21世紀の日本では、ギロチンにこそかけられないものの、政府に批判的なビラの配布を警察・検察が逮捕・起訴しほとんどが有罪とされています。

3月29日、国公法弾圧堀越事件の堀越明男さんは東京高裁で逆転無罪の判決!

人権鎖国状態・人権後進国の日本においても、国民一人ひとりが自らの手で言論・表現の自由を手に入れる市民運動によって、言論・表現の自由をめぐる裁判でひとつの結果を出せたことを高く評価したい。

しかし、判決文の中では、警察と検察の犯罪である尾行や盗撮には一言も言及されず、堀越さんが受けた人権侵害に対して言及されていません。

首都東京や大阪の教育現場では、言論と思想弾圧の嵐が吹き荒れています。

高裁判決を、言論弾圧の流れを止めた一里塚としつつ、すべのビラ配布弾圧事件勝利と被害者の救済めざして、日本における言論・表現の自由を勝ち取るため、国の内外の人々とさらに連帯を広げていきましょう!

”言論弾圧の根はひとつ!”

映画:白バラの祈りは、当会が市民運動として、全てのビラ配布弾圧事件の支援の契機となった映画です。
自衛隊イラク派兵が強行されたあと、千葉県内の映画館で上映されており会のメンバーで鑑賞しました。

そのナチスドイツのビラ配布弾圧の本質を描いた映画が、毎日新聞の夕刊に”訪ねたい:銀幕有情 白バラの祈り(ドイツ・ミュンヘン)”掲載されていたので、転載します。





【 2010年3月29日 毎日新聞夕刊記事掲載 】

訪ねたい:銀幕有情 白バラの祈り(ドイツ・ミュンヘン)

 ◆白バラの祈り-ゾフィー・ショル、最期の日々

 ◇「自由」希求した抵抗
 厳重に閉ざされたいくつもの鉄格子の扉を通り、受刑者たちの生活棟を横切った。たどりついたのは、やはり鉄格子に守られた地下倉庫だった。鍵を開け、電球がともると、2部屋続きの小さな展示室が現れた。

 独ミュンヘンのシュターデルハイム刑務所内にルドルフ・ドラシュさん(60)ら3人の職員が仕事のかたわら開設した「世界で最も秘密に閉ざされた博物館」(地元紙)だ。

 ナチス政権は、ユダヤ人などのホロコースト(大虐殺)に加えて、多数の反体制思想の持ち主を刑事裁判で処刑にした。国家によるこうした殺人は「司法テロ」と呼ばれるが全容は不明だ。ドラシュさんは鍵のかかった戸棚から、古い身分証の束や整理カードの木箱を取り出した。この頭上に建っていた小屋でギロチンにかけられた、少なくとも1399人の所有物や処刑記録の一部だ。

 ナチスに対する抵抗運動組織「白バラ」で最初に処刑された3人のものもある。1943年2月22日、女子学生ゾフィー・ショル(当時21歳)は死刑判決を受けた後、午後1時45分に到着し、両親との面会を許された後、午後5時0分に断首された。処刑調書には「冷静で決然としていた。留置室を出てから処刑終了まで48秒」などとあった。

 刑務所での死刑は当時、ベルリン、フランクフルト、ミュンヘンの3カ所で実施された。だが、ほかにもゲシュタポ(ナチス秘密警察)の各州本部に同型のギロチンが配備されていた。マルク・ローテムント監督(41)はこの映画でウィーンのゲシュタポ本部にあった本物を使った。1200人の首を切ったものという。ギロチンが使われたのは、国民に恐怖を与える目的ではなく、速く簡単に処刑できるというのが理由だった。

 若き3人は、どのような思いで死に臨んだのだろうか。ミュンヘン大学の学生を核にした白バラ運動の地方支援グループ元メンバーで、ナチスが見せしめで開いた「人民裁判」の被告席に3人に続いて立ったフランツ・ミュラーさん(84)は「一瞬で過ぎ去る死刑を恐れたことはなかった。むしろ切実だったのは取り調べ中の空腹だ」と振り返る。史実調査に2年を費やしたローテムント監督の映画にも彼らの崇高な姿はにじむ。壁崩壊後に初めて旧東独秘密警察で見つかったゲシュタポの取り調べ調書が、映画には活用された。ゾフィーらの生の言葉を記す極めて貴重な史料だ。

 ナチスへの抵抗を支えたのは政治思想や宗教ではなく、彼らが日々論じ合っていた哲学者カントやフィヒテの「自由」の概念だった。彼らの理論的支柱だったミュンヘン大学のクルト・フーバー教授(哲学)も後に処刑されている。

 ゾフィーはゲシュタポの取調官に最初は容疑を否認したが、「自分のしたことを誇りに思う」と関与を認め、信念と世界観を語った。留置場では、起訴状の裏に飾り文字で「自由、自由」とペン書きしている。兄ハンスもギロチンにかけられる際「自由万歳」と叫んだ。

 「なぜナチスが台頭したか? 教育だよ。高等学校で4カ国語も学ばせる視野の広い教育をドイツが続けていれば、あんなことにならなかった」。白バラ財団名誉代表として歴史を語り継ぐミュラーさんにとって、戦間期のドイツが学問と教育をおろそかにした過ちが、仲間の死とともに苦い記憶であり続けている。【ミュンヘンで小谷守彦】

 ◇芸術家集まる地区も舞台

 映画の舞台は、ほとんどがミュンヘン中心部に集中している。ショル兄妹が反体制ビラをまいたミュンヘン大学、取り調べを受けたゲシュタポ本部「ウィッテルスバッハ宮殿」、人民裁判が行われた「司法宮殿」など。ゲシュタポ本部は空爆され、現在は州銀行社屋だが、大学と裁判所は当時の姿をとどめている。

 大学のあるシュバービング地区は、今も昔も芸術家が集まる華やかな場所だ。かつてショル兄妹のアパートや白バラの拠点があり、映画の製作関係者も多くがここに住む。俳優の自宅が打ち合わせに使われ、フィルムの編集もこの地区のアパートで行われている。

 ◇実話、神々しいまでに--06年公開

 反ナチス運動を展開した「白バラ」のゾフィー・ショルの逮捕から処刑までを描いた社会派の感動作。ゾフィー役のユリア・イェンチの演技は圧巻で、ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を、マルク・ローテムント監督も同監督賞を受賞した。

 43年2月、ゾフィーと兄ハンスらは大学内で反戦のビラをばらまき、逮捕される。無罪を主張するが、ゲシュタポの執拗(しつよう)な追及で、逮捕から5日間、1回の裁判・判決で即日死刑になる。

 序盤のビラをまくシーンのサスペンス調の映像に引き込まれ、ゾフィーとモーア取調官との無駄のない緊迫感あふれる尋問と主張の応酬に息をのんだ。90年代に見つかった史料を活用した実話の映画化で、人間の尊厳と信念を貫き通したゾフィーらの姿は神々しいまでに輝いている。2時間1分。05年作品。カルチュア・パブリッシャーズからDVD(税込み4935円)発売中。【鈴木隆】

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 「訪ねたい」は今回で終わります

【毎日新聞 2010年3月29日 東京夕刊