■『政教分離』信念貫く 原告の谷内さん
戦時体験心に刻み『今後も闘う』
「最高裁は憲法を守った」。愛媛玉ぐし料訴訟判決以来の違憲判断。最高裁前で垂れ幕を掲げた原告の谷内栄さん(79)はそう語り、少しだけ笑顔を見せた。市有地の神社を明確に違憲と判断しつつも、「神社の撤去は現実的ではない」として審理のやり直しを命じた異例の判断に、「これからも闘う」と言葉に力を込めた。
原告の谷内さんの兄は戦時中、中国東北部に出征、二十四歳の若さで戦死した。敗戦後、母親が語った言葉が今も忘れられない。「兄さんは靖国神社にはいない。お母さんの胸の内に帰って来ている。戦争中には、そんなことは言えなかった。おまえは自分の善かれと思う道を進みなさい」
谷内さんも、戦地に向かう兵隊を万歳をして送り出した。神社を参拝し、カミソリで自分の指を切って「大和魂」と書く軍国少年だったという。十五歳の時、両親に内緒で予科練の試験を受け合格したが、出征前に敗戦を迎えた。
キリスト教との出合いが転機となった。「戦前、戦中にたたき込まれた国家神道とはまったく違う世界観があった」。十七歳で入信した。
苦学の末、三十一歳で中学校の英語教師に。「明治政府で植え付けられた教育、政策がいかに間違っていたか。新しい憲法の下で、子どもたちに植え直したかった」と語る。
空知太(そらちぶと)神社の問題にかかわるようになったのは、教員を退職した翌年の十八年前。市有地に神社が立っていることを知った谷内さんが市に公開質問状を出すと、市の総務部長と一緒に助役が谷内さん宅を訪ねてきた。助役は「谷内さんの言うことは分かる。少し時間がほしい」と説明した。ところが、市側はその後、五年間、何の対応も取らなかった。
谷内さんは二〇〇四年に提訴した。一審札幌地裁の裁判官が現地調査に訪れた際、敷地内にあったご神木が抜かれていたこともあった。「市側の対応は許せない」と谷内さんは語気を強める。
一緒に原告となった高橋政義さん(87)は、谷内さんの兄と一緒に出征。戦犯として中国の刑務所に入れられた経験を持つ。高橋さんは「人生を取り戻すために戦う」という思いで、訴訟に取り組んでいたという。
富平神社訴訟の提訴の前。二人は一週間かけて、腰まで雪に埋もれる中、神社の建物や鳥居、敷地面積などを巻き尺で測り、訴訟の資料として裁判所に提出した。
高橋さんは体調が悪く、この日の大法廷判決には姿を見せなかった。「おぶってでも来たかった」と話す谷内さんは、「判決は帰ってから伝えます」とほおを緩めた。
◆『まだ希望ある』原告側
「まだ捨てたもんじゃない。希望はあると考えている」
空知太神社訴訟の判決後、弁護団とともに都内で会見を開いた谷内さんがこう話すと、約五十人の支援者で埋まった会場からは大きな拍手がわいた。
「原判決を破棄する。札幌高裁に差し戻す」とした判決を、及第点の「六十五点」と評した谷内さん。判決文を読むにつれ「最高裁は憲法を葬ったわけじゃない。大事なところを生かした判決だ」と思ったという。
弁護団の評価は分かれた。「全国の公有地にある神社は違憲となり、その状態の解消を求められる。歴史的な意味がある」との声がある一方、「(砂川市に対し)待ってあげるから何とかしなさいと言ってるようなもの。異例の判決で、まるで政治家の判断」などと批判の声も上がった。
◆話し合い解決図る
菊谷勝利・砂川市長の話 違憲状態を解消するため、関係者と話し合って解決を図りたい。(鳥居などを)撤去するのが良いと思うが、それができなければ土地の売却が良いのか賃貸が良いのか、どういった方法なら理解が得られるのか、話し合っていきたい。
<憲法20条(信教の自由)>
(1)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない(2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されない(3)国およびその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
<憲法89条(公の財産の用途の制限)>
公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益もしくは維持のため、(中略)これを支出し、またはその利用に供してはならない。
<空知太神社訴訟>
別の国有地にあった神社のほこらが1948年、現在の場所(当時は私有地)に移設された。神社は町内会館と一体化した構造で、市の補助を受けて町内会が70年に建設。敷地は94年までに市有地化され、市は無償使用を認めてきた。原告の谷内栄さんと高橋政義さんが2004年3月に提訴。一審札幌地裁、二審札幌高裁判決は政教分離原則に反するとして、市が鳥居やほこらの撤去を求めないのは違法と判断した。
<富平神社訴訟>
私有地にあった神社を1922年に建て替えた際、住民が敷地を市に寄付。その後、市は神社の敷地として市有地の無償使用を認めてきた。谷内さんの監査請求を受けて、市は2005年、富平町内会を土地の所有権登記ができる「地縁団体」として認可し、土地を町内会に無償で譲渡した。谷内さんは同年6月に提訴。一、二審判決はいずれも合憲とした。譲渡後、町内会は年間約2万円の固定資産税を市に納めている。
『東京新聞』(2010年1月21日 朝刊【社会】)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010012102000049.html
戦時体験心に刻み『今後も闘う』
「最高裁は憲法を守った」。愛媛玉ぐし料訴訟判決以来の違憲判断。最高裁前で垂れ幕を掲げた原告の谷内栄さん(79)はそう語り、少しだけ笑顔を見せた。市有地の神社を明確に違憲と判断しつつも、「神社の撤去は現実的ではない」として審理のやり直しを命じた異例の判断に、「これからも闘う」と言葉に力を込めた。
原告の谷内さんの兄は戦時中、中国東北部に出征、二十四歳の若さで戦死した。敗戦後、母親が語った言葉が今も忘れられない。「兄さんは靖国神社にはいない。お母さんの胸の内に帰って来ている。戦争中には、そんなことは言えなかった。おまえは自分の善かれと思う道を進みなさい」
谷内さんも、戦地に向かう兵隊を万歳をして送り出した。神社を参拝し、カミソリで自分の指を切って「大和魂」と書く軍国少年だったという。十五歳の時、両親に内緒で予科練の試験を受け合格したが、出征前に敗戦を迎えた。
キリスト教との出合いが転機となった。「戦前、戦中にたたき込まれた国家神道とはまったく違う世界観があった」。十七歳で入信した。
苦学の末、三十一歳で中学校の英語教師に。「明治政府で植え付けられた教育、政策がいかに間違っていたか。新しい憲法の下で、子どもたちに植え直したかった」と語る。
空知太(そらちぶと)神社の問題にかかわるようになったのは、教員を退職した翌年の十八年前。市有地に神社が立っていることを知った谷内さんが市に公開質問状を出すと、市の総務部長と一緒に助役が谷内さん宅を訪ねてきた。助役は「谷内さんの言うことは分かる。少し時間がほしい」と説明した。ところが、市側はその後、五年間、何の対応も取らなかった。
谷内さんは二〇〇四年に提訴した。一審札幌地裁の裁判官が現地調査に訪れた際、敷地内にあったご神木が抜かれていたこともあった。「市側の対応は許せない」と谷内さんは語気を強める。
一緒に原告となった高橋政義さん(87)は、谷内さんの兄と一緒に出征。戦犯として中国の刑務所に入れられた経験を持つ。高橋さんは「人生を取り戻すために戦う」という思いで、訴訟に取り組んでいたという。
富平神社訴訟の提訴の前。二人は一週間かけて、腰まで雪に埋もれる中、神社の建物や鳥居、敷地面積などを巻き尺で測り、訴訟の資料として裁判所に提出した。
高橋さんは体調が悪く、この日の大法廷判決には姿を見せなかった。「おぶってでも来たかった」と話す谷内さんは、「判決は帰ってから伝えます」とほおを緩めた。
◆『まだ希望ある』原告側
「まだ捨てたもんじゃない。希望はあると考えている」
空知太神社訴訟の判決後、弁護団とともに都内で会見を開いた谷内さんがこう話すと、約五十人の支援者で埋まった会場からは大きな拍手がわいた。
「原判決を破棄する。札幌高裁に差し戻す」とした判決を、及第点の「六十五点」と評した谷内さん。判決文を読むにつれ「最高裁は憲法を葬ったわけじゃない。大事なところを生かした判決だ」と思ったという。
弁護団の評価は分かれた。「全国の公有地にある神社は違憲となり、その状態の解消を求められる。歴史的な意味がある」との声がある一方、「(砂川市に対し)待ってあげるから何とかしなさいと言ってるようなもの。異例の判決で、まるで政治家の判断」などと批判の声も上がった。
◆話し合い解決図る
菊谷勝利・砂川市長の話 違憲状態を解消するため、関係者と話し合って解決を図りたい。(鳥居などを)撤去するのが良いと思うが、それができなければ土地の売却が良いのか賃貸が良いのか、どういった方法なら理解が得られるのか、話し合っていきたい。
<憲法20条(信教の自由)>
(1)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない(2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されない(3)国およびその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
<憲法89条(公の財産の用途の制限)>
公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益もしくは維持のため、(中略)これを支出し、またはその利用に供してはならない。
<空知太神社訴訟>
別の国有地にあった神社のほこらが1948年、現在の場所(当時は私有地)に移設された。神社は町内会館と一体化した構造で、市の補助を受けて町内会が70年に建設。敷地は94年までに市有地化され、市は無償使用を認めてきた。原告の谷内栄さんと高橋政義さんが2004年3月に提訴。一審札幌地裁、二審札幌高裁判決は政教分離原則に反するとして、市が鳥居やほこらの撤去を求めないのは違法と判断した。
<富平神社訴訟>
私有地にあった神社を1922年に建て替えた際、住民が敷地を市に寄付。その後、市は神社の敷地として市有地の無償使用を認めてきた。谷内さんの監査請求を受けて、市は2005年、富平町内会を土地の所有権登記ができる「地縁団体」として認可し、土地を町内会に無償で譲渡した。谷内さんは同年6月に提訴。一、二審判決はいずれも合憲とした。譲渡後、町内会は年間約2万円の固定資産税を市に納めている。
『東京新聞』(2010年1月21日 朝刊【社会】)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010012102000049.html