< Prof. Shima's Life and Opinion
Shima教授の生活と意見。より >
『21世紀経済報道』:酒井法子事件と日本総選挙の動向【その1のつづき】
【クリントン元大統領の北朝鮮訪問と「政権交代」】
今年はもう一つ、例年の8月とは違った大きな出来事があったことを忘れるわけにはいかない。それは8月4日のビル・クリントン元アメリカ合衆国大統領の北朝鮮への電撃的な訪問である。
クリントンの訪朝の直接の目的は、3月17日に北朝鮮に拘束かれた二人の女性記者の「恩赦」による解放を実現するためのものとされている。しかし、この訪問にクリントンを指名したのは北朝鮮の側からだったという。そこにはある重要な歴史的経緯があった。アメリカ合衆国大統領の経験者が北朝鮮を訪問し、最高指導者と会見するのは、94年6月、カーター元大統領が当時の金日成国家主席と会談して以来のことである。この事実は各メディアによって報道されたが、この二度の元大統領の訪朝の因果関係について触れたメディアは一つもなかったといってよい。実はカーター元大統領を北朝鮮に派遣した当時のアメリカ大統領こそ、ビル・クリントンその人だったのである。その背景には、1991年のソ連崩壊以来、「核の傘によって日本を守る」という日米安保条約の枠組みが成り立たなくなり、新たな仮想敵国として北朝鮮を位置づけるという、当時のアメリカの戦略があった。
ソ連の崩壊により安価なエネルギーの供給源を失った金日成政権は原子力発電の開発を始めていた。これをクリントン政権が朝鮮戦争休戦協定違反と決めつけ、それに対して北朝鮮がNPT(核兵器不拡散条約)からの脱退を表明、朝鮮半島をめぐる東アジアの情勢は、一触即発の危機的状況に陥ったのである。
このとき日本は、7党8会派の寄り合いからなる細川護煕政権だった。クリントン政権はこの細川政権に、朝鮮半島有事に備えた一千項目を超える軍事要求をつきつけ、これを断った細川首相は94年4月に辞任することになった。その後の短期の羽田政権を経て、村山富一政権下で、自民党と連立した社会党が「自衛隊合憲」「日米安保体制堅持」に路線転換することも、この事態と深くかかわっていた。
その後もクリントン政権は第二次朝鮮戦争を視野に入れた東アジア工作を続けていくが、結局韓国の決定的な同意を得られず、94年6月にカーター元大統領を特使として送り、のち10月に締結されることになる「米朝枠組み合意」の路線を敷くことによって、戦争の危機を脱する方向へと転じた。だがこの会談の直後7月に金日成主席が死去、この「枠組み合意」自体が十分に果たされぬまま2001年に発足したブッシュ(子)政権は「合意」自体を無視する政策を取ったため、金正日政権は父・金日成政権が行ったと同様の、「核開発」をテーマとする揺さぶりをかけてきた、というのが、この動きの背景にある事態だといってよい。ここからは二つの教訓を引き出すことができそうだ。
一つ目は、ビル・クリントンの朝鮮訪問が、この間のアメリカ合衆国の北朝鮮政策(クリントン本人、およびブッシュ(子)政権時代を含む)に関わった当事者として事態を総括し、暗礁に乗り上げている北朝鮮のエネルギー開発、「核開発」をめぐる「6者協議」を再び正常化の道に引き戻す土台を築くためになされたと見るべきものだということである。現大統領のオバマと選挙戦で激しい争いを繰り広げたのは、ビル・クリントンの妻であるヒラリーであり、同じ民主党とはいっても支持基盤・選出基盤を異にする彼女を、外交の中枢である国務長官に据えることで、オバマ政権が出発したことは周知のことだ。ヒラリーが代表する外交路線とオバマの政治理念との間に、小さくない軋轢があることも、この間のアメリカ合衆国の外交的振舞を注意深く観察していれば看て取ることは容易である。今回のビル・クリントンの朝鮮訪問にあっては、そうした二つの路線の対立の中にあって、あえてかつての米朝関係緊張事態の当事者であったクリントンを派遣することで、自らの主導する路線を有利に導こうとするオバマ大統領陣営の戦略がうかがわれる。
プラハ演説が行われたのは、北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射実験がおこなわれたその日である。オバマ大統領は発射実験を批判しつつ、なお「核兵器廃絶」を訴えたのだった。クリントンの北朝鮮への派遣は、いわばこのプラハ演説の実質に対して呈された疑問への、実践としての回答となっている。両者は無論密接に関係しているのである。
二つ目の教訓は、来たるべき総選挙を通じての日本の「政権選択」の問題である。先に触れたように、93年から94年にかけての日本は細川政権の下にあった。この政権は寄り合い所帯ではあったが「非自民」であり、今回の総選挙が、日本のメディアがいうような「戦後初めての政権選択選挙」であるというのは事実に反している。この細川政権の誕生に当って大きな役割を果たしたのが、現・民主党の副代表である小沢一郎だった。その小沢一郎の持論は、アメリカへの軍事的協力のために自衛隊の海外派兵を可能にする、新たな対米従属路線の実現ということである。細川連立政権では、結局この路線に引き込むことはできなかったが、この間、日本政界の離合集散の軸となりながら、小沢が一貫して目指してきたものこそ、この対米従属の新たな段階への踏み込みであったことは、十分に注意されるべきことである。今回の総選挙をめぐっての、隠された最大の争点がここにあることを見落としてはならない。
【「政権交代」と民主党中心の政権の性格】
18日に公示、30日に投票となる今回の総選挙をめぐっての情勢は、現政権の中心である自民党は惨敗、現在野党である民主党が300議席近くを取り、単独で安定過半数を占めるものの、国民新党、社民党などを加えた連立政権を組む可能性が高いのではないかと分析されている。安倍、福田、麻生と続く、当事者能力を欠いた内閣による政治には、さすがの日本国民も嫌気がさし、「政権交代」への潮流はもはや押しとどめることができないところまで来ているというのが現状であろう。解散・総選挙が日程に上るようになってから、少しでも有利な状況で選挙を闘おうとした権力側のさまざまな工作も、この流れを変えることはできなかった。
問題はこの選挙の後にできるであろう、民主党を中心とする政権の性格である。現・代表の鳩山由紀夫、前代表であり現・副代表である小沢一郎は、いずれもかつて自民党の中にいた人物たちであり、その意味で現在の民主党を率いている政治潮流は、決して「新しい」ものではないということに、改めて注意しておく必要がある。それどころか、すでに述べたように小沢一郎はアメリカの軍事戦略の下に、日本が一体となって行動ができるような軍事同盟の一層の深化に執念を燃やす人物であり、鳩山由紀夫の祖父は、それこそ1950年代に、自衛隊を軍隊にする日本国憲法改「悪」を任務とする「保守合同」の立役者となって、自民党の初代総裁となった人物であったことを忘れてはならない。いわば現在の民主党の執行部は、戦後日本の対米従属の歴史の、もっとも危険な側面を代表する人物たちが占めているのである。
オバマ大統領が提唱する「核兵器廃絶」への動きにいちはやく懸念を表明し、反対の動きを示しているのが現・麻生首相とその内閣であるとしても、それに代わることになるであろう鳩山・民主党政権が、この問題に関して積極的な役割を果たすようになるとは、現状からは到底思えないことがおわかりであろう。対米軍事同盟の継続・強化という点に限っていえば、アジアの平和主義的外交が基軸になるとか、核兵器の廃絶への国内外の世論が盛り上がるとかといった状況の中で選挙が行われない限りは、本当の権力の中枢である日米の産軍官複合体にとって、表面的な「政権交代」は脅威ではないのである。これをみれば、その「政権交代選挙」の月に設定されたこの8月の報道が、これまで述べてきた重大な問題のすべてを後景に追いやるようにして、酒井法子事件を巡る言説に占拠されてきたことが、体制にとってどれほど好都合にはたらいているかが、はっきりと理解されるだろう。
もちろん民主党のすべてが、対米従属路線の危険な勢力ばかりであるというわけではない。民主党という政党自体が、さまざまな傾向と支持母体を持つ勢力の寄り合いであり、時々の情勢によって、左右に大きくぶれる性格を持っていることは、これまでのこの党の歴史がはっきりと物語っている。今回の総選挙に当っての総政策(「マニフェスト」)ですら、党内でのはっきりした意見の一致を見ず、批判を受けて場当たり的に修正を繰り返している体たらくである。だが逆にいえば、そうしたプレを含むからこそ、まともな方向への振幅もあると、希望的に考えることも許されるだろう。
酒井法子は日中文化・スポーツ交流親善大使に選ばれた当時、「文化親善大使に選ばれ、この上なく光栄でうれしく思っております。日本、中国両国の文化やスポーツ交流を盛り上げ、日本の新たなイメージのために微力ながら務めていきたい」、「日中両国民の、特に未来を背負う若い人たちが、文化、スポーツの分野で交流を通じて、互いへの興味を持ち、理解や信頼を深めてほしい」などと語っていた。事件を通じて酒井とともに、彼女が象徴していた日本へのイメージも少なからず損なわれたに違いないことは残念である。
いま、将来に亘って東アジアの平和外交と核兵器の廃絶の路線を歩むかどうかを改めて自らに問い、それをこの総選挙後の政権の中身についての最大の争点として押し出し、それに基づいた判断を、投票行動を通じて示すことこそ、この事件報道の目くらましを乗り越えて、日本国民が東アジア、そして世界に対して示す歴史的な回答となるであろう。その現実化を強く希望する。
島村 輝:1957年東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了。現在フェリス女学院大学(日本)教授。専攻は日本近現代文学、芸術表象論。中国語『漫画版・蟹工船』解説(人民文学出版社、2009)他著書多数。
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『21世紀経済報道』:酒井法子事件と日本総選挙の動向【その1のつづき】
【クリントン元大統領の北朝鮮訪問と「政権交代」】
今年はもう一つ、例年の8月とは違った大きな出来事があったことを忘れるわけにはいかない。それは8月4日のビル・クリントン元アメリカ合衆国大統領の北朝鮮への電撃的な訪問である。
クリントンの訪朝の直接の目的は、3月17日に北朝鮮に拘束かれた二人の女性記者の「恩赦」による解放を実現するためのものとされている。しかし、この訪問にクリントンを指名したのは北朝鮮の側からだったという。そこにはある重要な歴史的経緯があった。アメリカ合衆国大統領の経験者が北朝鮮を訪問し、最高指導者と会見するのは、94年6月、カーター元大統領が当時の金日成国家主席と会談して以来のことである。この事実は各メディアによって報道されたが、この二度の元大統領の訪朝の因果関係について触れたメディアは一つもなかったといってよい。実はカーター元大統領を北朝鮮に派遣した当時のアメリカ大統領こそ、ビル・クリントンその人だったのである。その背景には、1991年のソ連崩壊以来、「核の傘によって日本を守る」という日米安保条約の枠組みが成り立たなくなり、新たな仮想敵国として北朝鮮を位置づけるという、当時のアメリカの戦略があった。
ソ連の崩壊により安価なエネルギーの供給源を失った金日成政権は原子力発電の開発を始めていた。これをクリントン政権が朝鮮戦争休戦協定違反と決めつけ、それに対して北朝鮮がNPT(核兵器不拡散条約)からの脱退を表明、朝鮮半島をめぐる東アジアの情勢は、一触即発の危機的状況に陥ったのである。
このとき日本は、7党8会派の寄り合いからなる細川護煕政権だった。クリントン政権はこの細川政権に、朝鮮半島有事に備えた一千項目を超える軍事要求をつきつけ、これを断った細川首相は94年4月に辞任することになった。その後の短期の羽田政権を経て、村山富一政権下で、自民党と連立した社会党が「自衛隊合憲」「日米安保体制堅持」に路線転換することも、この事態と深くかかわっていた。
その後もクリントン政権は第二次朝鮮戦争を視野に入れた東アジア工作を続けていくが、結局韓国の決定的な同意を得られず、94年6月にカーター元大統領を特使として送り、のち10月に締結されることになる「米朝枠組み合意」の路線を敷くことによって、戦争の危機を脱する方向へと転じた。だがこの会談の直後7月に金日成主席が死去、この「枠組み合意」自体が十分に果たされぬまま2001年に発足したブッシュ(子)政権は「合意」自体を無視する政策を取ったため、金正日政権は父・金日成政権が行ったと同様の、「核開発」をテーマとする揺さぶりをかけてきた、というのが、この動きの背景にある事態だといってよい。ここからは二つの教訓を引き出すことができそうだ。
一つ目は、ビル・クリントンの朝鮮訪問が、この間のアメリカ合衆国の北朝鮮政策(クリントン本人、およびブッシュ(子)政権時代を含む)に関わった当事者として事態を総括し、暗礁に乗り上げている北朝鮮のエネルギー開発、「核開発」をめぐる「6者協議」を再び正常化の道に引き戻す土台を築くためになされたと見るべきものだということである。現大統領のオバマと選挙戦で激しい争いを繰り広げたのは、ビル・クリントンの妻であるヒラリーであり、同じ民主党とはいっても支持基盤・選出基盤を異にする彼女を、外交の中枢である国務長官に据えることで、オバマ政権が出発したことは周知のことだ。ヒラリーが代表する外交路線とオバマの政治理念との間に、小さくない軋轢があることも、この間のアメリカ合衆国の外交的振舞を注意深く観察していれば看て取ることは容易である。今回のビル・クリントンの朝鮮訪問にあっては、そうした二つの路線の対立の中にあって、あえてかつての米朝関係緊張事態の当事者であったクリントンを派遣することで、自らの主導する路線を有利に導こうとするオバマ大統領陣営の戦略がうかがわれる。
プラハ演説が行われたのは、北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射実験がおこなわれたその日である。オバマ大統領は発射実験を批判しつつ、なお「核兵器廃絶」を訴えたのだった。クリントンの北朝鮮への派遣は、いわばこのプラハ演説の実質に対して呈された疑問への、実践としての回答となっている。両者は無論密接に関係しているのである。
二つ目の教訓は、来たるべき総選挙を通じての日本の「政権選択」の問題である。先に触れたように、93年から94年にかけての日本は細川政権の下にあった。この政権は寄り合い所帯ではあったが「非自民」であり、今回の総選挙が、日本のメディアがいうような「戦後初めての政権選択選挙」であるというのは事実に反している。この細川政権の誕生に当って大きな役割を果たしたのが、現・民主党の副代表である小沢一郎だった。その小沢一郎の持論は、アメリカへの軍事的協力のために自衛隊の海外派兵を可能にする、新たな対米従属路線の実現ということである。細川連立政権では、結局この路線に引き込むことはできなかったが、この間、日本政界の離合集散の軸となりながら、小沢が一貫して目指してきたものこそ、この対米従属の新たな段階への踏み込みであったことは、十分に注意されるべきことである。今回の総選挙をめぐっての、隠された最大の争点がここにあることを見落としてはならない。
【「政権交代」と民主党中心の政権の性格】
18日に公示、30日に投票となる今回の総選挙をめぐっての情勢は、現政権の中心である自民党は惨敗、現在野党である民主党が300議席近くを取り、単独で安定過半数を占めるものの、国民新党、社民党などを加えた連立政権を組む可能性が高いのではないかと分析されている。安倍、福田、麻生と続く、当事者能力を欠いた内閣による政治には、さすがの日本国民も嫌気がさし、「政権交代」への潮流はもはや押しとどめることができないところまで来ているというのが現状であろう。解散・総選挙が日程に上るようになってから、少しでも有利な状況で選挙を闘おうとした権力側のさまざまな工作も、この流れを変えることはできなかった。
問題はこの選挙の後にできるであろう、民主党を中心とする政権の性格である。現・代表の鳩山由紀夫、前代表であり現・副代表である小沢一郎は、いずれもかつて自民党の中にいた人物たちであり、その意味で現在の民主党を率いている政治潮流は、決して「新しい」ものではないということに、改めて注意しておく必要がある。それどころか、すでに述べたように小沢一郎はアメリカの軍事戦略の下に、日本が一体となって行動ができるような軍事同盟の一層の深化に執念を燃やす人物であり、鳩山由紀夫の祖父は、それこそ1950年代に、自衛隊を軍隊にする日本国憲法改「悪」を任務とする「保守合同」の立役者となって、自民党の初代総裁となった人物であったことを忘れてはならない。いわば現在の民主党の執行部は、戦後日本の対米従属の歴史の、もっとも危険な側面を代表する人物たちが占めているのである。
オバマ大統領が提唱する「核兵器廃絶」への動きにいちはやく懸念を表明し、反対の動きを示しているのが現・麻生首相とその内閣であるとしても、それに代わることになるであろう鳩山・民主党政権が、この問題に関して積極的な役割を果たすようになるとは、現状からは到底思えないことがおわかりであろう。対米軍事同盟の継続・強化という点に限っていえば、アジアの平和主義的外交が基軸になるとか、核兵器の廃絶への国内外の世論が盛り上がるとかといった状況の中で選挙が行われない限りは、本当の権力の中枢である日米の産軍官複合体にとって、表面的な「政権交代」は脅威ではないのである。これをみれば、その「政権交代選挙」の月に設定されたこの8月の報道が、これまで述べてきた重大な問題のすべてを後景に追いやるようにして、酒井法子事件を巡る言説に占拠されてきたことが、体制にとってどれほど好都合にはたらいているかが、はっきりと理解されるだろう。
もちろん民主党のすべてが、対米従属路線の危険な勢力ばかりであるというわけではない。民主党という政党自体が、さまざまな傾向と支持母体を持つ勢力の寄り合いであり、時々の情勢によって、左右に大きくぶれる性格を持っていることは、これまでのこの党の歴史がはっきりと物語っている。今回の総選挙に当っての総政策(「マニフェスト」)ですら、党内でのはっきりした意見の一致を見ず、批判を受けて場当たり的に修正を繰り返している体たらくである。だが逆にいえば、そうしたプレを含むからこそ、まともな方向への振幅もあると、希望的に考えることも許されるだろう。
酒井法子は日中文化・スポーツ交流親善大使に選ばれた当時、「文化親善大使に選ばれ、この上なく光栄でうれしく思っております。日本、中国両国の文化やスポーツ交流を盛り上げ、日本の新たなイメージのために微力ながら務めていきたい」、「日中両国民の、特に未来を背負う若い人たちが、文化、スポーツの分野で交流を通じて、互いへの興味を持ち、理解や信頼を深めてほしい」などと語っていた。事件を通じて酒井とともに、彼女が象徴していた日本へのイメージも少なからず損なわれたに違いないことは残念である。
いま、将来に亘って東アジアの平和外交と核兵器の廃絶の路線を歩むかどうかを改めて自らに問い、それをこの総選挙後の政権の中身についての最大の争点として押し出し、それに基づいた判断を、投票行動を通じて示すことこそ、この事件報道の目くらましを乗り越えて、日本国民が東アジア、そして世界に対して示す歴史的な回答となるであろう。その現実化を強く希望する。
島村 輝:1957年東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了。現在フェリス女学院大学(日本)教授。専攻は日本近現代文学、芸術表象論。中国語『漫画版・蟹工船』解説(人民文学出版社、2009)他著書多数。