■ 子どもとともに生きようと決めて、教職を選んだ有為の人びとを抑うつ状態にするのは、個人の素質ではなく、個人にかかる理不尽な力である。
■東京都立高校の先生たちの面接を終え、もう一度、人はいかにして教師になるのか、世の親たちに知ってほしいと思うようになった。
■(教育行政)によって教師が抑圧され、心身ともに苦しんでいる。この社会問題への関与は、精神病理学と社会精神医学の課題である。
「はじめに~教師への信頼を取り戻す」から
(略) 私は予防訴訟において「君が代」強制の一連の教育行政が教師たちの精神にどのような影響をもたらしているか、精神医学的意見書の作成を求められ、東京地裁に提出。
(略)
続いて二〇〇八年六月、私は、東京都の「懲戒処分取消等請求事件」弁護団(担当、澤藤統一郎、白井剣、平松真二郎弁護士ら)より、東京都における「日の丸・君が代」の強制に関連した懲戒処分が、教師たちの精神状態や職業倫理にどのような影響をもたらしているか、精神医学的見地からの診察意見書を求められた。そこで私は四日間にわたって上京し、その日に都合のついた(とくに選んだわけではない)十三人の原告を面接し、意見書を作成、二〇〇九年二月十八日、東京地裁で証言した。本書は、この意見書を編集したものである。
広島県東部、県立世羅高等学校の石川敏浩校長が、広島県教育委員会の辰野裕一教育長に「君が代」斉唱実施を執拗に強制され、自殺したのは一九九九年二月であった。石川校長の自殺について、のちに私ぱ検証にあたった。以来、理不尽な命令教育行政に苦しむ多数の先生の話を聞き、面接、調査して意見書を書くようになった。
自殺した教師遺族の相談助言も少なくない。広島県尾道市における民間人校長、慶徳和宏さんの自殺についても、広島県教職員組合より調査を求められ、直後より真相究明にあたった。のちに石川校長も、慶徳校長も、公務災害が認められている。
さらに、東京都の増田都子さん(中学、社会科教師)、福岡陽子さん(音楽)、佐藤美和子さん(音楽)、根津公子さん(家庭)、河原井純子さん(養護)、そして予防訴訟と処分取消の集団訴訟について、私ぱ精神医学的意見書を作成してきた。すでに十年、ここまで教育問題にかかわるとは、当初思いもよらなかったことである。
政治(教育行政)によって教師が抑圧され、心身ともに苦しんでいる。この社会問題への関与は、精神病理学と社会精神医学の課題である。ペイシェント(耐え忍ぶ人)とは個人として苦しんでいる人だけでなく、その社会において苦しんでいる人である。個人の苦しみを分析していても、社会病理は見えてくる。ましてや、訪ねてくるペイシェントを診察室で待つことから一歩踏みだし、出かけていって社会のなかで人間を抑圧するものを調べれば、それまで矮小化されていた問題がはっきり見えくる。子どもとともに生きようと決めて、教職を選んだ有為の人びとを抑うつ状態にするのは、個人の素質ではなく、個人にかかる理不尽な力である。こうしてこの十年間、頼まれるままに、「日の丸」「君が代」強制によって苦しむ教師たちの精神医学にかかわってきた。
(略)
しかし東京都立高校の先生たちの面接を終え、もう一度、人はいかにして教師になるのか、世の親たちに知ってほしいと思うようになった。
戦後の日本では、教師を否定的に評価する言説が一般化している。教育勅語を廃止された保守支配層が、妄執をいだいて教師および日教組を攻撃してぎた。高度経済成長が止まると、人びとの不満のはけ口、公然と悪口を言える対象として、教師および日教組は使われてきた。支配層が貧しい庶民を騙し、怒りを政府に向けさせないための装置とされてきた。先の衆議院議員選挙でも、あいかわらず自民党は新聞の一面広告で、「日本を壊すな」として「偏った教育の日教組に、子供たちの将来を任せてはいけない」と叫んでいた。
教育政策は政府・文科省が出すのであり、教職員組合が「偏った教育」をおこなえるわけがない。「子供たちの将来を任せ」られることも、制度上ありえない。こうして最後まで意味不明の罵声を残して、自民党は潰えていった。(略)
● 増えつづける病休者
文部科学省は、二〇〇七年度に公立学校教員の病気休職者が八千六十九人になり、十四年間連続で増えつづけていると発表した。そのうち精神疾患による休職者は四千九百九十五人、六一.九パーセントを占め、数・比率とも過去最高になっている。二〇〇一年度が二千五百三人だったので、この六年間で二倍になる(図1)。精神疾患の大多数はうつ病の病名となっている。
それに対し文科省は、①従来の指導が通用しなくなり自信を失う、②保護者との関係が変化し悩む--などを原因にあげる。教師が働く学校行政に責任をもたねばらならない文科省が、まったく無責任に、教師の精神状態に関し誤った素人解釈を流している。
問題は、はっきりしている。文科省が各県の教育委員会に実質上の命令をし--命令はしていない、指導をしているだけと言うが--、教育委員会は校長に命令し、教師たちの教育への意欲を奪ってきた。授業内容、学校行事すべてが、上からの命令で決められている。
東京都では二〇〇三年度から病気休職者数が急増に転じ、年々、増加しつづけている(図2)。二〇〇二年度は二百九十九人(うち精神疾患による休職者は百七十一人)であったものが、二〇〇七年度には六百二人(うち精神疾患によるものは四百十六人)となっている。
このわずか五年間に、教師の指導が突如として通用しなくなり、親たちが急変したのだ、と都教委は説明するのだろうか。また、都教委は二〇〇六年四月、職員会議で挙手や採決をしてはならないと通知した。ここまで細かく、教師の意見を無効化しておいて、どうして教育に意欲をもてばいいのか。
民間企業なら、これだけうつ状態の者が増えれば、人事部が管理職の職場運営能力を問うはずだ。管理職の重要な仕事は、職員の意欲を引きだし、職場を活気あるものにしていくことだから。ころころ変わる命令を出していれば、新しい製品が開発され、営業成績が上がると考える経営者はいない。だが、学校ではそうなっている。教育行政は働いている人間を支えるのではなく、壊している。教職員組合も、うつ状態の蔓延に十分な対策をしていない。
教師がこれほど病んで、まともな教育がおこなわれるはずがないのに、市民社会も現実を見ようとしない。まず休職者および学校の事例研究をおこない、教育行政を見直すべきである。
『教師は二度教師になる』〔Amazon リンク〕
■東京都立高校の先生たちの面接を終え、もう一度、人はいかにして教師になるのか、世の親たちに知ってほしいと思うようになった。
■(教育行政)によって教師が抑圧され、心身ともに苦しんでいる。この社会問題への関与は、精神病理学と社会精神医学の課題である。
「はじめに~教師への信頼を取り戻す」から
(略) 私は予防訴訟において「君が代」強制の一連の教育行政が教師たちの精神にどのような影響をもたらしているか、精神医学的意見書の作成を求められ、東京地裁に提出。
(略)
続いて二〇〇八年六月、私は、東京都の「懲戒処分取消等請求事件」弁護団(担当、澤藤統一郎、白井剣、平松真二郎弁護士ら)より、東京都における「日の丸・君が代」の強制に関連した懲戒処分が、教師たちの精神状態や職業倫理にどのような影響をもたらしているか、精神医学的見地からの診察意見書を求められた。そこで私は四日間にわたって上京し、その日に都合のついた(とくに選んだわけではない)十三人の原告を面接し、意見書を作成、二〇〇九年二月十八日、東京地裁で証言した。本書は、この意見書を編集したものである。
広島県東部、県立世羅高等学校の石川敏浩校長が、広島県教育委員会の辰野裕一教育長に「君が代」斉唱実施を執拗に強制され、自殺したのは一九九九年二月であった。石川校長の自殺について、のちに私ぱ検証にあたった。以来、理不尽な命令教育行政に苦しむ多数の先生の話を聞き、面接、調査して意見書を書くようになった。
自殺した教師遺族の相談助言も少なくない。広島県尾道市における民間人校長、慶徳和宏さんの自殺についても、広島県教職員組合より調査を求められ、直後より真相究明にあたった。のちに石川校長も、慶徳校長も、公務災害が認められている。
さらに、東京都の増田都子さん(中学、社会科教師)、福岡陽子さん(音楽)、佐藤美和子さん(音楽)、根津公子さん(家庭)、河原井純子さん(養護)、そして予防訴訟と処分取消の集団訴訟について、私ぱ精神医学的意見書を作成してきた。すでに十年、ここまで教育問題にかかわるとは、当初思いもよらなかったことである。
政治(教育行政)によって教師が抑圧され、心身ともに苦しんでいる。この社会問題への関与は、精神病理学と社会精神医学の課題である。ペイシェント(耐え忍ぶ人)とは個人として苦しんでいる人だけでなく、その社会において苦しんでいる人である。個人の苦しみを分析していても、社会病理は見えてくる。ましてや、訪ねてくるペイシェントを診察室で待つことから一歩踏みだし、出かけていって社会のなかで人間を抑圧するものを調べれば、それまで矮小化されていた問題がはっきり見えくる。子どもとともに生きようと決めて、教職を選んだ有為の人びとを抑うつ状態にするのは、個人の素質ではなく、個人にかかる理不尽な力である。こうしてこの十年間、頼まれるままに、「日の丸」「君が代」強制によって苦しむ教師たちの精神医学にかかわってきた。
(略)
しかし東京都立高校の先生たちの面接を終え、もう一度、人はいかにして教師になるのか、世の親たちに知ってほしいと思うようになった。
戦後の日本では、教師を否定的に評価する言説が一般化している。教育勅語を廃止された保守支配層が、妄執をいだいて教師および日教組を攻撃してぎた。高度経済成長が止まると、人びとの不満のはけ口、公然と悪口を言える対象として、教師および日教組は使われてきた。支配層が貧しい庶民を騙し、怒りを政府に向けさせないための装置とされてきた。先の衆議院議員選挙でも、あいかわらず自民党は新聞の一面広告で、「日本を壊すな」として「偏った教育の日教組に、子供たちの将来を任せてはいけない」と叫んでいた。
教育政策は政府・文科省が出すのであり、教職員組合が「偏った教育」をおこなえるわけがない。「子供たちの将来を任せ」られることも、制度上ありえない。こうして最後まで意味不明の罵声を残して、自民党は潰えていった。(略)
● 増えつづける病休者
文部科学省は、二〇〇七年度に公立学校教員の病気休職者が八千六十九人になり、十四年間連続で増えつづけていると発表した。そのうち精神疾患による休職者は四千九百九十五人、六一.九パーセントを占め、数・比率とも過去最高になっている。二〇〇一年度が二千五百三人だったので、この六年間で二倍になる(図1)。精神疾患の大多数はうつ病の病名となっている。
それに対し文科省は、①従来の指導が通用しなくなり自信を失う、②保護者との関係が変化し悩む--などを原因にあげる。教師が働く学校行政に責任をもたねばらならない文科省が、まったく無責任に、教師の精神状態に関し誤った素人解釈を流している。
問題は、はっきりしている。文科省が各県の教育委員会に実質上の命令をし--命令はしていない、指導をしているだけと言うが--、教育委員会は校長に命令し、教師たちの教育への意欲を奪ってきた。授業内容、学校行事すべてが、上からの命令で決められている。
東京都では二〇〇三年度から病気休職者数が急増に転じ、年々、増加しつづけている(図2)。二〇〇二年度は二百九十九人(うち精神疾患による休職者は百七十一人)であったものが、二〇〇七年度には六百二人(うち精神疾患によるものは四百十六人)となっている。
このわずか五年間に、教師の指導が突如として通用しなくなり、親たちが急変したのだ、と都教委は説明するのだろうか。また、都教委は二〇〇六年四月、職員会議で挙手や採決をしてはならないと通知した。ここまで細かく、教師の意見を無効化しておいて、どうして教育に意欲をもてばいいのか。
民間企業なら、これだけうつ状態の者が増えれば、人事部が管理職の職場運営能力を問うはずだ。管理職の重要な仕事は、職員の意欲を引きだし、職場を活気あるものにしていくことだから。ころころ変わる命令を出していれば、新しい製品が開発され、営業成績が上がると考える経営者はいない。だが、学校ではそうなっている。教育行政は働いている人間を支えるのではなく、壊している。教職員組合も、うつ状態の蔓延に十分な対策をしていない。
教師がこれほど病んで、まともな教育がおこなわれるはずがないのに、市民社会も現実を見ようとしない。まず休職者および学校の事例研究をおこない、教育行政を見直すべきである。
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