岡山輝明(現役教員)

 ◆ 「問題を先送り」の進学志向
 にもかかわらず教育熱はますます煽られています。これは一方では超エリート校への進学傾向が強まると共に、他方では貧困化への恐怖に追い立てられているからです。
 貧困に陥らないためには教育によって正社員の道を確保するしかない。あるいは親から子へと貧困の連鎖を断ち切り、子ども世代のステップアップをはかるためには、より高い学歴を付けることが必要だという思い込みが根強いのです。他に安定した生活を送れるような道筋が見える訳ではありませんから尚更です。
 95年に発表された日本経営者団体連盟の報告書、『新時代の「日本的経営」一挑戦すべき方向とその具体策』が示したように、正社員を少なくし派遣社員などいつでもクビにできる非正規雇用を拡大して、収益を確保する方向へと企業は動いています。
 正社員になれば安心なのではありません。少なくなった正社員が過重な労働を負わされていろことは、相次ぐ過労死や早期離職者の増加に表れています。


 教育によって、より高い学歴をつけることによって、将来の安定した生活が約束されたのはすでに昔の話です。実はそのことに気づいているからこそ、「資格」の取得が盛んに喧伝されているとも言えます。「資格」によって学歴を補完しようという訳です。しかし正社員としての仕事そのものが減少していく中では、いくら「資格」をとったからといって安定した職に就ける訳がありません。これでは教育産業が肥大化するばかりです。

 ◆ 貸与型奨学金では貧困の連鎖から脱出できない

 では、公立高校の教職員は進路を考える生徒を前にしてどうしたらいいのでしょうか。長年の蓄積で就職先がある程度確保されている学校では、企業に気に入られるように徹底して生徒を型に嵌めて行かざるを得ないのかもしれません。生徒の成長を見守ろうとする姿勢のある人にとってこれは苦しいことです。
 また私の職場のように、専門学校や大学などへの進学傾向の強い高校では、学歴も資格もと教育産業の下へ追い込まざるを得ない状況です。それによって進路がほぼ決まっていく3年生の秋まで、何とか生徒の注意を授業に向けさせているのです。
 しかし私自身は、その先が見えない中での進学への傾斜には疑問があります。ましてや奨学金や教育ローンで進学する場合、卒業して正規雇用につけなかったとしても返済に迫られます。
 日本学生支援機構の奨学金は、数ヶ月滞納すると金融機関のブラックリストに名前が載ります。滞納者が多くなったことを理由に、これに同意する書類に予め署名捺印しなければお金を貸してもらえないようになりました。バイトをしてでも月々返済していかなければならないのです。これは非常に重たいことです。
 だから迷っている生徒には、高校を卒業したら就職しろ、就職できなかったらバイトでも何でもとにかく働けと言っています。そこからまた自分の人生を考えろと言っています。自分の稼ぎで食べていくことが大事だからです。たとえ大学を卒業できても奨学金の借金を背負い、バイトしながら返済に追われる生活をおくるのは余りに重たいからです。
 年末年始の「公設派遣村」では若者の姿が多かったと聞きます。また昨年来、都心のあちこちの駅前で、ホームレスの自立を応援する雑誌“BlgIssue”を立ち売りする若者をよく見かけます。
 こうした若者の貧困化は決して「自己責任」ではありません。若者を使い捨てにする経済構造の問題なのです。そこに目を向けないで学歴も資格もと生徒達を煽り立てていたのでは、私たちは教育産業と同様に若者を食い物にする側に回ってしまいます。これではやがて強烈なしっぺ返しを喰らうでしょう。いや既に大きな不信感を生徒や保護者たちにかっているかもしれません。それでもかろうじて学校教育が成り立っているのは、様々な面で親身になる教職員、面倒見のよい教職員が少なくないなど、生徒と教職員の人間関係がまだまだ維持されているからだと言えます。
 しかし、生徒や保護者に直接向かい合う教職員の合議によって運営されてきた学校の在り方は、97年から始まった都立高校改革推進計画の進行の中で否定されてきました。管理強化が進み、職場は校長を自らの代理人に貶めた都教委による上意下達の組織に転換させられてきたのです。

 ◆ 生徒と教職員の人間関係の希薄化に抗して

 実際に生徒に向かい合うよりも、パソコンに向かって自己申告書など数々の書類を打ち込む時間がどんどん増えてきました。この4月からは都立学校の専任教員全員の机上で、都教委に直結したノートパソコンが起動し始めます。
 「日の丸・君が代」の強制徹底を図った2003年の「10.23通達」は、入学式・卒業式などの式典場面で国家への忠誠を表すことを求めただけでなく、教育課程そのものの直接管理へと踏み出す第一歩でもありました。
 今回のパソコンの配備は教育課程直接管理の決定的な手段です。これによる教職員の仕事の変質は、生徒や保護者との人間関係を一層希薄化させ、学校教育の混迷をどこまでも深めるに違いありません。
 学校教育ではどうにもならない問題であるにもかかわらず、強権的な教育改革で対応しようとする限り、展望が啓けるどころか底なし沼にはまりこんでいく他ないのです。
 そこに飲み込まれずに生き延びて行くためには、私たちは生徒や保護者、同僚との人間関係を維持し、様々な手立てで気分転換をはかりつつ、精神の風通しをよくしていくべきではないでしょうか。
 
(完)

 『都高退教ニュース』(no.76 2010/3/20)から

≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!! 今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
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