タキさん追悼小林多喜二:元恋人の田口タキさん死去…6月に102歳で
北海道小樽市ゆかりのプロレタリア作家、小林多喜二が生涯愛し続けた女性として知られる田口タキ(たぐち・たき)さんが6月19日、横浜市の自宅で亡くなっていたことが11日分かった。市立小樽文学館に親族から寄せられた連絡によると、102歳だった。死因は老衰とみられる。
タキさんは小樽市内の飲食店で働いていた1924(大正13)年、北海道拓殖銀行小樽支店に勤めていた多喜二と知り合った。多喜二はタキさんにひかれて交際を始め、一時は同居して生活。多喜二は結婚を望んでいたが、タキさんが身を引いたと伝えられる。多喜二は33(昭和8)年、特高警察の拷問を受けて29歳で亡くなり、タキさんは戦後、別の男性と結婚した。
多喜二はタキさんに何通もの恋文を書き、その中の「闇があるから光がある」との一節は有名。タキさんとの出会いを機に、貧困女性に焦点を当てた「瀧子もの」と呼ばれる数点の作品も残されている。【坂井友子】
毎日新聞 2009年12月11日 22時53分(最終更新 12月11日 23時23分)
「組曲虐殺」『小林多喜二の手紙』と、タキさんの存在をめぐっていろいろな考察があった折も折、という感じもする。時代が一つ完結し、これからその評価が本格的になされていく時がきたと思う。タキさんのご冥福を心からお祈りします。
<<Prof. Shima's Life and Opinion Shima教授の生活と意見。>>
大館市生まれの作家、小林多喜二が終生思いを寄せた女性、タキさん(旧姓田口)が、老衰のため今年6月19日に神奈川県内の介護老人施設で死去していたことが分かった。101歳だった。親族が10日、明らかにした。
タキさんは、北海道小樽市の料理屋で働いていた16歳のとき、当時銀行員で21歳の多喜二と出会った。多喜二は美ぼうのタキさんに引かれ、小樽や東京で一時期同居して結婚を望んだが、実現しなかった。弟妹たちの面倒を見なくてはいけないタキさんが身を引いた—と伝えられている。
エリート銀行員だった多喜二は、タキさんとの交流を通じて人間的にも文学的にも成長し、プロレタリア作家として社会変革を志すに至ったとされる。社会の底辺で生きる女性を主人公に、「瀧子(たきこ)もの」と呼ばれる数編の作品も残している。
多喜二は思想犯として逮捕され、29歳で死亡。タキさんは戦後になって事業家と結婚した。親族は「本人は平穏な晩年を送りました。幸福な一生だったのではないでしょうか」と語った。
先月出版された書簡集「小林多喜二の手紙」(岩波文庫)には、多喜二がタキさんにあてた恋文23通も収められている。
(秋田魁新報12/11)
北海道小樽市ゆかりのプロレタリア作家、小林多喜二が生涯愛し続けた女性として知られる田口タキ(たぐち・たき)さんが6月19日、横浜市の自宅で亡くなっていたことが11日分かった。市立小樽文学館に親族から寄せられた連絡によると、102歳だった。死因は老衰とみられる。
タキさんは小樽市内の飲食店で働いていた1924(大正13)年、北海道拓殖銀行小樽支店に勤めていた多喜二と知り合った。多喜二はタキさんにひかれて交際を始め、一時は同居して生活。多喜二は結婚を望んでいたが、タキさんが身を引いたと伝えられる。多喜二は33(昭和8)年、特高警察の拷問を受けて29歳で亡くなり、タキさんは戦後、別の男性と結婚した。
多喜二はタキさんに何通もの恋文を書き、その中の「闇があるから光がある」との一節は有名。タキさんとの出会いを機に、貧困女性に焦点を当てた「瀧子もの」と呼ばれる数点の作品も残されている。【坂井友子】
毎日新聞 2009年12月11日 22時53分(最終更新 12月11日 23時23分)
「組曲虐殺」『小林多喜二の手紙』と、タキさんの存在をめぐっていろいろな考察があった折も折、という感じもする。時代が一つ完結し、これからその評価が本格的になされていく時がきたと思う。タキさんのご冥福を心からお祈りします。
<<Prof. Shima's Life and Opinion Shima教授の生活と意見。>>
大館市生まれの作家、小林多喜二が終生思いを寄せた女性、タキさん(旧姓田口)が、老衰のため今年6月19日に神奈川県内の介護老人施設で死去していたことが分かった。101歳だった。親族が10日、明らかにした。
タキさんは、北海道小樽市の料理屋で働いていた16歳のとき、当時銀行員で21歳の多喜二と出会った。多喜二は美ぼうのタキさんに引かれ、小樽や東京で一時期同居して結婚を望んだが、実現しなかった。弟妹たちの面倒を見なくてはいけないタキさんが身を引いた—と伝えられている。
エリート銀行員だった多喜二は、タキさんとの交流を通じて人間的にも文学的にも成長し、プロレタリア作家として社会変革を志すに至ったとされる。社会の底辺で生きる女性を主人公に、「瀧子(たきこ)もの」と呼ばれる数編の作品も残している。
多喜二は思想犯として逮捕され、29歳で死亡。タキさんは戦後になって事業家と結婚した。親族は「本人は平穏な晩年を送りました。幸福な一生だったのではないでしょうか」と語った。
先月出版された書簡集「小林多喜二の手紙」(岩波文庫)には、多喜二がタキさんにあてた恋文23通も収められている。
(秋田魁新報12/11)