の韓国のお寺の僧たちは結婚を強制されました。どんなに強制されても妻帯しない僧は最下層に置かれ差別されました。植民地から解放されて、独身の僧が当然という元に戻るまで30年かかりました。」ということです。
そこまでやったか!? です・・・結婚するつもりの無い男性(女性だって)に結婚を強制する、とは・・・なんと気持ちの悪い。
ご住職は「私は環境運動を行っていまして、10年になります。皆さんもそうでしょうが、社会運動をする市民はマイナーです。しかし、皆さんは『地の塩』です」とも言われました。「日本の仏教会の方たちもここに見え『共に協力していこう』という石碑も立っていますよ」とも。
(以下略)
全文は、『増田都子のHP』に掲載。
http://www.masudamiyako.org/
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫