受賞したのは、過労自殺の遺族で、過労死を出した企業名の公表を求めて大阪労働局を相手取って昨年11月に裁判を起こした寺西笑子さん(61:京都市)です。
龍基金は、「株式会社すかいらーく」に25年勤続し2004年8月15日に48歳で過労死した中島富雄さんの遺志を継ぎ、同社と団体交渉した妻の晴香さんによって解決金を原資に設立されました。
これまで、「過労死110番全国ネットワーク」、マクドナルド「名ばかり店長」の高野廣志さん、すかいらーく契約店長遺族の前沢笑美子さんが受賞しています。
主催者を代表して中島さんは「私は今、幸せではありません。幸せなのは寝ている時だけです。夢で主人と会えるからです。こんな家族の悲しみを二度と繰り返さないでほしい」「過労死の根絶に皆さんの力を貸してください」とあいさつ。
副代表の前澤さんは「息子は32歳で過労死しました。私と同じ悲しい思いをだれにもさせたくありません」「仕事する義務もあるが、休む権利もあるはずです。」と訴えました。
選考委員を代表して、玉木一成弁護士は「20年以上、個人や団体が過労死撲滅をめざしています。しかし、過労死被害は増加している。過重ね労働をつずける方が企業にとって利益が上がるからです。企業名を公表しなければ(新卒者や労働者は)就職、転職を避けられない。寺西さんの裁判を支援する意味でも選考しました」と報告。
受賞した寺西さんは、「遺族として二度と(過労死・過労自殺を)起こさないでほしいという思いが強くあります。国を訴えて反省させ、その向こうにいる企業に過労死させない働かせ方を本気で考えさせることを大きな目的として活動をすすめていきたい」とあいさつしました。
日本弁護士連合会会長で反貧困ネットワーク代表の宇都宮健児弁護士が「生きがい、希望のもてる社会をめざして」と題して、記念講演を行いました。
日本はアメリカに次ぐ貧困大国であり、脆弱な社会保障制度とワーキングプアの拡大、新自由所義的市場原理主義的な国の政策が貧困と格差を拡大させ、現代の貧困の特徴が社会的・人間的孤立をともなう「関係の貧困」にあり、これが「生きがい」や「希望」を奪い取ってしまうことから、これからの反貧困運動は、当事者にとって居心地のよい居場所を提供して「関係性の貧困」を解消し、当事者が声を上げて貧困の実態を告発していけるように支援して「貧困を顕在化・可視化」して、社会的・政治的に解決していくこと。
「過労死問題も遺族が困難の中で声を上げることが根絶に向かっていく」と話されました。
垣根やイデオロギーを越えた協力・協働 が大切になっていることなどについても、豊富な資料で語られました。
愛媛県の漁村で生まれ育ち、野球少年が青年期に弁護士を志した経緯など宇都宮弁護士自身の職業倫理が培われた基盤、東大駒場寮での人との本との出会いなどが豊かに語られ、イソ弁の70年代後半当時、年109・5%もの金利によるサラ金被害の相談から多重債務問題に取り組み、2006年にグレーゾーン金利を撤廃させた画期的な新貸金業法を成立させたこと。
貧困と格差の拡大がサラ金・クレジットの利用者を増大させ、多重債務問題を深刻化させてきた中で、弁護士として貧困問題に取り組み、反貧困ネットワーク代表として被害者の相談を正面から受け止めて、日弁連とともに政府に対して政策を提起して対策を講じてきた市民運動の体験に裏ずけられた貴重な講演でした。
講演後、立食形式での懇親会も開催され、中島賞の選考委員で東京労働安全衛生センター代表理事の平野敏夫さんの乾杯の音頭のあと、選考委員の木下武男さん(昭和女子大学教授)、玉木一成さん(過労死弁護団事務局長)、藤崎良三さん(全労協議長)があいさつし、福島みずほさん(社民党党首)のメッセージも代読されました。
「全国過労死を考える家族の会」の初代代表の馬淵郁子さん、反貧困ネットワークで自殺問題に取り組んでいる中下大樹さん、息子さんを過労死で亡くされ現在裁判で会社と闘っている矢田部和子さん、官製ワーキングプア問題に取り組んでいる荒川区職労の白石孝書記長、地元葛飾区の市民運動支援センターの山崎まどかさん、授賞式協賛団体『週刊金曜日』の片岡伸行副編集長、全国一般全国協書記長の遠藤一郎さんが労働組合を代表して発言しました。
次々とあいさつされる中、参加者はお互いに大いに交流を深めました。
中島代表が閉会のあいさつで、
「最近、タレントが過労死を面白おかしくしゃべっているテレビ番組を見たけれど、許せない。
どれだけ過労死で家族が苦しんでいるのか、
まったくわかっていない。
今日はたくさんの人に集まってもらい、過労死の問題を真剣に考えてもらい感謝しています。
今後とも過労死をなくすためにご協力をお願いします」
との支援を呼びかけに、参加者は大きな拍手で答えました。
会場では『過労死の労災申請』『大丈夫、人生はやり直せる』(宇都宮弁護士)『週刊金曜日』など書籍販売も行われました。