≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
不起立で停職ーカ月 「闘いを地域に広げよう」
累積過重処分取り消し訴訟原告 近藤順一(元八王子市立中学校教諭)
東京の09年度卒業式の「日の丸・君が代」不起立等で4人に停職を含む処分が発令された(4月13日号で既報)。そのうちの一人、累積加重処分取り消し訴訟原告の近藤順一元教諭に今日の東京都教育委員会との攻防の現段階を明らかにしてもらった。
■ 闘いの課題は明らか
3月30日14時、私の職場の校長室にて都教委係官2人から、市教委係官、校長の立ち会いの下に処分辞令が発令された。3月30日付で停職1月処分であった。
辞令交付後、私が「停職1月ということは、3月31日で退職するがそのまま退職になだれ込むことになるのか、それとも、4月30日までは身分が保証されることになるのか」と聞くと、「それは前者だ」とのこと。
つまり、最後の1日だけは正常な公務をさせないと言うこと。
退職を目前にしてもなお、停職処分の実績をつくろうとする都教委のやり方に強く抗議する。
今回の処分は、以下のことを示し、今後の課題を提起している。
1、この不当処分は都教委があくまで「日の丸・君が代」強制、処分を続けることを白日の下にさらした。都民の皆さんや全国民に事実を知らせ、1日も早く強制を停止させる闘いを強化しなければならない。
2、今回も、懲戒免職、分限処分を阻止した意義は大である。多くの市民の支援を受けた粘り強い取組みの結果である。今後とも引き続き警戒しなければならない。
3、過酷な処分ではあるが、現場の教職員は決して強制を受忍していないことを示した。「日の丸・君が代」強制や日増しに強まる学校現場への統制に反対する広範な教職員とともに進まなければならない。
4、地裁、高裁での不当判決が都教委の強制を許していることからも、圧倒的な都民、国民に訴え、真実を明らかにする裁判闘争を強化しなければならない。裁判闘争は、学校現場の運動を基本とする職場・地域の取り組みと固く結合しなければならない。今後、改憲に反対する取組みをしている方々をはじめ、多方面の運動とも連携する必要がある。
■ 免職は阻止している
東京都の教育現場には、都教委と教職員との間には厳しい対立があることは明白である。
教育委員会は石原知事の任命による委員によって構成され、間接的に都民を代表する立場にある。明確にその教育行政から発せられた施策が原因で、7年もの間過酷な強制、処分が続行してきたことが明らかになり、都民は一体全体どちらに道理があり、どちらに非があるのかを考え始めている。
私に対する今回の処分は4回目の累積加重処分で停職1月であったが、すでに停職6月処分を2回、3回と課されている者もいる。不当な処分である停職6月を累積させても、それ以上の加重、即ち懲戒免職を課すことはできない状態にある。また、2008年7月に都教委が提示したより恣意的処分を可能とする"分限処分指針"の適用も阻止している。
懲戒処分・分限処分は実際に行動し適用される者にはもちろん圧力だが、「日の丸・君が代」強制に反対している多くの教職員が行動を起こすに当たって、経済的理由や精神的理理由よるストッパーとなっている。
都教委は延べ400名以上の処分を出しても、"これは「日の丸・君が代」強制ではなく、処分は職務命令違反に基づく信用失墜行為"という。
そして、裁判所は"一般的には、客観的には、思想良心の自由を侵害しているとはいえない"という。さらに、最近の判決では"地教委の権限"や"職務命令の意義"を強調し都教委にお墨付きを与えている。
このように都民からの批判を巧みに避けながら、強権的措置を主張し行使している。つまり、本来、児童・生徒、全ての都民に関わることでありながら、公的な行政とそれに逆らう一部の者という構図がつくりあげられてしまっている。
それ故に困難な闘いの中でも懲戒免職・分限処分の適用を阻止していることは運動を継続するうえで極めて重要な意義をもっていると思う。
「東京都における『日の丸・君が代』強制反対に立ち上がった教職員の意義は大きいのです。彼らの行動がなければ、東京都教育委員会が出した『10・23通達』は問題化することすらなかったでしょう。教職員の行動は国家主義への批判となっていると同時に、異論を消し去る新自由主義的経営体になりつつある、現在の学校のあり方への批判としても貴重です。」(『現代思想2010・4』「討議政権交代と教育制度の転換」小森陽一・大内裕和)
■ 対立軸をはっきりと
私たちの世代は団塊の世代といわれる。それは"侵略戦争遂行者"2世であり、戦後日本が右旋回した学校教育を受けてきた世代である。第1次学テ受検世代である。
そして、今世紀、ついに教育基本法が改定され、学テも復活した。その実働化は始まったばかりであり、「日の丸・君が代」強制も本格的な全国化の兆しが見える。
政権交代したが、対立軸は明確になっていない。「日の丸・君が代」はもっと議論の対象とされ、揉まれる必要がある。教職員組合も大綱方針だけで具体的な議論を避け、国旗国歌賛成者も深く沈潜し、教職員が沈黙する。このような事態こそ危険だ。
この問題は、「根本において教育の力にまつべき」課題であり、日本人と日本社会の深部に関わる歴史的課題である。
そのスケールに見合って、市民的議論による運動を作り上げることに尽力するのが、一市民となった私のやることだと思う。
★ 累積加重処分取り消し訴訟第一回口頭弁論
5月17日(月)13時15分より東京地裁527号
(原告本人陳述の予定)
『週刊新社会』(2010/4/20)
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
不起立で停職ーカ月 「闘いを地域に広げよう」
累積過重処分取り消し訴訟原告 近藤順一(元八王子市立中学校教諭)
東京の09年度卒業式の「日の丸・君が代」不起立等で4人に停職を含む処分が発令された(4月13日号で既報)。そのうちの一人、累積加重処分取り消し訴訟原告の近藤順一元教諭に今日の東京都教育委員会との攻防の現段階を明らかにしてもらった。
■ 闘いの課題は明らか
3月30日14時、私の職場の校長室にて都教委係官2人から、市教委係官、校長の立ち会いの下に処分辞令が発令された。3月30日付で停職1月処分であった。
辞令交付後、私が「停職1月ということは、3月31日で退職するがそのまま退職になだれ込むことになるのか、それとも、4月30日までは身分が保証されることになるのか」と聞くと、「それは前者だ」とのこと。
つまり、最後の1日だけは正常な公務をさせないと言うこと。
退職を目前にしてもなお、停職処分の実績をつくろうとする都教委のやり方に強く抗議する。
今回の処分は、以下のことを示し、今後の課題を提起している。
1、この不当処分は都教委があくまで「日の丸・君が代」強制、処分を続けることを白日の下にさらした。都民の皆さんや全国民に事実を知らせ、1日も早く強制を停止させる闘いを強化しなければならない。
2、今回も、懲戒免職、分限処分を阻止した意義は大である。多くの市民の支援を受けた粘り強い取組みの結果である。今後とも引き続き警戒しなければならない。
3、過酷な処分ではあるが、現場の教職員は決して強制を受忍していないことを示した。「日の丸・君が代」強制や日増しに強まる学校現場への統制に反対する広範な教職員とともに進まなければならない。
4、地裁、高裁での不当判決が都教委の強制を許していることからも、圧倒的な都民、国民に訴え、真実を明らかにする裁判闘争を強化しなければならない。裁判闘争は、学校現場の運動を基本とする職場・地域の取り組みと固く結合しなければならない。今後、改憲に反対する取組みをしている方々をはじめ、多方面の運動とも連携する必要がある。
■ 免職は阻止している
東京都の教育現場には、都教委と教職員との間には厳しい対立があることは明白である。
教育委員会は石原知事の任命による委員によって構成され、間接的に都民を代表する立場にある。明確にその教育行政から発せられた施策が原因で、7年もの間過酷な強制、処分が続行してきたことが明らかになり、都民は一体全体どちらに道理があり、どちらに非があるのかを考え始めている。
私に対する今回の処分は4回目の累積加重処分で停職1月であったが、すでに停職6月処分を2回、3回と課されている者もいる。不当な処分である停職6月を累積させても、それ以上の加重、即ち懲戒免職を課すことはできない状態にある。また、2008年7月に都教委が提示したより恣意的処分を可能とする"分限処分指針"の適用も阻止している。
懲戒処分・分限処分は実際に行動し適用される者にはもちろん圧力だが、「日の丸・君が代」強制に反対している多くの教職員が行動を起こすに当たって、経済的理由や精神的理理由よるストッパーとなっている。
都教委は延べ400名以上の処分を出しても、"これは「日の丸・君が代」強制ではなく、処分は職務命令違反に基づく信用失墜行為"という。
そして、裁判所は"一般的には、客観的には、思想良心の自由を侵害しているとはいえない"という。さらに、最近の判決では"地教委の権限"や"職務命令の意義"を強調し都教委にお墨付きを与えている。
このように都民からの批判を巧みに避けながら、強権的措置を主張し行使している。つまり、本来、児童・生徒、全ての都民に関わることでありながら、公的な行政とそれに逆らう一部の者という構図がつくりあげられてしまっている。
それ故に困難な闘いの中でも懲戒免職・分限処分の適用を阻止していることは運動を継続するうえで極めて重要な意義をもっていると思う。
「東京都における『日の丸・君が代』強制反対に立ち上がった教職員の意義は大きいのです。彼らの行動がなければ、東京都教育委員会が出した『10・23通達』は問題化することすらなかったでしょう。教職員の行動は国家主義への批判となっていると同時に、異論を消し去る新自由主義的経営体になりつつある、現在の学校のあり方への批判としても貴重です。」(『現代思想2010・4』「討議政権交代と教育制度の転換」小森陽一・大内裕和)
■ 対立軸をはっきりと
私たちの世代は団塊の世代といわれる。それは"侵略戦争遂行者"2世であり、戦後日本が右旋回した学校教育を受けてきた世代である。第1次学テ受検世代である。
そして、今世紀、ついに教育基本法が改定され、学テも復活した。その実働化は始まったばかりであり、「日の丸・君が代」強制も本格的な全国化の兆しが見える。
政権交代したが、対立軸は明確になっていない。「日の丸・君が代」はもっと議論の対象とされ、揉まれる必要がある。教職員組合も大綱方針だけで具体的な議論を避け、国旗国歌賛成者も深く沈潜し、教職員が沈黙する。このような事態こそ危険だ。
この問題は、「根本において教育の力にまつべき」課題であり、日本人と日本社会の深部に関わる歴史的課題である。
そのスケールに見合って、市民的議論による運動を作り上げることに尽力するのが、一市民となった私のやることだと思う。
★ 累積加重処分取り消し訴訟第一回口頭弁論
5月17日(月)13時15分より東京地裁527号
(原告本人陳述の予定)
『週刊新社会』(2010/4/20)