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 《教育の現場から》

 馬鹿げた主幹=宦官制の導入、

 その受験を奨励した組合!(後編)

T.D (現職、高校教員)

 予めお断りしておくが、全都のデータを集めたわけではないので、実証的研究成果なのかと言われると「ちゃいます」と言わざるを得ないのだが、本当に起こっているのかと問われたら「ハイ、間違いありません」と答えられる話である。
 教員の自負心というか独立心は結構強いものらしく、主幹の受験倍率は常に1倍前後と聞いているが、毎年実施されるている以上、主幹は確実に増殖している。

 そして、その主幹と言われる教員は、本人の「割り切り方」によっては、最も密に管理職と結びつける立場にある。このことから、異動のルールが平教員とは異なる主幹が、例えば「ここに長くいたい(生徒の取り扱いが楽だとか、通勤が楽だとか、自分に合っている)とか」と願えば、校長に働きかけ気に入られ、平教員6年(以下)異動の原則を一切無視して、8年10年12年と居座り続けているのだ。
 但し彼らは、古き良き学校の主のような教員とは異なり、次から次にやってくる校長という主君に逆らわずに上手く生き続ける宦官のような存在であるが。


 逆に困難校では、主幹がリーダーシップを好き放題に発揮してー多くの場合は生活指導(*既知の通り、ここでは問題行動への対処そのもの)を仕切りたがり、現実には「余り矢面に立たず」ともよく聞くがーそのご褒美として3年で少しは楽な学校に異動させてもらい、一方で他の教員も、支離滅裂な状況に嫌気がさしてか、最短での異動を希望する傾向にある。
 現実として、現在最も問題行動への対処数が多いと巷間伝わるH高校やN高校などでは、平均異動年数が3年前後であるという。3年間通して担任をやる方が一体どれだけいるのか・・。
 都教委が錦旗の如くぶち上げる愛国心以前に、これで愛校心が、職場への愛着が、そして最も切実なことに、生徒達への愛情が、醸成されるのだろうか。

 職員会議での挙手復活問題でマスコミに派手に取り上げられている元校長がいることを認識はしているが、挙手復活に学校再生が懸っているとは私には到底思えない。
 やはり身分制をなくし、自由に、どんなに長い時間でも意見を開陳しあい、自分たちで学校を、公教育を造っていくんだとという独立心に富んだ教員たちと、それを見守り、「責任は私がとる」という校長の集合体が必要なのだ。(*私が教員に成り立ての頃は、現実にそうした校長、結構存在した気がするのですが・・)。

 とどめに、都高教は「学校の経営権を実質掌握するために、主幹をどんどん受験しよう」と、労働団体でありながら、この主幹制を認容、いや、推奨してしまった。私自身も含め、心ある者たちは当時、そんなものの先は見えている。絶対に導入はダメだと反抗はしてみせたものの、情けないことに無力なまま、すべてが導入されてしまった。

 先述の異動年限の短さ、組合組織率の低下などの諸要因が加わり、その組合主幹が牛耳るとされた企画調整会議は、組合主幹が団結して経営権に参画もしくは干渉するような機関にはまったくならず、何度か触れてきた通り、職員会議よりも上の枢密院となり、議長・副議長が校長・副校長、主幹が顧問官となって学校の経営をしている。(*面倒臭いことに外部員など、さらに複雑怪奇な複数の目が、その経営権の行使を監視している。)
 無論、企画会議で逆らった主幹も、翌年の主幹異動ー平教員よりも、こちらの方が条件はきついようだが、ここでは触れないーの対象となるだけの話である。単純に、逆らえるわけはない。まさに御用組合そのものに堕した。

 最後に、いつも考えるのだが、前回の拙稿で示した研修を受けた若い教員たちが、現在のそうした学校の中で5年10年29年と過ごした場合、一体公教育はどのようになっていくのであろうか?
 学校というものは縦構造で当然、ヒエラルキーがあって当たり前、流行り言葉を弄べば、想定外の生徒やモンペアの問題には自己責任で各自対処、ゆるキャラのように要領よくゆるゆる生きていけば一番賢い![意味不明?!]、最後は入都時に自己決定しておいたマニフェスト通りに「上」を目指して管理職へ・・・そんな教員像ばかりが見えて悲しくなる。
 生徒を、学校を愛し、損得勘定ぬきで純粋に頑張る若い教員の姿が、その世界には創造しづらい。

 主幹制導入という最後の決定打を許した責任の一端は我々の世代にもあるので、到底言えた義理はないのも承知しているが、そうした未来の公教育の現場においても、なぜ多くの先輩たちが立ちはだかったのか、なぜ不起立や不採用の問題が起きたのかを学び、
 「われわれ若人も、自由に生きるか、さもなくば一生徒のために・公教育のために一死を賭して戦おう!」
 という教員たちがいることを信じて、拙稿を結びたいと思う。
 (完)

 『藤田先生を応援する会通信』(第40号 2010/4/8)