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高校生代表の発言より

  岡本かなさん(普天間高校)

厚さ6センチの窓。
その窓いっぱいに見える飛行機の胴体。
これが私たち普天間高校の日常の光景です。

私は2年前、あこがれの普天間高校に入学しました。
とてもわくわくして登校したことを今でも覚えています。
しかし、グラウンドに出れば、騒音とともにやってくる低く黒い影。


授業中でも、テスト中でも、容赦なく全てを中断させる音。
低空飛行する機体に向かって思わず「うるさい」と叫んだこともあります。

学校までの通学路は、どこまでも長い基地のフェンスが続きます。
早期講座の始まる頃には、基地から上がる星条旗が見えます。
「あれ、ここって日本だよね、いったいフェンスで囲まれているのは、基地なの、私たちなの?」。
一瞬、考えてしまいました。

日本にある米軍基地の75%が、ここ沖縄に存在していることをあらためて実感しました。

そんな不安と違和感を覚えた1年でした。


入学から2年たち、私は自分が変化していることに気付きました。
そして怖くなったのです。

ヘリコプターは相変わらず、頭上を飛び、騒音は鳴り続けます。
「でもしょうがない」「いつものこと」と思う自分がいたのです。


軍用機がいつ、自分の上から落ちるかわからない日常。

訓練が民間地域のすぐ横で行われている日常。

基地や訓練が何のためにあるのか忘れた日常。

危険を危険と感じなくなる怖さ。

普天間高校で過ごす間に、この状況があまりに日常になって、私の感覚はにぶくなっていたのです。

生活の中に基地があること、
沖縄の中に基地があること、
この問題をしかたがないから、と考えるのをやめていないか。

私を含めて、いま一度多くの方に考えてほしい。
みんながそれぞれの立場で、もう一度基地問題に向き合ってほしいと思います。

私たち一人ひとりが考えれば、何かが変わる ー そう信じて、私はここに立っています。



  志喜屋成海さん

 戦後65年の間、沖縄の中には、米軍基地と何らかのかかわりをもちながら、さまざまな気持ちを抱く人がいるのもまた事実です。基地で働き生活の基盤を作っている人、沖縄の様々な場所で反対運動をする人たち、辺野古の海岸で座り込みを続けている人たち。日本人だけでなく基地で働く多くの外国の人もいます。

 全ての人が一生懸命生きているからこそ、平和と基地、沖縄はいつも矛盾を抱えています。
私には、それぞれの立場の人の考えを判断するだけの人生経験がありません。でも、かつて、沖縄が琉球王国と呼ばれていた時代から、沖縄の人が平和を愛し、人と人のつながりを何よりも大切にしてきたことだけは分かっています。この精神は今も昔も変わらず、、沖縄の人々の心に刻み込まれているのです。私たちには、お互いに手をとり、平和を築ける力を持っている、と私は思います。

 だから、ただ現状に流されて、「しかたがない」と受け入れることで本当に良いのでしょうか。私は純粋に素直に、この問題をみたうえで、やはり基地は沖縄には必要ないと思うのです。

 今私たちの通う普天間高校では、大会をきっかけに、一人ひとりが基地問題について考え始めています。そして、今、この開場にも、県内外から多くの方々が基地問題を何とかしたいという思いに突き動かされて集まっている。もちろんこの開場以外でも、それぞれの場所で今この瞬間考えていると思う。

 この基地問題は普天間だけでなく、沖縄県民だけでもなく、日本国民全ての人が自分の問題として考えてほしい。私たちの思いが一人でも多くの人たちの心に届くことを、心から願っています。


(二人で声をそろえて)

「未来は私たちの手の中に!」