【『山陽新聞』2010年4月21日夕刊】より

小林多喜二の未収録小説

岡山大院生発見  最初期の新聞掲載作品北海道小樽市立小樽文学館は21日、日本プロレタリア文学を代表する作家小林多喜二(1903~33年)が小樽高等商業学校(現小樽商科大)在学中の18歳のときに「国民新聞」に投稿し、掲載された全集未収録の小説が見つかったと発表した。

小樽文学館は「完成した小説としては最初期の作品で、作家障害のスタート地点といっても過言ではない」と評価。館報に収録し、公表する。

文学館によると、小説のタイトルは「スキー」。400字詰めの原稿用紙6枚半の短編。日露戦争で負傷した高齢の体操教師が主人公で、社会的弱者に寄せる多喜二の思いが伝わる。新聞は21年10月30日付。

事実上のデビュー作で、「小説倶楽部」(21年10月号)掲載の「老いた体操教師」とほぼ同時期に書かれ、主人公のモデルが共通している。政治思想史を専攻する岡山大の大学院生が昨秋、偶然発見。「全集未収録の作品ではないか」と問い合わせを受けた文学館が調査していた。



≪Prof. Shima's Life and Opinion Shima教授の生活と意見。≫


ブログ「「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。」に、多喜二の新発見小説の記事がある。「老いた体操教師」につながる作品の発見は画期的だ。『国民新聞』に掲載とは驚いた。多喜二はまさに現代の話題作家だといってよかろう。以下引用。

御影さん、akioさん 情報提供ありがとうございます!!

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多喜二18歳の小説 (akio)
2010-04-21 20:58:26

多喜二18歳の小説:新聞投稿の短篇・小樽文学館発表(4月21日北海道新聞夕刊1面)

 市立小樽文学館は21日、プロレタリア作家・小林多喜二が小樽高等商業学校(現小樽商大)在学中の18歳の時、「国民新聞」(東京新聞の前身の一つ)に投稿、掲載された、全集未収録の短篇小説「スキー」が見つかったと発表した。

 政治思想史を専攻する岡山大の大学院生が昨秋、偶然発見。問い合わせを受けた小樽文学館が調査していた。

 玉川薫副館長は「多喜二最初期の作品。限られた紙幅にふさわしい表現をとっており、作家としての早熟さがうかがわれる」と評価している。

 新聞は21年(大正10年)10月30日付。小説は400字詰め原稿用紙6枚半。日露戦争で負傷した体操教師が主人公で、体が不自由な教師がスキーの練習をする様子を、学生がからかう場面を交えてつづり、社会的弱者に寄せる多喜二の思いが伝わるという。

 事実上のデビュー作で「小説倶楽部」(21年10月号)掲載の「老いた体操教師」とほぼ同時に書かれた。
 主人公は多喜二が卒業した小樽商業学校(現小樽商業高)の実在する体育教師で、2作品共通。ただ、原稿用紙20枚の「老いた体操教師」では、教師の境遇への同情が書き込まれていた。

 玉川副館長は「スキー」は新聞への投稿を意識したのだろう。
 同じメデイアによって書き分ける巧みさを18歳で身につけていた」とみている。

 「スキー」は市立小樽文学館報の最新号に掲載した。希望者は同館でコピーを入手できる。

研究はまだ日浅い:小林多喜二の著作に詳しい倉田稔小樽商科大名誉教授(社会思想史)の話

 小林多喜二の研究が始まったのは戦後からと日が浅く、また長年「左の人」と敬遠する学者が多かったため、研究者が少なかったのが今回の作品が見つからなかった原因だろう。

 これからも未収録作品が発見される可能性は大きい。


♪akio:ビックリしました。

※ 「老いた体操教師」が練習したスキー場って何処だったですか?(小樽・ニセコ)
※ 丁度この小説が書かれた年の大正10年に小樽商大はスキー部の合宿を「ニセコ山系・昆布宮川温泉旅館=現鯉川温泉旅館」で例年行っています。
※ 多喜二が1930年2月に「昆布温泉」に泊って、多喜二が恋人タキに恋文を書いていますね。文章からして「鯉川温泉旅館」と推測しています。
※ 厳冬期の2月、宿泊できる温泉旅館は2軒しかありませんでした。他の一軒は「不老閣・現廃業」で「宮さま」の常宿でした。
※ 1928年3月に「秩父宮」がこの「不老閣」を拠点にスキー訓練をしていることが毎日の様に地元新聞に(馬橇24台を連ねて・・)などと報道され、その直後に「3・15事件」が起きます。
※ 多喜二が、「不老閣」に宿泊することは予想できず。500m川上の質素な「宮川温泉」に泊って「女中」さんにドロップスを差入れたのでしょう。
※ 当時の建物は焼失のため現存しませんが、温泉浴槽は当時のまま(支配人談)だそうです。


「研究まだ日が浅い」って!!励ましの言葉です。♪


小林多喜二の小説を発見 18歳当時、新聞掲載 (御影暢雄)
2010-04-21 18:19:11
~あの(?)経営者思いの日経新聞が本日夕刊で多喜二の小説が発見されたと報じています。

”小林多喜二の小説を「発見」
 18歳当時、新聞掲載”

 北海道小樽市立小樽文学館は21日、日本プロレタリア文学を代表する作家小林多喜二(1903~33年)が小樽高等商業
学校(現小樽商科大学)在学中の18歳の時に「国民新聞」に投稿し、掲載された全集未収録の小説が見つかったと発表した。
 小樽文学館は「完成した小説としては最初期の作品で、作家生涯のスタート地点と言っても過言ではない」と評価。館報に収録し、公表する。
 文学館によると、小説のタイトルは「スキー」。400字詰め原稿用紙6枚半の短編。日露戦争で負傷した高齢の体操教師が主人公で、社会的弱者に寄せる多喜二の思いが伝わる新聞は21年10月30日付。
 事実上のデビュー作で、「小説倶楽部」(21年10月号)掲載の「老いた体操教師」とほぼ同時期に書かれ、主人公のモデルが共通している。


国民新聞 (御影暢雄)
2010-04-21 19:51:52
 国民新聞(戦前:國民新聞)は徳富蘇峰(徳富蘆花の兄)が1890年2月に平民主義を唱えて創刊した、日刊新聞。

 全国新聞に自小説が掲載されたのであれば、多喜二は相当自慢できたと思うのですが、これまで書簡等にこの件での記述は見当たらなかったのでしょうか。日経夕刊では詳しくわからないのですが、筆名は小林多喜二と名乗っていたのでしょうか。


北海道新聞 (御影暢雄)
2010-04-21 21:28:19
 北海道新聞ホームページに、多喜二作「スキー」についての報道が掲載されていました。当時の国民新聞に、同小説は小林多喜二の名で国民新聞に掲載されていたことが分かります。(同HP記事添付写真。日経新聞夕刊の写真もよく見れば小林多喜二の名が読み取れました:拡大鏡にて)
昨秋、岡山大大学院院生が発見し、小樽文学館に問い合わせたのがきっかけで、今回の発表となったそうです。