≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP ≫
『白鴎有志の会 会報』(第7号)より
◆ 都立中高一貫校、全部扶桑社
尾形修一(白26)
二〇〇九年夏に、中学の教科書採択が行われました。予想通り、社会科歴史分野の教科書は、新規開校4校を含む中高一貫校すべてで扶桑社となりました。
また、公民分野の教科書も、新規2校を含む6校すべてで扶桑社となりました。(公民分野は中学3年で使用するため、開設2年目に採択される。新規開設4校では採択なし。)
改めてこの間の経緯を振り返っておきます。
二〇〇四年八月、翌年4月開校の白鴎附属中の教科書採択があり、都教委は扶桑社の歴史教科書(旧版)を採択しました。扶桑社版教科書は、「新しい歴史教科書をつくる会」という右派グループが産経新聞の子会社から出版したものです。中学教科書は、4年間継続して使用されます。二〇〇五年は、その4年目の年だったため、旧版教科書は一年しか使用されませんでした。
二〇〇五年夏には、〇六年度から〇九年度に使用する教科書の採択が行われ、都教委は白鴎附属中のみならず、他の中高一貫校や特別支援学校で再び扶桑社歴史教科書(現行版)を採択しました。また開校2年目になると、各中高一貫校で公民教科書が採択されましたが、すべて扶桑社でした。
4年経ったので、二〇〇九年夏はまた新規採択の年ですが、2年後に新学習指導要領実施があるため、各社は現行教科書を継続使用し、新しい教科書は自由社の歴史教科書だけでした。
そのため、都教委としては、教科書が変わらない科目では4年前と同じ教科書を採択するという方針で臨みました。従って、公民分野では(従来から扶桑社の)学校は自動的に扶桑社。
◆ 歴史分野に一票のみ扶桑社以外が
一方、歴史分野と新規開設4校の全教科書、及び武蔵、立川国際2校の公民分野では投票が行われました。
投票結果は、興味深いことに、歴史も公民も一票だけ、扶桑社以外がありました。歴史は日本書籍新社、公民は教育出版。
しかし、討論はなんら行われず、都教委会議録によれば、木村委員長が多数決でいいですかと議事を進行し、「異議なし」ということで、扶桑社に決定しました。
4年前は6委員全員一致で扶桑社でした。
教育委員の投票は無記名ですが、常識的に考えて4年前に扶桑社と書いた委員は今回も同じでしよう。
前回と同じ委員は、木村孟委員長、高坂節三、内館牧子委員の3人。新たに委員となったのは、大原正行教育長と竹花豊、瀬古利彦委員の3人です。(退任したのは、中村正彦前教育長と鳥海巌、米長邦雄委員です。)
大原教育長は現行の扶桑社と考えると、他の二人のうちどちらかが扶桑社以外に投票したということになります。
なお、別表に示したように、各教科の教科書は各校でかなりバラつきがあります。
書写、地図、音楽、保健体育、技術などでは一致していますが、地図、音楽、技術などは2社、保健体育は3社と元々発行会社が少ないのです。
いわゆる「5教科」を見ると、国語5、数学7、理科5、英語6、地理6、歴史9、公民8と発行会社数が多く、各校での採択も分かれています。
歴史、公民の発行会社の多さを見ると、すべて扶桑社は異様です。
もっとも逆に考えると、同じ教育委員が選んでいながらどうしてバラけるのかもよく判りません。
各校ごとに作られる教科書調査資料は、調査項目が違っている場合もありますが、それでもはっきりとは各社の違いが判らない感じがします。教育委員の投票も3社位に分かれていることも多いのが実情です。しかし、そういう場合も議論は行わず多数の投票があった会社に決めています。
教育委員会の席上で全く議論が行われないのも異様で、再三再四「採択の理由を明らかに」という請願をしていますが、都教委は、「法令等の規定に基づき、採択権者の権限と責任において適性かつ公正に」採択したと答えるだけで、全く理由を答えていません。
◆ 横浜市の半分が自由社版を採択
ところで、今回は同じ藤岡信勝氏が著作権者である扶桑社、自由社の二社が争う異例の事態。
今回は全国的に前回と同じ採択が多いため、自由社の採択は一部私立以外ないと思われていましたが、なぜか横浜市の半分で採択されました。
この結果、歴史分野で自由社のシェアは1.1%。扶桑社は0.6%。公民分野の扶桑社は0.4%。
都教委は、全国的には極少数の異端の教科書をなぜ使うのか、相変わらず理由を示しません。
『白鴎有志の会 会報』(第7号 2010.3.30発行)考えよう!「教科書」問題
今、教育が民主主義が危ない!!
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『白鴎有志の会 会報』(第7号)より
◆ 都立中高一貫校、全部扶桑社
尾形修一(白26)
二〇〇九年夏に、中学の教科書採択が行われました。予想通り、社会科歴史分野の教科書は、新規開校4校を含む中高一貫校すべてで扶桑社となりました。
また、公民分野の教科書も、新規2校を含む6校すべてで扶桑社となりました。(公民分野は中学3年で使用するため、開設2年目に採択される。新規開設4校では採択なし。)
改めてこの間の経緯を振り返っておきます。
二〇〇四年八月、翌年4月開校の白鴎附属中の教科書採択があり、都教委は扶桑社の歴史教科書(旧版)を採択しました。扶桑社版教科書は、「新しい歴史教科書をつくる会」という右派グループが産経新聞の子会社から出版したものです。中学教科書は、4年間継続して使用されます。二〇〇五年は、その4年目の年だったため、旧版教科書は一年しか使用されませんでした。
二〇〇五年夏には、〇六年度から〇九年度に使用する教科書の採択が行われ、都教委は白鴎附属中のみならず、他の中高一貫校や特別支援学校で再び扶桑社歴史教科書(現行版)を採択しました。また開校2年目になると、各中高一貫校で公民教科書が採択されましたが、すべて扶桑社でした。
4年経ったので、二〇〇九年夏はまた新規採択の年ですが、2年後に新学習指導要領実施があるため、各社は現行教科書を継続使用し、新しい教科書は自由社の歴史教科書だけでした。
そのため、都教委としては、教科書が変わらない科目では4年前と同じ教科書を採択するという方針で臨みました。従って、公民分野では(従来から扶桑社の)学校は自動的に扶桑社。
◆ 歴史分野に一票のみ扶桑社以外が
一方、歴史分野と新規開設4校の全教科書、及び武蔵、立川国際2校の公民分野では投票が行われました。
投票結果は、興味深いことに、歴史も公民も一票だけ、扶桑社以外がありました。歴史は日本書籍新社、公民は教育出版。
しかし、討論はなんら行われず、都教委会議録によれば、木村委員長が多数決でいいですかと議事を進行し、「異議なし」ということで、扶桑社に決定しました。
4年前は6委員全員一致で扶桑社でした。
教育委員の投票は無記名ですが、常識的に考えて4年前に扶桑社と書いた委員は今回も同じでしよう。
前回と同じ委員は、木村孟委員長、高坂節三、内館牧子委員の3人。新たに委員となったのは、大原正行教育長と竹花豊、瀬古利彦委員の3人です。(退任したのは、中村正彦前教育長と鳥海巌、米長邦雄委員です。)
大原教育長は現行の扶桑社と考えると、他の二人のうちどちらかが扶桑社以外に投票したということになります。
なお、別表に示したように、各教科の教科書は各校でかなりバラつきがあります。
書写、地図、音楽、保健体育、技術などでは一致していますが、地図、音楽、技術などは2社、保健体育は3社と元々発行会社が少ないのです。
いわゆる「5教科」を見ると、国語5、数学7、理科5、英語6、地理6、歴史9、公民8と発行会社数が多く、各校での採択も分かれています。
歴史、公民の発行会社の多さを見ると、すべて扶桑社は異様です。
もっとも逆に考えると、同じ教育委員が選んでいながらどうしてバラけるのかもよく判りません。
各校ごとに作られる教科書調査資料は、調査項目が違っている場合もありますが、それでもはっきりとは各社の違いが判らない感じがします。教育委員の投票も3社位に分かれていることも多いのが実情です。しかし、そういう場合も議論は行わず多数の投票があった会社に決めています。
教育委員会の席上で全く議論が行われないのも異様で、再三再四「採択の理由を明らかに」という請願をしていますが、都教委は、「法令等の規定に基づき、採択権者の権限と責任において適性かつ公正に」採択したと答えるだけで、全く理由を答えていません。
◆ 横浜市の半分が自由社版を採択
ところで、今回は同じ藤岡信勝氏が著作権者である扶桑社、自由社の二社が争う異例の事態。
今回は全国的に前回と同じ採択が多いため、自由社の採択は一部私立以外ないと思われていましたが、なぜか横浜市の半分で採択されました。
この結果、歴史分野で自由社のシェアは1.1%。扶桑社は0.6%。公民分野の扶桑社は0.4%。
都教委は、全国的には極少数の異端の教科書をなぜ使うのか、相変わらず理由を示しません。
『白鴎有志の会 会報』(第7号 2010.3.30発行)考えよう!「教科書」問題