毎日新聞
戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で、治安維持法違反の有罪が確定し、再審で免訴判決を受けた元被告5人の遺族に対し、横浜地裁は4日、請求通り計約4700万円の刑事補償を支払う決定を出した。大島隆明裁判長は決定理由で「(治安維持法の廃止など)免訴の理由がなければ無罪の裁判を受けたことは明らか」としており、今回の決定は事実上の無罪判決といえる。さらに決定は「警察や検察、裁判の各機関の故意・過失は重大」と司法の責任にも言及した。
再審の免訴は、有罪無罪を判断せずに裁判を打ち切る判決で、元被告側は刑事補償手続きに「無罪」判断の願いを託していた。86年の第1次再審請求から元被告側が求めてきた名誉回復を一定程度果たす決定となった。最高裁は、免訴とされた元被告への刑事補償について「(過去の例は)把握していない」としている。
決定は、共産党再建の謀議をしたとの事件を「拷問による自白は信用できず、認定できない」と断じ、同法違反で地裁から有罪判決を受けた5人は、免訴の理由となった法の廃止と大赦がなければ無罪だったと判断した。
元被告側は、裁判所が冤罪(えんざい)を追認した「司法の過ち」も追及、決定は「拷問の事実を見過ごし公判に付した予審判事は少なくとも過失があり、拙速粗雑な事件処理をし、慎重な審理をしなかった裁判官にも過失があった」と述べた。元被告への謝罪はなかった。
訴えていたのは、1945年に有罪が確定し、08~09年の再審で免訴となった雑誌「改造」元編集者の故小野康人さんと、中央公論社の故木村亨さんら4人の計5人の遺族。逮捕(43~45年)から出所までの579~846日について「事件はでっち上げ。激しい拷問で虚偽の自白を強いられた」として09年4~5月、刑事補償法が定める上限の1日当たり1万2500円を請求していた。
刑事補償法は、免訴理由がなければ無罪と認められる免訴判決の場合、拘置日数などに応じて支払うと規定。確定後に無罪判断の決定要旨が官報などで公示されるため、小野さんの再審判決(09年)で大島裁判長は「一定程度は名誉回復を図れる」と刑事補償手続きに言及していた。新たな再審請求の予定はなく、横浜事件に関する司法判断はこれが最後となる見込み。【杉埜水脈】
◇
補償決定の対象者は次の皆さん(いずれも故人)。元改造社社員、小野康人さん(4次請求)▽同、小林英三郎さん▽元中央公論社社員、木村亨さん▽元政治経済研究会員、由田浩さん▽元満鉄東京支社、平舘利雄さん(いずれも3次請求)
【ことば】横浜事件
戦時下の1942年、雑誌「改造」に掲載された論文が共産主義の宣伝だとして、神奈川県警特高課などが治安維持法違反容疑で出版社社員ら約60人を逮捕し、4人が獄死した。横浜地裁は45年8~9月、約30人に共産党再建を謀議したと有罪判決を下す一方、判決文などを処分した。元被告と遺族らは86年に初めて再審請求。当初は「訴訟記録がない」などと棄却されたが、木村さんら5人の第3次請求で「拷問による虚偽の自白」などを理由に再審開始が認められた。再審公判は3次が08年3月に最高裁で、小野さんの4次が09年3月に地裁で、それぞれ免訴判決が確定した。
横浜事件:65年待った「答え」
遺族ら万感 実質無罪
刑事補償の決定を受け会見で「泊事件」関連の写真を手にする故小野康人さんの次男、新一さん(中央)と長女の斎藤信子さん(右)=横浜市中区で2010年2月4日午前10時10分、尾籠章裕撮影 半世紀を超す汚名が、ようやくすすがれた。横浜事件の元被告5人の刑事補償請求を認めた4日の横浜地裁決定。でっち上げの事件で有罪判決を受け、「犯人が被害者を裁いた裁判」と批判し、名誉回復を求めてきた元被告らの闘いがついに実を結んだ。1945年の有罪判決から65年、86年の第1次再審請求からは24年。遺志を継いだ家族らは「本当の答えをやっと国から得られた」と「無罪」の重みをかみしめた。
「本当に完ぺきです」。決定後、地裁を出た佐藤博史弁護士は興奮に声を震わせた。
横浜弁護士会館で会見した故小野康人さんの次男新一さん(63)と長女の斎藤信子さん(60)は、並んで座った弁護士から説明を受け、うなずいた。新一さんは「(ここまで)踏み込んで出るとは思わなかった」と満面の笑み。斎藤さんは「結果は確信していた。第1次(再審請求)で申し立てた方全員に聞いていただきたい」と、かみしめるように語った。
同席した大川隆司弁護士は「治安維持法によって〓罪(えんざい)がつくられ、その責任を司法関係者すべてが負うべきだと裁判所が表明した最初の決定」と意義付けた。補償金を使い、事件の記録集を作成するという。
公判中、元被告や弁護士らが次々と亡くなった。故木村亨さんの妻まきさん(60)らは神奈川県庁で会見し、神妙な面持ちで「うれしいけど複雑な気持ち」。再審が「無罪」ではなく「免訴」の判決だったことに、まきさんは「一区切りがついたとは到底思えない。事件が何だったのか、考え続けていきたい」と話した。今春、罪を晴らしたいとの思いを詠んだ亨さんの句碑を、お墓の脇に立てるという。
故小林英三郎さんの長男佳一郎さん(69)は「免訴は残念だったが、父の思いを胸に、これまで頑張ってきて良かった」と万感の思いを込めた。森川文人弁護士は「裁判所からは誠意ある回答をいただいた」と評価した。【池田知広、高橋直純】
◇解説 司法の自省 意義大きく
横浜事件の刑事補償請求に対する横浜地裁決定は「裁判官の過失」との表現で、冤罪に加担した司法の過ちを認めた点に最大の特徴がある。
決定は事件を、特高警察が拷問で虚偽の自白を強要した、でっち上げと指摘し「無罪」判断を示した。その上で請求通りの刑事補償を認める根拠として、拷問の事実を見過ごして起訴した検察官や十分な審理をせず即日判決を出した地裁の責任について「有罪判決は、特高警察の思い込みの捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した。各機関の故意・過失は重大」と断じた。
無罪判決を巡る国家賠償訴訟でも、捜査機関の過失を認めて賠償を命じることはあっても、司法の責任まで認める例はまずない。大島隆明裁判長は4次請求の再審開始決定(08年10月)で「裁判所側が訴訟記録を破棄した可能性が高い」などと司法の責任に触れていた。その延長線上に今回の判断もあると言えよう。
無罪判決が確実視される「足利事件」の再審公判が注目を集め、取り調べ全過程の録音・録画(可視化)が議論されている。虚偽自白による冤罪を防ぐ方途が今なお求められる中、戦時下という特殊性はあるが、検察側の主張を「追認」するだけでは、司法の役割を果たせないことを示した横浜地裁決定の意義は大きい。
また決定は、元被告らがみな故人となり遅すぎたとはいえ名誉回復をかなえた。第1次再審請求から24年間、元被告や遺族、弁護人らがあきらめることなく司法の扉をたたき続けた結果だ。【杉埜水脈】
◇「横浜事件」の主な経緯◇
1942年9月 「改造」論文の筆者、細川嘉六さん治安維持法違反容疑で逮捕
43~45年 同容疑で編集者ら約60人逮捕、横浜地裁はうち約30人に有罪判決
45年10月 治安維持法廃止。審理中の被告は免訴
47年4月 元被告らが拷問を受けたとして特高警官30人を告訴
52年4月 特別公務員暴行傷害罪で特高警官3人の実刑確定
86年7月 地裁に第1次再審請求(88年棄却)
91年3月 第1次で最高裁が元被告側の特別抗告を棄却
94年7月 第2次請求(96年棄却)
98年8月 第3次請求
2000年7月 第2次で最高裁が元被告側の特別抗告を棄却
02年3月 第4次請求
03年4月 第3次で地裁が再審開始決定
05年3月 第3次で東京高裁が検察側即時抗告を棄却、再審開始が確定
06年2月 第3次の再審公判で地裁が免訴判決
07年1月 第3次で2審・東京高裁も免訴判決
08年3月 第3次で最高裁が被告側上告を棄却し免訴判決が確定
10月 第4次で地裁が再審開始決定
09年3月 第4次の再審公判で地裁が免訴判決。控訴せず確定
4月 第4次に伴い刑事補償請求
5月 第3次に伴い刑事補償請求
10年2月 刑事補償を認める横浜地裁決定
戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で、治安維持法違反の有罪が確定し、再審で免訴判決を受けた元被告5人の遺族に対し、横浜地裁は4日、請求通り計約4700万円の刑事補償を支払う決定を出した。大島隆明裁判長は決定理由で「(治安維持法の廃止など)免訴の理由がなければ無罪の裁判を受けたことは明らか」としており、今回の決定は事実上の無罪判決といえる。さらに決定は「警察や検察、裁判の各機関の故意・過失は重大」と司法の責任にも言及した。
再審の免訴は、有罪無罪を判断せずに裁判を打ち切る判決で、元被告側は刑事補償手続きに「無罪」判断の願いを託していた。86年の第1次再審請求から元被告側が求めてきた名誉回復を一定程度果たす決定となった。最高裁は、免訴とされた元被告への刑事補償について「(過去の例は)把握していない」としている。
決定は、共産党再建の謀議をしたとの事件を「拷問による自白は信用できず、認定できない」と断じ、同法違反で地裁から有罪判決を受けた5人は、免訴の理由となった法の廃止と大赦がなければ無罪だったと判断した。
元被告側は、裁判所が冤罪(えんざい)を追認した「司法の過ち」も追及、決定は「拷問の事実を見過ごし公判に付した予審判事は少なくとも過失があり、拙速粗雑な事件処理をし、慎重な審理をしなかった裁判官にも過失があった」と述べた。元被告への謝罪はなかった。
訴えていたのは、1945年に有罪が確定し、08~09年の再審で免訴となった雑誌「改造」元編集者の故小野康人さんと、中央公論社の故木村亨さんら4人の計5人の遺族。逮捕(43~45年)から出所までの579~846日について「事件はでっち上げ。激しい拷問で虚偽の自白を強いられた」として09年4~5月、刑事補償法が定める上限の1日当たり1万2500円を請求していた。
刑事補償法は、免訴理由がなければ無罪と認められる免訴判決の場合、拘置日数などに応じて支払うと規定。確定後に無罪判断の決定要旨が官報などで公示されるため、小野さんの再審判決(09年)で大島裁判長は「一定程度は名誉回復を図れる」と刑事補償手続きに言及していた。新たな再審請求の予定はなく、横浜事件に関する司法判断はこれが最後となる見込み。【杉埜水脈】
◇
補償決定の対象者は次の皆さん(いずれも故人)。元改造社社員、小野康人さん(4次請求)▽同、小林英三郎さん▽元中央公論社社員、木村亨さん▽元政治経済研究会員、由田浩さん▽元満鉄東京支社、平舘利雄さん(いずれも3次請求)
【ことば】横浜事件
戦時下の1942年、雑誌「改造」に掲載された論文が共産主義の宣伝だとして、神奈川県警特高課などが治安維持法違反容疑で出版社社員ら約60人を逮捕し、4人が獄死した。横浜地裁は45年8~9月、約30人に共産党再建を謀議したと有罪判決を下す一方、判決文などを処分した。元被告と遺族らは86年に初めて再審請求。当初は「訴訟記録がない」などと棄却されたが、木村さんら5人の第3次請求で「拷問による虚偽の自白」などを理由に再審開始が認められた。再審公判は3次が08年3月に最高裁で、小野さんの4次が09年3月に地裁で、それぞれ免訴判決が確定した。
横浜事件:65年待った「答え」
遺族ら万感 実質無罪
刑事補償の決定を受け会見で「泊事件」関連の写真を手にする故小野康人さんの次男、新一さん(中央)と長女の斎藤信子さん(右)=横浜市中区で2010年2月4日午前10時10分、尾籠章裕撮影 半世紀を超す汚名が、ようやくすすがれた。横浜事件の元被告5人の刑事補償請求を認めた4日の横浜地裁決定。でっち上げの事件で有罪判決を受け、「犯人が被害者を裁いた裁判」と批判し、名誉回復を求めてきた元被告らの闘いがついに実を結んだ。1945年の有罪判決から65年、86年の第1次再審請求からは24年。遺志を継いだ家族らは「本当の答えをやっと国から得られた」と「無罪」の重みをかみしめた。
「本当に完ぺきです」。決定後、地裁を出た佐藤博史弁護士は興奮に声を震わせた。
横浜弁護士会館で会見した故小野康人さんの次男新一さん(63)と長女の斎藤信子さん(60)は、並んで座った弁護士から説明を受け、うなずいた。新一さんは「(ここまで)踏み込んで出るとは思わなかった」と満面の笑み。斎藤さんは「結果は確信していた。第1次(再審請求)で申し立てた方全員に聞いていただきたい」と、かみしめるように語った。
同席した大川隆司弁護士は「治安維持法によって〓罪(えんざい)がつくられ、その責任を司法関係者すべてが負うべきだと裁判所が表明した最初の決定」と意義付けた。補償金を使い、事件の記録集を作成するという。
公判中、元被告や弁護士らが次々と亡くなった。故木村亨さんの妻まきさん(60)らは神奈川県庁で会見し、神妙な面持ちで「うれしいけど複雑な気持ち」。再審が「無罪」ではなく「免訴」の判決だったことに、まきさんは「一区切りがついたとは到底思えない。事件が何だったのか、考え続けていきたい」と話した。今春、罪を晴らしたいとの思いを詠んだ亨さんの句碑を、お墓の脇に立てるという。
故小林英三郎さんの長男佳一郎さん(69)は「免訴は残念だったが、父の思いを胸に、これまで頑張ってきて良かった」と万感の思いを込めた。森川文人弁護士は「裁判所からは誠意ある回答をいただいた」と評価した。【池田知広、高橋直純】
◇解説 司法の自省 意義大きく
横浜事件の刑事補償請求に対する横浜地裁決定は「裁判官の過失」との表現で、冤罪に加担した司法の過ちを認めた点に最大の特徴がある。
決定は事件を、特高警察が拷問で虚偽の自白を強要した、でっち上げと指摘し「無罪」判断を示した。その上で請求通りの刑事補償を認める根拠として、拷問の事実を見過ごして起訴した検察官や十分な審理をせず即日判決を出した地裁の責任について「有罪判決は、特高警察の思い込みの捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した。各機関の故意・過失は重大」と断じた。
無罪判決を巡る国家賠償訴訟でも、捜査機関の過失を認めて賠償を命じることはあっても、司法の責任まで認める例はまずない。大島隆明裁判長は4次請求の再審開始決定(08年10月)で「裁判所側が訴訟記録を破棄した可能性が高い」などと司法の責任に触れていた。その延長線上に今回の判断もあると言えよう。
無罪判決が確実視される「足利事件」の再審公判が注目を集め、取り調べ全過程の録音・録画(可視化)が議論されている。虚偽自白による冤罪を防ぐ方途が今なお求められる中、戦時下という特殊性はあるが、検察側の主張を「追認」するだけでは、司法の役割を果たせないことを示した横浜地裁決定の意義は大きい。
また決定は、元被告らがみな故人となり遅すぎたとはいえ名誉回復をかなえた。第1次再審請求から24年間、元被告や遺族、弁護人らがあきらめることなく司法の扉をたたき続けた結果だ。【杉埜水脈】
◇「横浜事件」の主な経緯◇
1942年9月 「改造」論文の筆者、細川嘉六さん治安維持法違反容疑で逮捕
43~45年 同容疑で編集者ら約60人逮捕、横浜地裁はうち約30人に有罪判決
45年10月 治安維持法廃止。審理中の被告は免訴
47年4月 元被告らが拷問を受けたとして特高警官30人を告訴
52年4月 特別公務員暴行傷害罪で特高警官3人の実刑確定
86年7月 地裁に第1次再審請求(88年棄却)
91年3月 第1次で最高裁が元被告側の特別抗告を棄却
94年7月 第2次請求(96年棄却)
98年8月 第3次請求
2000年7月 第2次で最高裁が元被告側の特別抗告を棄却
02年3月 第4次請求
03年4月 第3次で地裁が再審開始決定
05年3月 第3次で東京高裁が検察側即時抗告を棄却、再審開始が確定
06年2月 第3次の再審公判で地裁が免訴判決
07年1月 第3次で2審・東京高裁も免訴判決
08年3月 第3次で最高裁が被告側上告を棄却し免訴判決が確定
10月 第4次で地裁が再審開始決定
09年3月 第4次の再審公判で地裁が免訴判決。控訴せず確定
4月 第4次に伴い刑事補償請求
5月 第3次に伴い刑事補償請求
10年2月 刑事補償を認める横浜地裁決定